6月 13, 2018 00:27 Asia/Tokyo
  • コーラン第67章アルムルク章大権
    コーラン第67章アルムルク章大権

今回は、コーラン第67章アルムルク章大権についてお話しましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

アルムルク章はメッカで下され、全部で30節あります。この章では、神の大権、支配について語られています。

 

アルムルク章では、神の性質、天と星の創造の驚異的な秩序、大地の創造とその恩恵、鳥たちや小川、目や耳や知覚の創造、地獄の責め苦と最後の審判、責め苦の責任者と地獄の人々の会話、不信心者と圧制者への現世と来世での責め苦の警告といった事柄が述べられています。

 

アルムルク章は、世界のすべてが至高なる神によって支配されていることに言及しています。それは、世界のそれぞれの部分に、別々の神が存在し、それは天使か別の創造物であると信じている人々に対して述べられています。そのため、アルムルク章では、創造などの神の多くの恩恵があげられていますが、それは、神が世界全体を支配していることを示すものです。アルムルク章は、神の支配とその清らかな性質の永遠性によって始まっています。

 

コーラン第67章アルムルク章大権、第二節

アルムルク章の第1節と2節を見てみましょう。

 

「彼は恩恵に溢れ、衰亡を知らない方である。創造世界の統治は彼の手の中にあり、すべてのものに全能であられる。彼は生と死を創造し、それによって、あなた方のうちの誰がよりよい行いをするのかを試す方である。彼は寛容で失敗を知らない方である」

 

コーランにある、「恩恵に溢れた」という言葉は、全能なる神からのたくさんの恩恵を指しています。神は、慈悲深い性質で賞賛され、生と死を創造し、人間を試そうとする存在です。神の試練とは、一種の教育であり、人間を、清らかさが増すような行動へと導くものです。そのような試練の目的は、人間によい行動を促すことであり、それにより人間は、知識が完成し、目的が純粋なものとなり、あらゆるよい行いを実践するようになります。とはいえ、これらの試練の中で、人間は多くの過ちを犯す可能性があり、それによって失望し、自分を改めるための努力をやめてしまうかもしれません。そのため、この節は終わりに、僕たちに、赦しと援助を約束し、神は寛容で失敗を知らない方だとしています。

 

アルムルク章は続けて、世界の秩序に触れ、人間がその大きな試練に備えることができるよう、美しい表現によって、人間に創造世界について考えることを勧め、次のように語っています。「慈悲深い神の創造においては、いかなる欠点も矛盾も目にすることはない」

創造世界は非常に壮大でありながら、正確な法則と計算しつくされた調和、秩序を持っています。この複雑で驚くべき秩序は、電子、陽子、原子、地球、太陽系、別の惑星にも当てはまるものであり、その一部のみでも秩序が乱れれば、それは破滅します。そのため、コーランは、人間に対し、注意深く見つめるよう勧め、「創造世界を注意深く見れば見るほど、そこには無秩序や混乱が全く存在しないことが分かるだろう」と語っています。そのため、「再びよく観察しなさい、そこに矛盾や混乱は見つかるだろうか?」と語っています。

 

アルムルク章の第4節は、それを強調するために、次のように語っています。「創造世界を再び見つめなさい。汝の目の先は、疲れきって無力になりながら、再び汝に戻る。この壮大な世界に矛盾や混乱を見つけることはできない」

 

アルムルク章の第6節は、神の根拠を無視し、不信心や多神教信仰に走る人々に対し、真理の道を外れれば、命と引き換えに神の責め苦を味わうことになる、これは悪い取り引きだと警告しています。その後、地獄の責め苦の一部について説明し、次のように語っています。

 

「不信心者が地獄に落とされるとき、恐ろしい音が聞かれる。それは常に沸騰しているかのようである」

 

それは、それらすべてを恐怖に包み込みます。まるで、業火に置かれ、ぐつぐつと沸騰し、今にも破裂しそうな器のようなのです。