月の泉
今夜の物語はインドの古い説話集ケリレとデムネから、「月の泉」というお話です。
昔々のこと。森の中に、澄み切った冷たい水を湛えた泉がありました。そして、その周囲には大勢のウサギたちが暮らしていました。ウサギたちは、のどが渇くたびに泉に行って、その水でのどを潤していました。
そんなふうに、彼らが穏やかな生活を送っていたある日のこと。象の一団が、ウサギたちが暮らす森へとやってきたのです。象たちは毎日のように泉にやって来ては長い鼻を垂らして、その水を飲んでいました。ウサギたちは象の出現を快く思っていませんでした。なぜなら、好きなときに泉に行って水を飲むことができなくなってしまったからです。ウサギたちが泉に行くといつも、何頭かの象が泉の周りにいて、怖くて泉に近づくことができません。何よりも困ったことに、象たちは泉の周囲を踏み荒らして、せっかくの綺麗な水を汚していたのです。
ウサギたちは集まって、象を何とかしなければ、と対策を考えました。彼らの中に年嵩の賢いウサギがいて、彼の頭の良さは誰もが認めるところでした。そのウサギが言いました。
「いいことを思いついた。象がこれ以上、泉に近づかないように、私がすぐに何とかしよう」
それを聞いたウサギたちは、驚いて言いました。
「いったいどうやって?あなたのようにか弱いウサギに何ができると言うんですか?あんなに大きくて力もある象たちと戦って、彼らを泉から追い払えるとでもおっしゃるのですか?」
年嵩のウサギは言いました。
「計画があるんだ。私は今夜、象たちがいる山に行って、彼らに、ある話をするつもりだ。私の計画がうまくいって、彼らが私の話を信じて、ここから出て行ってくれるといいのだが」
このウサギの知恵と賢さを知っていたウサギたちはこう思いました。
「彼が無意味な発言をすることはない。必ず何か考えがあるはずだ。私たちはもうすぐ、今の不幸な状態から脱け出せるに違いない」
夜になりました。その夜は、新月から数えて14日目で、空にはほぼ満月の大きな月が輝いていました。賢いウサギは山に登り、象たちに向かって大きな声で呼びかけました。象たちはウサギの声を聞いて、いったい何事かと耳を澄ませました。
ウサギは言いました。
「象の皆さん、聞いてください。私は月の使者です。今夜は、月からの伝言をあなたたちに届けに来ました。月はあなた方にこう命じています。象には泉に近づく権利はない、泉はウサギたちのものであると。なぜなら月は私たちウサギと一心同体です。月の使者である私は、月のメッセージをあなたたちに届けています。泉は月のもの、そして同時にウサギたちのものなのです。これからは、私たちの泉には近づかないでください。象の皆さん、よくお聞きなさい。もしあなた方が泉に近づいたら、月があなたたちの目を見えなくしてしまうでしょう。私はいい加減なことを言っているのではありません。私の言うことをどうか信じてください。皆さん、今夜、水を飲みに泉へと行ってごらんなさい。そして、泉の中をのぞいてみてください。そうすれば、月が、あなたたちのしてきた事に、どれほど腹を立てているかがよく分かるでしょう」
月からの伝言を話し終えたウサギは、今度は象のリーダーに向かって言いました。
「よく聞いてください。あなた方のために申し上げます。出来るだけ早くみんなを集めてここから立ち去ることです。さもなければ、何が起ころうと私たちは知りませんよ。そのときになって、私たちに文句を言ったりしないでくださいね」
年嵩の賢いウサギは、そう言い終わると山を下りて、仲間のところへと戻って行きました。戻ったウサギは仲間たちにこう言いました。
「さて、今度は効果を見る番だ。象たちが私の言葉を信じてくれるのを祈ることにしよう」。
象たちが泉の水を飲みにいくのは、いつも昼間のことでした。それまで彼らが、夜に泉へとやって来ることはなかったのです。そして象だけでなく、ウサギたちも、夜に泉の水を飲みに行く習慣はありませんでした。その頃、象たちはウサギが言った、月の伝言について話し合っていました。一頭の象が言いました。
「あの年老いた愚かなウサギは、なんと適当なことばかり言っていたことだ!」
しかし別の象は言いました。
「いや、彼が嘘を言っているとも限らない」
象のリーダーが言いました。
「そう、もしかしたら、本当に月がそう言っているのかもしれない。試しに今夜、泉まで行ってみて、ウサギの言葉が嘘か本当か確かめてみるのも悪くはないだろう」
こうして象たちは夜道をゾロゾロと泉の方へと歩いていきました。泉の近くまでやって来ると、象のリーダーは言いました。
「よし、まず私が泉の傍に行こう。あなたたちはしばらくここで待っていなさい。ウサギの言葉が本当か嘘か、しっかりと確かめてくるので心配しないように」
象のリーダーはゆっくりと泉の方へと近づいていきました。そして思い切って泉の水面を覗き込むと、驚いたことに、そこには本当に、明るく輝く月がいたのです。象は気がついていませんでした。そこには空にある月が映っているのだということを。象のリーダーは考えました。「ここまでは、ウサギの言っていたことは本当だった。今度は泉の水を飲んでみることにしよう。とにかく、ウサギの残りの言葉が本当か嘘か、確かめなければ」
象のリーダーは、長い鼻を泉の水に差し入れました。象の鼻が水を打った瞬間、泉の表面が波立ち、月は水の中で揺れ動き、大きくゆがみました。それを見て、象は月が腹を立てたのだと考えました。
「あぁ、ウサギは本当のことを言っていた。我々はここから去った方がいい。そうしなければ、月が私の目を見えなくしてしまうかもしれない。今だって既に、少し見えにくくなっている。月がゆがんだり、暗くなったりしているのはそのためだろう」
象は、自分の鼻が水面を揺らし、月の姿をゆがめていたことに気づきませんでした。象はまた、水の中に踏み入れた自分の足で、泉の水を泥で汚し、そのために月の姿が暗くにごって見えることにも気づかなかったのです。象のリーダーは、急いで仲間のもとに戻るとこう宣言しました。
「仲間たちよ、ウサギの言っていたことは本当だった。我々は、今夜ただちにここを立ち去らなければならない。そして、また新しい泉を探すことにしよう」
こうして、ウサギたちはまた泉の傍での、平穏な生活を取り戻したのでした。