コーラン第74章アル・ムッダスィル章くるまる者(1)
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コーラン第74章アル・ムッダスィル章くるまる者
今回は、コーラン第74章アル・ムッダスィル章くるまる者をお届けしましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アル・ムッダスィル章はメッカで下され、全部で56節あります。
アル・ムッダスィル章は、イスラムの預言者ムハンマドに公然と導きを行うようにという啓示が下された後の最初の章となります。メッカで下された章には、神への導き、復活、多神教徒との闘争、反対者への神の責め苦の警告という特徴がありますが、この章ではそのことが完全に反映されています。
アル・ムッダスィル章で述べられているのは、イスラムの預言者の導きの原則、復活、高慢な人間のしるし、人間の行動と運命の関係、天国の人々の特徴、地獄の見張り番と神の責め苦を担う者たちの特徴といった事柄です。
ムッダスィルとは、人々から離れて孤立して暮らす人のことを指します。この章の第1節は、神の預言者ムハンマドに対し、反対者の侮辱や冷たい態度を悲しんではならず、孤立した状態を離れ、強い決意によって、神の僕たちへの導きと忠告にいそしむよう呼びかけています。
ムッダスィル章の最初の数節は、重要な指示の中で、唯一神信仰を尊重するよう命じ、預言者ムハンマドに対し、汝に教え、汝の所有者である神を偉大な存在と考え、崇拝の対象とされる神以外のすべての存在を否定し、多神教信仰や偶像崇拝のあらゆる痕跡を消滅させるよう求めています。
これらの節は、信条や行動の上でも、また言葉の上でも、唯一の神を偉大なものと考え、神は最高の性質を持ち、いかなる欠点も持たず、言葉でも表現できないほど優れた存在であると考えるべきだ、という点に触れています。その上で、あらゆる穢れを排除し、身にまとうものを清潔にするようにと命じています。
コーラン解釈者によれば、ここで言う身にまとうものとは、人間の行動を指している可能性があります。なぜなら、人間の行動は、その人の服装、身にまとうものに相当するからです。一部の解釈者も、ここで言う身にまとうものとは、人間の心や精神、魂であるとしています。つまり、身に着けるものよりもまず、心からあらゆる穢れを取り払うことが必要だということです。一部の解釈者も、それはまさに表面的な服装のことを指すとしています。なぜなら、表面的な服装の清潔さは、その人の人格、教育、文化の現れでもあるからです。
アル・ムッダスィル章の第7節は、イスラムの預言者ムハンマドに対し、神のために忍耐強くあること、多神教徒や無知で愚かな敵のいやがらせに耐えることを求めています。これは、預言者に、いかに重大な責務が任されているか、神の助けがなければ、それを果たすことはできない、ということを物語っています。また、預言者のような、最も優れた完全な神の僕であっても、神の助けが必要であり、日々、その必要性が増していくということを明らかにしています。
預言者に忍耐が求められているのは、導きや伝道の道において最も重要な財産が、忍耐であるためです。忍耐は、あらゆる計画を実行する上での基本、保証です。そのため、コーランでは、何度もそのことが強調されています。シーア派初代イマーム、アリーは次のように語っています。
「信仰に対する忍耐とは、体に対する頭のようなものである」
また、このことから、神の預言者たちの最も重要な性質のひとつは、忍耐力であると言えるでしょう。起こる出来事が彼らにとって困難で重大であればあるほど、その忍耐力も増していきました。イスラムの預言者はこのように語っています。
「神は、自身が僕たちの一人に対し、その命や財産、子供の上に災難をもたらすとき、その人が立派な忍耐によって、それに対処すれば、私は最後の審判で、その人の行いを計算し、あるいはその人の行いの記録を明らかにすることをためらうであろう」
次回も、引き続き、アル・ムッダスィル章についてお話しする予定です。