6月 20, 2018 20:50 Asia/Tokyo

今回は、イラン南西部イーラーム州のもう1つの見所ダッレシャフル村をご案内してまいりましょう。

イラン西部の各都市はそれぞれ、独自のファンや愛好家が存在します。これらの各都市は、独自の自然や史跡、手工芸といった特徴を誇り、人々がその町を真っ先に訪れてみたいと考える要素となっているかもしれません。

ダッレシャフルは、歴史に関心を持つ人々にとって、特に大きな魅力のある町とされています。歴史にあふれたこの町は、イーラーム州の中心となるイーラーム行政区の東に位置し、キャビールクーと呼ばれる壮大な山の裾野に、古代都市セイマレの廃墟を初めとする史跡や文化遺産、大自然の景勝地といった見所が勢ぞろいしています。

 

 

ダッレシャフル

 

キャビールクー丘陵内には、緑豊かで美しい谷があり、そこにはコロム地区という名勝が存在します。この村落地域は、数多くの庭園や水量の豊かな河川がいくつも存在することから、とても快適な行楽地の1つとなっています。この地域を流れる河川は、キャビールクー丘陵を水源とし、緑に覆われたいくつもの絶景の間を流れ、最終的にセイマレ川と合流します。

コロム地区にはまた、サーサーン朝時代の拝火壇や城砦の廃墟、そしてイスラムの預言者ムハンマドの教友、ジャーベル・ブン・アンサーリーの聖廟の廃墟や、預言者の末裔の1人とされるセイエド・タージョッディーンの聖廟の廃墟などがあります。このため、この地域は美しい大自然に加えて、歴史的、宗教的にも独自の位置づけを有しています。

 

 

美しいコロム村の風景

 

ダッレシャフルの西部と南西部には、イラン西部で最大規模とされる史跡の1つが存在しています。また、これらの地域には悠久の歴史を誇るこの史跡とともに、美しい景勝地も共存しており、この地域の美しさに花を添えています。

そう、マーダークトという別名でも知られるこの古代都市セイマレの歴史は、一部の歴史学者の見解では、エラム人たちがイラン西部ロレスターンの山々を支配していた古代にさかのぼります。エラム人たちは、広大な領域を支配し、自らにとっての第2の都をこの地域に建設し、ここをマーダークトと名づけました。紀元前のアケメネス朝時代のこの町の様子は明らかではありませんが、その後のサーサーン朝時代には再び隆盛を極めました。

 

 

古代都市セイマレ

 

それではここで、イーラーム州の古代都市セイマレからIRIB記者の報告をお届けします。

「現在、古代都市セイマレの廃墟に来ております。ここでは、サーサーン朝時代の都市構造形式による建物の跡が目に付きます。この一連の廃墟は、監視塔、道路、下水施設などで構成されています。部分的に残されている廃墟や石の間を歩いてみると、特に正確な幾何学的構造が見て取れるとともに、大量のセイマレ川の水が怒涛のごとく轟きを上げているそばで、美しい大都市が存在していた様子がうかがえます。比較的良好な状態で残っている廃墟を目にすることで色々な空想に耽りながら、この敷地内を歩いていると、まるでタイムスリップして悠久の歴史の中を旅しているような気分になります」

「この地域の自然の美景は、まさに水量の豊かな河川が轟きながら広大な平原を流れていくというものです。この平原には、高低のある数多くの丘陵が続き、色鮮やかな花々に彩られた様々な高さの丘が規則正しく並んでいるのが見えます。爽やかな日差しを浴びながらこの古代都市の廃墟の中をそぞろ歩きしていると、周辺の自然と見事に調和した建築様式が、この上ない絶景を生み出しているのが分かります。そして、この古代都市にあるもう1つの重要なポイントは、イスラム初期のものと思われ、土中から突き出ている形になっているモスクです。この建物に使われている資材は石と石膏で、入り口の部分にはアーチが見られます。また、このモスクの中庭や礼拝専用のスペースには、石膏の下地に美しい彫刻が施されており、一見の価値があります」

以上、イーラーム州の古代都市セイマレから、IRIB記者の報告をお届けしました。

ガーヴミーシャーン橋

 

 

それでは引き続き、イラン西部イーラーム州のダッレシャフルと、古代都市セイマレをご案内してまいりましょう。

これまでにお話した自然の美しさに加えて、セイマレ川には、ガーヴミーシャーン橋という、非常に美しい橋がかかっています。この橋は、イラン西部の歴史ある橋の中では最も古く、また最大規模とされ、またもっともよく知られています。現在、セイマレ川がこのガーヴミーシャーン橋の下を流れています。この橋のアーチの部分は崩れていますが、それ以外の水が通る部分の穴はかなり良好な状態で残っています。

1500年前に建設されたガーヴミーシャーン橋は、全長168メートル、幅が8メートルという威容を誇っています。現在は、セイマレ川の水に触れている橋げたが形成する6つの穴が、比較的良好な状態で残っています。この橋の建設には、瓦礫やレンガ、石材ブロック、石膏のモルタルなどの資材が使われています。この橋の設計面で特に注目すべきことは、水が流れやすくなるよう、橋を支える柱は楕円形の円柱になっていることです。

 

 

ガーヴミーシャーン橋

 

ダッレシャフルを訪れたなら、是非有名なバフラーム・チュービーン峡谷にも足を運んでいただきたいものです。この峡谷は、キャビールクー丘陵地帯に広がる大きな岩山の間に位置しています。また、この峡谷にはチュービーンの城砦としても知られるかつての砦や軍事用に使われていた壁の廃墟も残されており、軍事的なシンボルが数多く存在します。また、この峡谷を入ってすぐのところには監視塔が立っていますが、これは6世紀にサーサーン朝の王ホスロー2世に対して反旗を翻した人物バフラーム・チュービーンの隠れ場所とされ、一見の価値があります。

バフラーム・チュービーン峡谷は、軍事上の理由から敵が容易に侵入できないように造られており、この峡谷の岸壁には、非常に堅固で安全な壁が張り巡らされています。元々存在していた堅固な岸壁に、さらに頑丈な壁が加えられ、まさに要害堅固といっても過言ではありません。

大変興味深いことに、この城砦は、上に上がること自体が至難の業と思われる、頑丈な岩の上に高い壁が張り巡らされている構造になっています。また、この峡谷は通り抜ける事そのものが非常に難しくなっており、峡谷の内部には住居や、玉座のある建物、石でできた貯水槽や塔などがあります。

バフラーム・チュービーン峡谷の入り口と、そこに続く丘陵地帯には、数多くの貴重な史跡があります。その1つは、サーサーン朝時代のものとされる、石材と石膏でできた城砦で、これは峡谷の奥にあり通過が困難な地域とされ、樹林に覆われたキャビールクー丘陵に通じています。

 

バフラーム・チュービーン峡谷

 

一説によれば、この峡谷はバフラーム・チュービーンが狩猟を行った場所とも言われています。この峡谷の内部とその後ろには、まだ開墾されておらず、様々な動物や鳥類が生息する自然環境があり、サーサーン朝時代の人物であるバフラーム・チュービーンは、ここで狩猟を行ったとされています。

バフラーム・チュービーン峡谷の内部にある城砦の大きな見所は、壁の外面にある階段のほか、硬い岩盤の中に掘削された4つの貯水槽とされています。これらは、この上なく精巧に、しかも自然に調和した形で造られています。サーサーン朝時代に、バフラーム・チュービーンも行楽地として、美しい適切な場所を選び、しかも自らの工夫を凝らしてそこに多大な手を加え、この地域を安全な避難場所に造り替え、ここに生活に必要な便宜手段をも整えていた、といえるでしょう。

ダッレシャフルの近郊には、滝がたくさんあります。その1つは、ダッレシャフル街道を20キロほど進んだところにあるマールブレの滝です。この滝は、高さのある数多くの樹木に取り囲まれており、特に水かさが増える春のシーズンのご見学をお勧めしたいと思います。

 

 

マールブレの滝

 

最後に、ダッレシャフルの経済は農業や造園業、畜産業をベースとしていることを付け加えておきたいと思います。この町では、特に畜産業が盛んであり、この町の畜産品は、ほかの地区にも出荷されています。ダッレシャフルには、1日や2日では見切れないほど多くの見所があり、特にこの町の自然の美を堪能するには十分な日数を当てたいものです。この町を訪れたならば、必ずやその美しい光景がいつまでも皆様の記憶に残ると思われます。

次回もどうぞ、お楽しみに。