コーラン第103章アル・アスル章時間
今回は、コーラン第103章アル・アスル章時間についてお話します。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アル・アスル章は、イスラムの預言者ムハンマドがメッカからメディナに移住する前にメッカで下されたもので、全部で3節です。この章は非常に包括的であり、一部のコーラン解釈者は、コーランのすべての知識や目的が、この章に集約されているとしています。
アル・アスル章は、時間の偉大さとその価値を明らかにし、時間という恩恵を利用することへの注目を促すために、時間に誓いを立てています。
時間を意味するアスルという単語は、人類の歴史における一時期、一時代を指しています。そのため、この誓いの解釈において、一部の解釈者は、それを人類の歴史や時代全体を指したものと考え、それは衝撃的な出来事や教訓に満ちたものとなっています。一方で別の人々は、ここでいうアスルとは、神の預言者ムハンマドが現れた時代を指すものだとし、それはイスラムの光が人類社会の地平線に現れ、真理が偽りに勝利したときだとしています。
アル・アスル章の第2節を見てみましょう。
「間違いなく、人々は皆、損害を蒙っている」
人間は、自分の存在という資本を、望むと望まざるとに拘わらず、失います。時間、日々、年月が、急速に過ぎ去っていき、物質的な力が消耗され、体力や気力がなくなっていきます。心臓は定期的に脈を打つ力を持っていますが、その力がなくなったとき、何の理由や病気がなくても自然に止まります。人間がもつ残りの器官、さまざまな能力も同じです。
イスラムの世界観では、世界はひとつの取り引き市場だとされています。シーア派10代目イマーム、ハーディは次のように語っています。
「世界は取引市場であり、そこで利益を得る人もいれば、損失を蒙る人もいる」
人間は、反抗的な本能を持っているため、この大きな取引市場において、損害や衰退にさらされています。しかし、ひとつのグループの人々だけは例外です。そのグループとは、信仰を寄せ、善を行い、互いに正しいことと忍耐、抵抗を勧め合う人々です。
イスラム法学者でコーラン解釈者のタバタバーイー師は、これについて次のように語っています。
「人間は常に生き続けるものであり、人生は死によって終わるわけではない。人間の死は実際、ひとつの家から別の家に移動することである。人間の人生のこの部分、つまり現世で生きることは、運命を決定付ける試験的な生であり、そこでは、別の部分である来世の生がどのようなものになるかが決定される。その生の中で幸福にいたる人も、また不幸に陥る人も、それはすでに現世で決められたものである。人間の資本は、その人の人生である。人生によって、来世を幸福の中で生きるための手段が獲得される。もし考え方と行動において真理に従えば、その人は人生という取り引きにおいて利益を得ることになり、恩恵を手にし、来世も安全になる。だが、もし偽りに従い、神を信じず、善い行いもしなければ、その人は取り引きにおいて損害を蒙る。彼は、人生の資本から、それ以上の利益を得ないばかりか、それを自分の不幸のために費やしたことになり、来世での善を奪われる。そのため、アル・アスル章は、人間に対してそのような問題への注目を促している」
アル・アスル章は、第3節で、人間が行えば、損害から解放されることになる計画を提示しています。まず、信仰の原則を提起しています。それは人間のあらゆる活動の基盤となっています。人間の行いは、その人の考え方や信条を表しています。そのため、すべての神の預言者たちは、何よりもまず、自分の共同体の信条の基盤を改めることに取り組み、特に、さまざまな卑しさや不幸、分裂の原因である多神教信仰と戦いました。
この節は続けて、善い行いを、救済を保障するものとして紹介しています。善い行いとは、礼拝、施し、神の道における戦い・ジハード、知識の習得に限られません。それどころか、あらゆる分野における人類社会の発展と道徳の育成、内面の成長の要因となるような、あらゆる善い行いを含んでいます。信仰と善い行いは、真理、知識、抵抗、忍耐に向かうための全体的な動きでない限り、継続されることはありません。互いに真理に従うことと忍耐を呼びかけあうことは、こうした計画のひとつであり、それによって人間は、腐敗や損害から遠ざかり、人間性と完成に至ることができるのです。