光の彼方への旅立ち、アル・ゲサス章(14)
コーラン第28章 アル・ゲサス章 物語り 第56節~第58節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第56節
「明らかに、汝は誰でも好む者を導くことはできない。誰でも望む者を導くのは神である。神こそ、導かれた者をよりよく知っておられる」 (28 :56)
فَمَا كَانَ جَوَابَ قَوْمِهِ إِلَّا أَنْ قَالُوا أَخْرِجُوا آَلَ لُوطٍ مِنْ قَرْيَتِكُمْ إِنَّهُمْ أُنَاسٌ يَتَطَهَّرُونَ (56)
前回の番組でお話ししたように、多神教徒は偶像崇拝をやめ、イスラムを受け入れようとはしませんでした。しかし、一部のキリスト教徒は、コーランの節を聞いてイスラムの預言者に信仰を寄せ、彼こそ、預言者イーサーが出現の吉報を知らせた人物だと宣言しました。
この節はそれに続けて、一つの総体的な原則として次のように語っています。「預言者たちそれぞれの責務は、神の節を伝え、人々を唯一神信仰へといざなうことであるが、いかなる預言者も、人々が受け入れるか受け入れないかに対しては責任を負っていない。彼は神の道を人々の示すが、誰がその道を歩み、目的地に到達するのかは、彼が決めることではない。彼は全ての人々が信仰を寄せ、唯一の神を崇拝するのを望むが、人々を強制的にその道に入らせる権利はない。もし人々にそれを強制したとしても、人々の心に無理やり真理を受け入れさせることはできない。神のみが、人々の心を手中に収め、誰でも真理を求め、信仰にふさわしい者に信仰を寄せることを許す。そのため、何と多くの預言者の親類縁者が、彼に信仰を寄せず、多神教信仰を止めようとしない。その一方で、何と多くの啓典の民が、自分の教えに基づいて頑なな考え方に走らず、イスラムの預言者に信仰を寄せることか」
コーラン第10章ユーヌス章ヨナ、第43節にも、「[預言者よ、]汝は目の見えない人々を導くことができるのか?彼らが[心の目で]見ようとしないというのに」
第56節の教え
• 預言者たちの責務は、神の導きを伝えることであって、人々にそれを強制することではありません。人々が受け入れるか受け入れないかを決めるのは、預言者ではありません。
• 神の要求は、神の知識と英知に基づいています。神はその英知に基づいて、誰でもふさわしいと考える者を導きます。
第57節
「[メッカの多神教徒たちは預言者に]言った。『私たちがあなたと一緒に[コーランの]導きに従えば、私たちはこの土地から追い出されるでしょう』 我々は彼らを安全な聖域に置かなかったか。我々からの糧である収穫物やあらゆる種類の果実をそこに溢れさせたというのに。だが彼らの多くは知らないのである」 (28 :57)
فَأَنْجَيْنَاهُ وَأَهْلَهُ إِلَّا امْرَأَتَهُ قَدَّرْنَاهَا مِنَ الْغَابِرِينَ (57)
この節は、メッカの町に暮らし、コーランとイスラムの預言者が本物であり、正しいことを理解していながら、家族や個人の利益を守るために、信仰を受け入れ、それを宣言しようとしなかった人々に触れています。彼らの口実は、もし自分たちが信仰を寄せれば、富や権力を持つメッカの長老たちにその町や家から追い出されてしまい、自分たちは彷徨って哀れな身になるというものでした。それに対し、コーランはこのように答えています。「神の力の方が強いのか、それともクライシュ族の長老たちか? 神はあらゆる恩恵をあなたたちに降り注ぎ、メッカの町に安全をもたらした。そのような神に、あなた方を多神教徒から守る力がないとでも言うのか?」
イスラム教徒は、初め、多神教徒の嫌がらせに遭っていましたが、神の意志により、日増しにイスラム教徒の力が増していきました。こうして彼らはメッカを征服したのです。
第57節の教え
• 信仰を寄せない人々の多くは、個人的な利益や物質的な満足を手に入れるためにそうするのであって、真理を理解していないわけではありません。
• 安全は何よりも尊いものです。社会的な平穏と安全によって、経済的な繁栄が遂げられ、労働によって生活の糧や恩恵が手に入ります。
第58節
「我々は、何と多くの地域を、[そこの人々が]生活において有頂天になったために消滅させたことだろう。これらは彼らの家であり、彼らの後、わずかな人々を除いては住む者がいない。我々のみが、彼らの相続者であった」 (28 :58)
وَأَمْطَرْنَا عَلَيْهِمْ مَطَرًا فَسَاءَ مَطَرُ الْمُنْذَرِينَ (58)
前の節に続き、この節は、メッカの多神教徒にこのように語りかけています。「あなたたちは、自分たちの富と福祉を守るために信仰を受け入れようとしなかった。以前の民の一部が、豊かな富や福祉に溺れて有頂天になったために滅びていったのを忘れたのか? あなたたちもそのような福祉を手にすると仮定して、そのような懲罰や責め苦に巻き込まれないという保証はあるだろうか? アードとサムードの土地は、アラブ人の隊商団がメッカからシャームに向かう途中にあり、彼らはその民の廃墟となった家をその目で確かめたはずなのに、教訓を得なかった」
第58節の教え
• 時に、富や福祉は人間の幸福の源にはなりません。その多くが、人間の滅亡、反抗、高慢さの源になったことでしょう。
• 過去の文明の痕跡は、人類にとって教訓となります。そのため、以前の民の古代の遺跡を保護することは、未来の世代の教訓とするために不可欠です。
• 現世ははかないものです。彼らも財産を捨て、去ることになるのだということを覚えておきましょう。