8月 24, 2018 18:26 Asia/Tokyo

コーラン第28章 アル・ゲサス章 物語り 第83節~第85節

 

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第83節

「我々は来世の住みかを、地上における堕落や優越を求めない人々のために据えた。[良い]結末は敬虔な人々のものである」 (28 :83)

وَيَوْمَ نَحْشُرُ مِنْ كُلِّ أُمَّةٍ فَوْجًا مِمَّنْ يُكَذِّبُ بِآَيَاتِنَا فَهُمْ يُوزَعُونَ (83)

 

前回の番組でお話したように、ガールーンは、多くの富を手にしたために有頂天になって神に背き、滅びることになりました。この節は、この出来事から総体的な結論を引き出し、次のように語っています。「自分を他者よりも優れているとみなし、他者より優位に立とうとする人々は、覚えておくがよい。最後の審判での彼らの居場所は天国ではない。なぜなら天国は、清らかで敬虔な人々の場所であるからだ」

 

高慢さ、それは、現世に執着する富や権力の持ち主の特徴であり、彼ら自身を堕落させるだけでなく、彼らの富や権力も、社会に堕落を広める原因となります。歴史を見れば分かるように、シーア派初代イマーム、アリーは、人々を統治する際、このように語っています。「私は権力を、人よりも優位に立つための手段と見なさない。それと同じように、また富の持ち主たちも、自分の財力を他者への支配の手段と見なすべきではない」

 

第83節の教え

•           富や権力を持っていること、それだけでは堕落の原因にはなりません。堕落が現れ、広がる原因になるのは、富や権力を支えにした優越主義です。

•           真の敬虔な人間とは、謙虚で他者よりも優位に立とうとしない人です。

 

第84節 

誰でも善をもたらす人には、それよりも良い[報奨]がある。また誰でも悪い行いをもたらす者、彼らは行った悪い行いについて[その分]に応じた懲罰を受ける」 (28 :84)

حَتَّى إِذَا جَاءُوا قَالَ أَكَذَّبْتُمْ بِآَيَاتِي وَلَمْ تُحِيطُوا بِهَا عِلْمًا أَمْ مَاذَا كُنْتُمْ تَعْمَلُونَ (84)

 

前の節に続き、この節は、来世での報奨と懲罰の仕組みに触れ、次のように語っています。「神は報奨を与える際、人々の行いの価値ではなく、自分の恩寵におり、人々の善い行いの価値よりも優れてた報奨を与える。時には10倍、また時には100倍、また時には計り知れないほどのものである」

 

当然のことながら、神の恩恵や恩寵は、人間の目的の清らかさ、純粋さに関係します。同じ行動であっても、その動機が異なれば、報奨も異なるものとなります。しかし、醜い行いについては、神は公正に基づいて行動し、そうした行いの醜さによる影響に基づいて、その懲罰を決定します。その影響は、その人の死後、何百年も残り、社会に罪や堕落を広める原因となる可能性があります。

 

興味深いのは、この節が、「神は悪い行いをした人々に懲罰を与える」とは言わずに、「彼らの懲罰は、彼ら自身が行ったことである」と言っていることです。つまり、彼らが行ったことが、その行いに応じて最後の審判で表されるのです。実際、最後の審判での彼らの苦しみの原因は、彼ら自身の行いにあるのです。

 

第84節の教え

•           善い行いは、誰のものであっても好ましく、現世、あるいは来世で報奨が与えられます。

•           善い行いをするだけでは十分ではありません。それを最後の審判まで無事に送り届けることが重要です。罪、恩を着せること、高慢になること、策略などは、特に人間の善い行いを台無しにし、最後の審判まで届かなくなります。

•           神は、善への報奨を、自身の恩寵に基づいて与えますが、悪い行いをした者への懲罰においては、自身の公正、正義に基づいて行動します。

 

第85節 

明らかに、コーランを[汝に下し、それを実践することを]汝に定めた神が、汝を約束の場所へと帰すだろう。[預言者よ、]言え、『私の主は、誰が導かれ、誰が明らかに道に迷っているかをよりよく知っておられる』」(28 :85)

وَوَقَعَ الْقَوْلُ عَلَيْهِمْ بِمَا ظَلَمُوا فَهُمْ لَا يَنْطِقُونَ (85)

 

この節と、アルゲサス章の終盤となるそこから先の節は、イスラムの預言者に対し、神の命に従ってメッカからメディナに移住するよう語りかけています。多くの富や権力を有していたメッカの多神教徒たちは、人々が預言者に信仰を寄せるのを許さず、信仰を寄せる者がいれば、その人に嫌がらせをしていました。こうしてわずかな数のイスラム教徒たちに3年間、経済的、社会的な制裁を加え、彼らに最も厳しい状況をもたらしていました。しかし、自分たちのこうした行動に意味がないと失望したとき、預言者を殺そうと決めたのです。そこで、神は預言者に、メッカを離れるよう命じました。

 

預言者は、メッカに留まりたいと考えていました。なぜなら、そこは彼の生まれ故郷であり、また神の家がある場所でもあったからです。しかし一方で、自分の導きを広めるために、メッカから移住しなければなりませんでした。コーランはこの節で、預言者にこのように語りかけています。「汝にコーランを下し、この移住を汝に義務づけた神は、生まれ故郷であるメッカに汝を戻すと約束している。それも、多神教徒ではなく、汝と敬虔な人々が権力を握り、統治を行うときである」

 

この節は続けて、預言者にこう語りかけています。「汝の使命を否定し、それをやめようとしない人々に言え、『あなたたちが私の使命を否定しようとも、神は、誰が神から人々の導きのために現れ、啓蒙の源であるか、また誰が道に迷わせ、神の導きを受け入れようとしないかをよりよく知っておられる』と。」

 

第85節の教え

•           コーランの節が下り、それが人々に伝えられたことにより、不信心者たちが反発し、預言者がメディナに移住することになりました。しかしコーランを下した神は、預言者に、彼を再び、栄光と敬意の中でメッカに戻すと約束しています。そしてその約束は完全に果たされ、預言者はメッカに戻ることになりました。

•           宗教義務を果たすこととは、礼拝や断食を行うことだけではありません。コーランを朗誦して広め、人々をそれに導くことも宗教義務です。