8月 24, 2018 18:28 Asia/Tokyo

コーラン第28章 アル・ゲサス章 物語り 第86節~第88節

 

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第86節

「預言者よ、]汝は、この書物が汝に暗示されるとは期待していなかった。これは汝の主からの慈悲以外のなにものでもなかった。だから決して不信心者の支持者となってはならない」(28:86)

أَلَمْ يَرَوْا أَنَّا جَعَلْنَا اللَّيْلَ لِيَسْكُنُوا فِيهِ وَالنَّهَارَ مُبْصِرًا إِنَّ فِي ذَلِكَ لَآَيَاتٍ لِقَوْمٍ يُؤْمِنُونَ (86)

 

前回の番組でお話したように、神は預言者に向かって、彼がメディナに移住した後、再びメッカに戻り、不信心者に勝利すると約束しました。この節は預言者に対し、次のように語っています。「汝は、このように権力と栄誉を伴ってメッカに戻るとは期待していなかっただろうが、神はそのように望まれ、それを実現させた。汝はまた、預言者としての使命を授かり、啓示の書が汝に下されることも予想していなかった。だが神は、その英知に基づき、汝に特別な慈悲をかけ、汝を預言者に任命した。そのような状況であるからこそ、決して、多神教徒や不信心者の誤った要求に屈してはならない。それはある意味で彼らを助けることになる。そうではなくて、彼らを断固として拒み、それを人々に宣言するのだ」

 

この章の以前の節でも、預言者ムーサーが、自分と家族が温まることのできるよう、火をもらうためにトゥールの山に行ったとき、そこで神から預言者に任命されたことをお話ししました。歴史的な言い伝えによれば、イスラムの預言者ムハンマドも、神への礼拝を行うため、ハラーの洞窟に行ったとき、そこで大天使ジブライールが彼の前に降り立ち、彼に神の使命を伝えました。

 

第86節の教え

•           不信心者が用いる口実のひとつは、なぜ啓示が私たち自身に下されないのかというものでした。これに対してコーランは、「最も清らかな魂を持って生きていた神の預言者たちでさえ、そのようなことを神に期待してはいなかった、それなのに、あなたたち不信心者がそのような期待を持とうとは」と述べています。

•           神の預言者たちの教えでは、不信心者や圧制者の強化につながるようなあらゆる行いが禁止されています。

 

第87節

「また、汝に啓示が下された後、彼らが汝を妨げるようなことがあってはならない。[人々を]汝の主へといざないなさい。決して多神教徒の一人になってはならない」 (28 :87)

وَيَوْمَ يُنْفَخُ فِي الصُّورِ فَفَزِعَ مَنْ فِي السَّمَاوَاتِ وَمَنْ فِي الْأَرْضِ إِلَّا مَنْ شَاءَ اللَّهُ وَكُلٌّ أَتَوْهُ دَاخِرِينَ (87)

 

この節は、「不信心者の支持者になってはならない」とする前の節の内容を説明するものです。神の節を伝えたり、人々を唯一神信仰へと導いたりすることをやめれば、不信心や多神教信仰がますますはびこることになってしまいます。歴史にあるように、預言者が神の節を人々に読み上げ、人々に耳を傾けるように勧めるたびに、多神教徒や反対者たちは、預言者を詩人と呼び、迷信を広めていると非難していました。この節は次のように語っています。「預言者よ、敵の誹謗中傷や侮辱を恐れて義務の遂行を怠ってはならない。そのようなことをすれば、汝も多神教徒の一人となり、神にとって、多神教徒となんら変わらない存在になるだろう」

 

第87節の教え

•           宗教の敵は、神の預言者に対しても陰謀を企て、不信心や多神教信仰を広めるための努力を怠りません。そのため、宗教を守るために努力し、他者をイスラムへといざなうことを怠ってはなりません。

•           神の預言者たちは、神のもとで教育され、神は自らの命によって、神の使命を正しく果たすよう勧告しています。

•           預言者たちは、人々を自分ではなく、神へといざなっていました。また、不信心や多神教崇拝との戦いは、彼らの計画のトップにありました。

 

第88節  

「また、神と共に、他のものを崇拝してはならない。彼以外に神はいない。神以外のすべてのものは消滅する。創造世界の大権は神のみのものであり、あなた方は神へと帰される」(28 :88)

) وَتَرَى الْجِبَالَ تَحْسَبُهَا جَامِدَةً وَهِيَ تَمُرُّ مَرَّ السَّحَابِ صُنْعَ اللَّهِ الَّذِي أَتْقَنَ كُلَّ شَيْءٍ إِنَّهُ خَبِيرٌ بِمَا تَفْعَلُونَ (88)

 

前の節で、神は預言者に、人々への導きと神の節の伝道に努めるよう勧告していました。この節は続けて、次のように語っています。「唯一神を信仰する者なら誰でも、他のものを神と同等に据え、崇拝したりはしない。なぜなら、神以外のすべてのものは消滅し、神だけが残ることを知っているからです。また、創造世界の絶対的な支配は、神のみの手にあり、神以外のものを崇拝することに意味はありません」

 

この節では、世界のすべての存在物は、遅かれ早かれ、必ずはかなく滅びるものとされています。つまり、その存在は自分たちから生じているのではなく、一瞬でも神からの慈悲が途絶えてしまえば、消滅してしまうものなのです。

 

多神教信仰について触れた前の節に続き、この節は、多神教信仰をこのように意味づけています。「多神教信仰とは、別のものを神と呼ぶことである。預言者やイマームに頼ることを多神教信仰と見なすワッハーブ派の考え方とは異なり、預言者やイマームに頼ることは多神教信仰ではない。なぜなら預言者やシーア派初代イマーム、アリーを含む、預言者の後継者イマームたちを神と同等の独立した力として崇拝しないからだ。それどころか、彼らは唯一神信仰を広める道において身を捧げた偉大なる人間として賞賛されている」

 

第88節の教え

•           真の唯一神信仰は、いかなる崇拝の対象の足かせからも解放されること、そして自らを地上の支配者と思い込み、全ての地上の住民に覇権を振るおうとする力や偶像に対して抵抗することです。

•           現世とそこにあるものは皆、いつかははかなく滅びるものですが、それに対して神は永遠の存在です。

•           死は、消滅ではありません。それどころか、創造世界の源への回帰です。