9月 06, 2018 19:49 Asia/Tokyo

8月17日朝、イランの著名な俳優のエッザトッラー・エンテザーミーが亡くなりました。94歳でした。

エッザトッラー・エンテザーミー

 

8月19日、エッザトッラー・エンテザーミーの埋葬式が、家族や友人に見守られる中でしめやかに行われました。著名な芸術家、それも70年に渡ってイランの映画や演劇界で活躍した人物に別れを告げることは、とてもつらいことです。このエンテザーミーの埋葬式が行われた8月19日という日には、今から65年前にも、彼の人生にとって大きな出来事が起こりました。

 

アメリカとイギリスによる1953年8月19日のクーデターは、イランの政治を変えただけでなく、芸術界にも大きな影響を及ぼしました。エンテザーミーは回想録の中で次のように記しています。

 

「このクーデターの日の前にも、何度か劇場に火がつけられていたが、この日にすべてが終わった。劇場は全焼し、全員が逮捕された。サアディ劇場は、後にサアディ映画館に変わった。とにかくそのときにすべての人が逮捕された。メイクアップアーティストまでも。それからガスル刑務所に3ヶ月から4ヶ月も拘束された」

 

しかし、今年の8月19日、エンテザーミーは生涯を終えました。ここからは、エンテザーミーの生涯についてお話しましょう。

 

エッザトッラー・エンテザーミーは、1924年にテヘランに生まれました。彼は初等教育を終えた後、テヘランの工業芸術学院に入り、電気学を学びました。彼が演劇を学び始めたのは14歳の頃からで、数年後にはドイツに行き、ハノーファーで映画や演劇を教える夜間学校に入学しました。

 

エンテザーミーは、演劇に関する教育課程を終えてテヘランに戻りました。当初は映画の吹き替え、演劇、テレビス出演といった活動を行っていましたが、1969年に勉学を続けようと決意し、入学試験を受けずにテヘラン大学美術学部の演劇学科に入学しました。大学を卒業後、数年間は大学で演劇を教えました。

 

イラン映画の名作、「牛」の監督を務めたダーリユーシュ・メフルジューイーは、エンテザーミーの才能を見出し、育てた人物です。そして、エンテザーミーをこの映画の主役に選びました。この映画は、イラン映画界の傑作のひとつとして知られ、脚本、監督、演技といった点でいずれも高い評価を得ています。現在、この映画が制作されてから50年近くが経過しますが、イランの映画界にその名を残す作品となっています。

 

エッザトッラー・エンテザーミーは、1979年のイスラム革命前までは15本、革命後にはおよそ40本の長編映画に出演しました。最後の出演作となったのは、モハンマド・ボゾルグニヤー監督の「青のシルクロード」でした。

 

エンテザーミーは、映画界以上に、演劇界で知られており、何年もの間、演劇には出演していなかったものの、彼の名はイランの演劇の歴史と共に存在します。

 

エンテザーミーは、数十ものテレビ番組に出演し、数多くの演劇で監督を務めました。また、イランのほとんどの地域を訪れて上演を行いました。また、数多くの映画作品にも出演し、国内外のフェスティバルで数々の賞を受賞しました。

 

エンテザーミーは、イランの著名な音楽家であるマジード・エンテザーミーの父親です。

エッザトッラー・エンテザーミーと息子のマジード・エンテザーミー

 

エンテザーミーは、多くの芸術活動を行い、輝かしい功績を残しました。エンテザーミーは生涯を通して、さまざまな機会や能力を活用し、数十年もの間、常に注目を浴び続け、その人気は衰えませんでした。

 

エッザトッラー・エンテザーミーは、亡くなる直前まで非常に元気した。公開された多くの写真や映像は、彼が自分の情熱や感情について力強く話す姿をあらわしています。

 

エッザトッラー・エンテザーミーは、肉体の言葉をよく理解し、どのようなジャンルの役もこなしていました。また、美徳を備え、優しい心と鋭いまなざしを持っていました。明らかに、エッザトッラー・エンテザーミーは、イランの国民的な俳優であり、文化と芸術の財産とも言える人物です。

 

エッザトッラー・エンテザーミーの生涯を描いた書籍が、5年前に出版され、その中では、この優れた俳優の芸術・文化活動の歴史が、有識者によって分析されています。この本の序章には、フランスの著作家、脚本家、俳優のジャン・クロード・カリエールによる覚書が掲載されています。そこには次のよう記されています。

エッザトッラー・エンテザーミー

 

「スターになるため、あるいはスターであり続けるための方法は存在しない。存在感と魅力を備えておくべきである」

 

エッザトッラー・エンテザーミーは、生前に何百万人というファンの心を捉え、ふさわしい地位を獲得した、イランの数少ない芸術家の一人です。彼が亡くなった今も、多くの作品や映画、博物館などによって、エンテザーミーの活動や記憶を思い起こすことができます。

 

博物館“エンテザーミーの邸宅”は、テヘラン北部にあります。この建物は、その名前からも分かるように、かつてのエンテザーミーの住まいでした。

 

エンテザーミーは、この邸宅が博物館として開館することになったとき、式典の中で次のように語りました。

 

「少し前まで、ここは私の住まいだったが、今は演劇を愛するすべての人の家である。私の家は生き生きとしている。それはあなた方がここにいるためだ」

 

この美しい邸宅は、レンガの壁と多くの植物に囲まれ、イスラム革命後にテヘランのシティーシアターで上映されてきた演劇のポスターや、エンテザーミーが受賞した賞の数々が飾られています。

 

 

ラジオ日本語のフェイスブックもご覧ください。

https://www.facebook.com/ParsTodayJapanese

タグ