光の彼方への旅立ち、ルーム章(10)
コーラン 第30章 ルーム章 ローマ 第43節~第46節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第43節
「そこで、[全身で]この確かな宗教に顔を向けなさい。神からの立ち返る道が存在しなくなる日が来る前に。その日、[人々は]グループに分けられる」(30:43)
(43) فَأَقِمْ وَجْهَكَ لِلدِّينِ الْقَيِّمِ مِنْ قَبْلِ أَنْ يَأْتِيَ يَوْمٌ لَا مَرَدَّ لَهُ مِنَ اللَّهِ يَوْمَئِذٍ يَصَّدَّعُونَ
イスラムの特徴のひとつは、人間の本能や理性と調和が取れていることです。そのため、この節では、イスラムが、確かな基盤に基づいていると同時に、人間の個人的、社会的なすべての側面にとって利益となる事柄を含む宗教として紹介されています。とはいえ、宗教の恩恵がイスラム社会のすべてを含むものとなるには、全身全霊をかけてそれに向かい、生活のすべての面で、イスラムに基づいた行動をするときです。自分の欲望のままに、宗教の一部を取り入れ、一部は取り入れない、というのでは、その効果や恩恵を期待することはできないでしょう。
もし人間が、現世の機会を短いもの、考えているよりもずっと早く終わってしまうものと考え、その機会を、後悔のないように最大限に活用しようとするでしょう。最後の審判の日の特徴のひとつは、人々がその日、グループごとに分けられ、敬虔な人間と不信心者、逸脱した人間は、それぞれ、別の道を歩むことになる、ということです。
第43節の教え
● 宗教とその教えへの注目は、一時的に、あるいは何かのついでに、というのではなく、真剣かつ包括的なものでなければなりません。
● 社会を道徳的、社会的な害悪から救うのは、あらゆる面で宗教の教えに従って行動することです。
第44節
「誰も不信心に走れば、その人自身が損害を蒙る。また誰でもふさわしい行いをする者たちは、[永遠の幸福を]自分のために準備する。」(30:44)
(44)مَنْ كَفَرَ فَعَلَيْهِ كُفْرُهُ وَمَنْ عَمِلَ صَالِحًا فَلِأَنْفُسِهِمْ يَمْهَدُونَ
第45節
「神は信仰を寄せ、相応しい行いをした人々に、その恩恵から報奨を与えてくださる。神は不信心者を愛されない]」(30:45)
(45)لِيَجْزِيَ الَّذِينَ آمَنُوا وَعَمِلُوا الصَّالِحَاتِ مِنْ فَضْلِهِ إِنَّهُ لَا يُحِبُّ الْكَافِرِينَ
前の節では、「最後の審判の日、人々は散り散りになり、グループに分けられ、敬虔な人間と不信心者がより分けられる」と語っていました。この節は次のように語っています。「この懲罰と報奨は、人間の現世での自分自身の行いの結果である。不信心は損害をもたらし、地獄に突き落とすが、信仰とふさわしい行いは、天国での平穏とやすらぎにつながる。不信心者は、その人の醜い行いや不信心の度合いに応じて懲罰を味わうが、敬虔な人間は、善い行いの報奨を受け取るだけでなく、神の特別な慈悲と恩寵にあずかる。不信心者はこうして、自分の手で報奨を手放している」
第44節~第45節の教え
● 人間が信仰を持とうと、不信心に走ろうと、それが神に利益や損害を与えることはありません。その人自身の利益や損害になるだけです。
● 不信心者に対する神の扱いは、正義に基づいたものであり、信仰を持ち、善を行う人間への接し方は、神の恩寵に基づいています。
第46節
「神の[力と英知の]しるしのひとつは、[雨の訪れを]知らせる風を送ることである。これにより、神の慈悲をあなた方に味わわせる。また、神の命によって船を動かし、あなた方が神の恩恵を求めさせる。恐らくあなた方は感謝するであろう」(30:46)
(46)وَمِنْ آيَاتِهِ أَنْ يُرْسِلَ الرِّيَاحَ مُبَشِّرَاتٍ وَلِيُذِيقَكُمْ مِنْ رَحْمَتِهِ وَلِتَجْرِيَ الْفُلْكُ بِأَمْرِهِ وَلِتَبْتَغُوا مِنْ فَضْلِهِ وَلَعَلَّكُمْ تَشْكُرُونَ
この節は、再び、この節のはじめにでてきた唯一神信仰の節に戻り、世界の創造の調和に基づていることに触れ、次のように語っています。「もし、天と地、あるいは、大地の上で常に見られる、風や雨などの自然現象に注目すれば、世界の創造者が唯一であること、その神の英知と力を理解するだろう。また、神はこの、風と雨という2つの簡単な現象によって、植物や動物、人間などの生き物に生命を与え、それらが必要とするものを、あらゆる場所で彼らに与えている。農業と畜産業は、人間の2つの重要な栄養の源であるが、それも風と雨の恩恵にさずかっている。これらの生産物を運ぶための最良の手段は、昔も今も、船である。船は海を航行して世界のすべての地点に行くことができる。だが残念ながら、多くの人々は、この神から与えられた大きな恩恵に注目していない。彼らは自然現象が、自然に発生したのではないことを知っている」
コーランは、イスラム教徒に対し、過去の民の歴史を研究したり、現在の一部の民の生活を目にしたりすることで、社会における堕落や罪の結果に注目するよう勧めています。イスラム教徒は、人々が目覚めて罪を繰り返さないようにするため、神が、人々の行いの結果の一部を現世で味わわせていることを知るべきです。
第46節の教え
● 風は、地球上で雲を移動させる要素であり、これは空気によって乾いた地点に水をもたらし、乾いた大地を潤します。
● 海上の船の移動は、実際、神によるものです。なぜなら神は、自然の法則を定め、船が海上を移動できるようにしているからです。そのため、この法則は、大きな船を水の上に浮かばせています。それらは、最低限の費用によって長い距離を移動し、大量の賞品や人々を移動させることができます。
● 合法とされる日々の糧を手に入れるための努力は、コーランで勧められている事柄のひとつです。とはいえ、人間は、手に入れるものに対して神に感謝し、それを、自分の行動や知識によるものではなく、神からのものだと考えなければなりません。