2月 03, 2019 15:56 Asia/Tokyo
  • ヘジャーブと自由
    ヘジャーブと自由

イスラム教徒女性の装いであるへジャーブ、現在このヘジャーブはさまざまな社会の中で、多様な見方に直面しています。

イランの女性の歴史を振り返ると、イランの人々は歴史の中で豊かで確かな文化を享受していたことが分かります。イランの人々は、常に自国の文化に即した服装を身につけ、肌を見せびらかさない、ということを重視してきました。イランの人々の服装は、彼らの文化的な決まりごとや社会的な地位を示してきたと言えます。女性の覆いの遵守や適した服装の選択は文化的な要素のひとつであり、あらゆる民族がそれを守ろうと努力し、その社会の社会的、文化的な価値観を示すべきものとなっています。

 

イランの女性たちも、幸福の宗教としてイスラームを受け入れた後、イスラーム的な装いやへジャーブを受け入れました。そして、イランの現代史における「へジャーブ撤廃」などの陰謀に対しへジャーブを保護するために闘いました。なぜなら、へジャーブはイスラム女性の人格や貞節を守るものだと考えているからです。

ヘジャーブ

 

イスラームでは、女性はへジャーブを守るべきだとされています。クルアーンの節や、預言者ムハンマド(SAW)やイマームたち(AS)の言葉の中で、へジャーブを守ることが強調されています。そのため、理性的にも、またイスラム法学者の見解でも、へジャーブは不可欠なものとされています。

 

コーランのいくつかの節は、へジャーブが不可欠であることの根拠を説明しています。クルアーンでは10以上の節で、女性の貞節さや領域を守ることについて述べています。クルアーン第33章アルアハザーブ章部族同盟、第59節には次のようにあります。

 

「預言者よ、自分の女性たちや、敬虔な女性たちに言え。『丈の長い覆いを深くかぶりなさい。これは召使いや穢れた人々から知られ、嫌がらせを受けることがないようにするためである』」

 

 

一部の人々は、へジャーブは強制的なものであり、女性の成長や発展を阻害するものだと考えていますが、現在、どのような服装を身につけるかは本能的な問題であり、人間の精神の健康に直接、関係があることが証明されています。へジャーブは女性にとって、本能的な規則であり、本能的な規則を破れば、女性は自分の人格を否定することになります。

ヘジャーブ

 

一部の社会学者は、女性のへジャーブは、人類社会の当然の要求だとしています。フランスの哲学者、モンテスキューは、次のように記しています。「自然の法則により、女性は控え目であることが求められる」 なぜなら、女性の方が男性よりも、自らを律する力を持つ形で創造されているからです。そのため、男女の違いはへジャーブによって打ち消され、この原則に従い、世界の人々は、女性は貞節や覆いを持つべきだと考えているのです。

 

心理学による研究から、女性の覆いは精神的な問題に根ざしており、女性の精神的な成長に不可欠であることがわかっています。男女の覆いにおける違いを、男性の優位、男女の権利の不平等を示すものだと考える人々は、男女の精神的な成長に不可欠な事柄が、一定の段階からは異なるものになる、という事実を考慮に入れていません。欺瞞的なプロパガンダとは異なり、女性にとって適した服装とは、その成長段階ごとに異なっており、人間の本能に基づいたものとなっています。

 

恐らく、そのために、自分に自信のない人は、過剰に自分を着飾り、内面の美しさだけでは不十分だと考えます。それに対し、見識が高く、社会的に好ましい地位に立つ男女は、つつましい外見を持っています。

ヘジャーブ

 

注目すべきなのは、イスラムでは、女性は家庭の中で、夫から注目されるべきであり、夫婦の生活に必要なすべての魅力を夫のために利用すべきだと強調されている点です。クルアーン第33章アルアハザーブ章部族同盟、第55節には次のようにあります。

 

「また、女性たちは、父親や子供たち、兄弟や兄弟の子供、姉妹の子供、イスラム教徒の女性、自分の召使たちの前では、[覆いがなくても]恐れることはない」

 

 

こうした中、女性が社会に進出すると、女性としての側面が失われ、一人の人間として、さまざまな分野で活躍するようになります。イスラムが奨めるへジャーブは、女性の尊厳が尊重された上での社会進出を可能にするものです。イスラムが、女性の社会進出を考慮していなかったら、へジャーブの範囲を決める必要はなかったでしょう。へジャーブは、社会に健全に進出するための手段なのです。

ヘジャーブ

 

へジャーブと自由は、互いにどのような関係にあるのでしょうか。それを知るためには、まず、シーア派初代イマーム アリー(AS)の次のような言葉に注目しましょう。イマーム アリー(AS)は、息子のシーア派2代目イマーム、ハサン(AS)に宛てた手紙の中で、次のように語っています。

 

「自分の本質から、あらゆる穢れを解き放ちなさい。なぜなら、その本質の穢れや卑しさによって欲望を満たしたとしても、それは、失う尊い本質の代わりに、価値のないものを手に入れるだけだけだからである。他人に服従すべきではない。なぜなら、神は人間を自由なものとして創造されたからだ」

 

これにより、人間は、自分の意志を神の意志に沿わせるべきであり、神の要求の範囲に自由を限定させるべきです。人間は社会的な存在であり、人間は集団の中で、他の人々の意見に合わせると言われるかもしれません。その通りです。そのため、人間はおのずと、人々の自由や意志に関して境界を定めた法に従います。言い換えれば、人間に意志と行動の自由を与えているものが、社会や手段において、その意志や行動を制限し、こうして社会の健全性が保たれるのです。

 

イスラムでは、唯一神信仰と道徳に基づいて法が作成されているため、この枠組みの中で、自由が定義されています。人間は、自由と選択する権利を持っており、イスラム法で定められたすべての権利を享受しています。たとえば、イスラム法では、人間は知識を蓄えるために、好きなだけ前進することができ、この問題に関して自由であるとされており、イスラム体制も、この権利が享受できるよう、人々のためにあらゆる可能性を整えることが義務づけられています。

 

しかし、イスラム法を別の角度から見ると、さまざまな制限が設けられていますが、それらは実際、制限ではなく、社会を混乱から救うための要素となっています。その一つの例に服装があります。この服装は、イスラムの観点から、男女に関して述べられており、健全な社会生活を保障するために定めらています。

ヘジャーブ

 

現在、世界の文明的な国々にも、男女の服装に関する規定が存在します。裸の人、パジャマ姿の人が公共の場所を歩けば、社会の秩序を乱すものとして警察に連れて行かれます。これは、社会学の観点から、自由や人間の威信に反するものでも、圧制でもなく、理性に叶っていると見なされます。反対に、女性の服装は、イスラムが定めている範囲で、女性の尊厳を増すことになり、道徳を持たない人々の危険から女性を守るものになります。

 

このように、女性の自由は、思考力や理性を育てること、 知識のレベルを向上させること、社会問題への論理的な参加と教育上の責務を実行することによって実現されます。イスラムのへジャーブは、女性の尊厳を守り、敬虔さを強化させ、美徳を守る上での助けとなる上、女性の自由を制限するどころか、社会・教育活動への女性の積極的な参加を促すものです。

 

イラン人女性については、このような特徴が見られます。イランの女性たちは、イスラム革命の中で得られた価値のある地位に注目し、イスラム的な装い・へジャーブを守ることで、賞賛に値する発展の段階に至りました。イラン人女性の平均寿命は大幅に伸びており、学術活動において高い地位を有し、社会活動に積極的に参加しています。これは国際社会にも認められています。

 

イラン人女性の学歴の向上もまた、否定できない事実です。イランの女子学生の数はあらゆる学部で増加しており、学生全体の60%以上に達しています。この流れは博士課程においても同じです。

 

このように見ると、「イランの社会は、自由を手に入れるためにへジャーブの問題を克服しなければならない」とするのは、西側のプロパガンダであることがよく分かります。イランの高学歴の女性たちが問題としているのは、彼女たちの社会的な地位そして尊厳なのです。

ヘジャーブ

 

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