2月 20, 2019 14:54 Asia/Tokyo
  • マーシャ・エリーリーキナさん
    マーシャ・エリーリーキナさん

今回はエリーリーキナさんのイスラム教への思いについて、紹介することにしましょう。

マーシャ・エリーリーキナさんは、ロシア語圏では有名人です。彼女は数年前まで有名な女優として人々の話題になっていました。芸能界で名声の頂点に達し、多くのファンを獲得しようとしていたとき、多くの疑問を残したまま突然芸能界の引退を宣言しました。しかしすぐに「マーシャ・エリーリーキナはイスラム教徒となり、現世的ないつわりの輝きよりも、イスラム教徒の服装と信仰を優先させた」と伝えられました。

 

人生を安寧や肉体的欲求の枠内で見ている人々にとって、このニュースは信じがたいものでした。エリーリーキナさんは芸能界での人気と名声の絶頂期にあり、多くの契約や仕事の提案が殺到していた頃だったからです。しかし彼女はそのすべてをしりぞけました。彼女は西側諸国の映画が道徳的に腐敗し、内面的な価値から遠ざかっていることをよく理解しており、彼女はヘジャーブと純潔を選びました。彼女はヘジャーブを身につけ、学校での教育に従事しています。そして「偽りの美しさを誇示していた過去を嫌悪している一方で、今では幸福を感じています」と語っています。

 

美しさとそれを見せることへの興味は、人間の本質と精神に根源があります。なぜなら人間は自分を完成させる過程で、絶対的な美しさを求めるからです。預言者ムハンマドも「神は美しく、美しいものを好まれる」と述べられています。しかし、大切なのは、美しさを見せる場合と隠す場合をわきまえていなければならないということです。同じように、真の美しさと、虚飾や世の中に腐敗をもたらすものとを混同しないよう、美しさを見分けることも必要なのです。神は美しいものすべてを、真なるものや受け入れられるものである、とされてはいないのです。コーラン第15章ヒジュル章、ヒジル、第39節から第40節には、「神よ、私を道に迷わせた仕返しとして、物質的な恩恵で人間の心を飾り立て、神に対して誠実な人以外の人間を惑わせる」という神に対する悪魔の言葉が記されています。

マーシャ・エリーリーキナさん

 

美しさは、内面と外面を持つ一つの美徳として価値を広めるものです。ヘジャーブも精神的、また内面的な美しさで人間の内面的な価値と美徳を示すものなのです。ヘジャーブで女性の一部の外面的な美しさを隠すことで、外面的な美しさではなく内面的な美しさと人間性の完成がその人に備わる理由となります。エリーリーキナさんは現在ヘジャーブという美しさで身を飾り、深く内面的な美しさを手に入れようとしています。彼女はイスラム教を信仰することにより、本当の安らぎを経験することが出来ました。エリーリーキナさんは彼女自身のイスラムの入信について、次のように語っています。

 

「ある日私は、親しい友人が別の町で起きた事故で昏睡状態になった、ということを知りました。私はその友人をどうやって助けていいかわかりませんでした。私はその日初めて神に礼拝し、祈り、大いなる神に助けを求めたのです。後日その友達が私に連絡を入れてきて『私が気を失っているとき、あなたが私の前に姿を現して、大きな助けを施してくれた』と言ったのです。私はそれを聞いたとき、大泣きしました。つまり、私が人生の中で神に対して求め、神が私に与えてくださったのは、これが初めてだったからです。人間が神の方向に進むことが出来るのは、神の慈悲によるものであり、それは神の意思によってのみ実現できると、私は理解しています」

 

エリーリーキナさんは日常生活の中でイスラム教が有用であると考え、いくつもの宗教の中からイスラム教を信仰することを選択しました。彼女はこのように語っています。「イスラム教は他の宗教と比べ、ずっと強い基盤を持っています。生活に関するイスラム教の全ての戒律が有益なものであり、イスラム教という道は人々を幸福に導きます。イスラム教徒になったことに、幸せを感じています。今、私は昔の自分と今の自分を比較できる機会に恵まれているのです。私は今、本当の人生を知り、幸せです」

 

人間は常に自らの神に与えられた本質によって真実を追究し、この本質が必要とするものを満たすために、努力します。もしすべての人間が心の声に耳を傾け、それと共にあるようにするならば、神への崇拝と信仰が必要であると感じるようになります。新たにイスラム教徒になったエリーリーキナさんもまた彼女自身の生活の変化は、自分の本質からの声に対する答えが原因だとしています。また「全ての人間の本質と存在に、神を信仰したいという望みが置かれています。神は我々がただ食べるため、寝るため、そして死ぬためだけに、我々に思考力や知性をおあたえになったのではないと、私は確信しています。神は我々に、神に到達する機会をおあたえになりました。もしイスラム教に足を踏み入れようとしたいなら、思考し、自らの本質に助けを求めることだけをしなくてはなりません。私の神とイスラム教への信仰が、私の生活を変化させたのです」と語っています。

 

イスラム教では、女性も男性も同じように人間であり、それぞれ同等の権利を持っています。たとえイスラム教の中に、ヘジャーブのような形で女性を表面的に制限する戒律が存在しても、それは女性が社会を運営する能力や、社会の中での創造的な役割といった部分を無視しているわけではありません。イラン・イスラム共和国の建国者、ホメイニー師はイスラム教の中での女性の人間性について、次のように述べています。

 

「女性はすべての幸福の源である。女性による指導により、男性は天国にいたる。女性は社会の指導的な役割を持ち、諸国の幸福や不幸は女性の存在に関係しており、つまり社会の健全さ腐敗は、その社会の女性の健全さ腐敗が根源となっているのである」

 

エリーリーキナさんのようなイスラム教に入信した元非イスラム教徒は、生活における女性の価値ある役割を求め、ヘジャーブを精神的な安らぎと安心を生み出す重要な一要素として考えます。また、西側諸国の制約のない肌を露出した状態での安全は、脅かされて当然のものであると考えるようになります。エリーリーキナさんにとって、へジャーブと自由は別の意味を持っているものではありません。彼女は本当の自由について、ヘジャーブを遵守することと考えており、このように語っています「今、私にとって自由とはヘジャーブがないことを意味するのではありませんし、ヘジャーブが私に制限や制約をもたらすものでもありません。私にとって自由とは、取るに足らない価値のないものを求めることを自制するための努力であり、最高の価値を持つものやよりよいものを選択するための努力です。イスラム教は、”もし神について考えることができなければ、少なくとも欲望のくびきから己を解放し、欲望から来る卑しさをコントロールせよ”、と言っています。ここで言う卑しさとは、自己中心的な考え方、慢心、嫉妬、圧政、嘘、自己崇拝、自己顕示欲などです」。

 

エリーリーキナさんはイスラム教を受け入れたことで、さまざまな精神的な経験を積んできました。彼女はハッジに行き、その精神的な旅について次のように語っています「私がある日ハッジに行き、ザムザムの泉から最上のおいしい水を飲むことができるなどと、以前は夢にも思っていませんでした。私はイスラム教徒になってから2年がたちました。私はヨーロッパの5カ国の言語を使うことができ、現在は学校や大学で教える立場にあります。初めは、アラビア語を勉強するのはとても難しいことだと考えていましたが、勉強を開始し、私にとってそれは甘美な言語であると気づきました。アラビア語はコーランという優れた知識を理解するための重要な鍵である、と考えています」。

 

現在、エリーリーキナさんはイスラム教徒たちの善行と信仰が至高なる神に受け入れられ、神の恵みが彼らの家々に降り注ぐように望んでおります。また、イスラム教をまだ知らない人が、ほんのひと時でも我に返り、この時代の人々の目や耳を支配している、無意味で偽善的なプロパガンダの密林から抜け出し、自分の神について少しでも考えて欲しいと思っています。

 

 

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