光の彼方への旅立ち、ルーム章(12)
コーラン 第30章 ルーム章 ローマ 第50節~第54節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第50節
「そこで、神の慈悲のあとを見るがよい。死んだ大地をどのようによみがえらせるのかを。明らかに、彼は死者をよみがえらせる。神はすべてのことに全能であられる。」(30:50)
(50) فَانْظُرْ إِلَى آثَارِ رَحْمَتِ اللَّهِ كَيْفَ يُحْيِي الْأَرْضَ بَعْدَ مَوْتِهَا إِنَّ ذَلِكَ لَمُحْيِي الْمَوْتَى وَهُوَ عَلَى كُلِّ شَيْءٍ قَدِيرٌ
第51節
「我々が風を送り、黄色くなったそれを見れば、確かに彼らは不信心者となる」(30:51)
(51) وَلَئِنْ أَرْسَلْنَا رِيحًا فَرَأَوْهُ مُصْفَرًّا لَظَلُّوا مِنْ بَعْدِهِ يَكْفُرُونَ
前回の番組では、風と雨、そして大地やその住民に喜びをもたらす上でのそれらの役割についてお話しました。この2つの節は次のように語っています。「風と雨は、神の命に従って動き、その影響も神の手の中にある。神が望めば、雨は慈悲の源となり、風と共に、冬の間に死んだ大地をよみがえらせ、豊かな緑を広げるだろう。またもし神が望めば、厳しい風を送り、すべての農作物を乾燥させ、緑の葉を枯れ葉にすることもできる」
雨は、人間の生活や地球における生物の生命に多くの恩恵をもたらします。緑豊かな植物、清らかな空気、水をたたえた泉や河川、温暖な気候。これらは、雨という神の偉大な恩恵のほんの一角に過ぎません。しかし、この自然現象のみに目を向けるべきではありません。今日の物質的な世界から、死後の世界に目を向けてみましょう。そして、神は全能であり、最後の審判で、死者を蘇らせ、再び魂を吹き込むということを信じるべきなのです。
第50節と51節の教え
- コーランは、雨を神の慈悲とし、大地とその住民の生命の源であると表現しています。
- 雨が降って死んだ大地が蘇ることは、神が最後の審判を行い、死者を再び蘇らせる力を持つことのしるしです。
- 一部の人間は、苦難が訪れ、問題に対処する際、宗教や信仰を失い、不信心に走ります。
第52節
「[彼らの心は死んでいる。]そこで汝は[導きを]死人に聞かせることはできない。耳が聞こえない人々が、背を向けるとき、導きを聞かせることはできない。」(30:52)
(52) فَإِنَّكَ لَا تُسْمِعُ الْمَوْتَى وَلَا تُسْمِعُ الصُّمَّ الدُّعَاءَ إِذَا وَلَّوْا مُدْبِرِينَ
第53節
「汝は心を閉ざした人たちを迷いから導く者ではない。汝が言葉を届けるのは、我々の節に信仰を寄せ、[真理に]服従する人々のみである」(30:53)
(53) وَمَا أَنْتَ بِهَادِ الْعُمْيِ عَنْ ضَلَالَتِهِمْ إِنْ تُسْمِعُ إِلَّا مَنْ يُؤْمِنُ بِآيَاتِنَا فَهُمْ مُسْلِمُونَ
この2つの節は、人々を4つのグループに分類しています。第一のグループは、表面的には生きていますが、真理を理解せず、信仰を寄せない人々です。第二のグループは、預言者の導きを聞く用意がない人々です。彼らは真理の言葉に背を向け、それから遠ざかります。第三のグループは、真理を見る目を持たず、迷いに陥った人々です。そして第四のグループは、自分の目と耳で、真理を受け取り、それを受け入れようとする敬虔な人々です。彼らは真理を理解すると、それに服従します。
この2つの節は、“人間の肉体だけでなく、精神にも、生と死がある”というコーランの考え方を示しています。表面的には死んでいても、コーランから見ると生きている、神の道における殉教者のような人々もいれば、表面的には生きていても、コーランから見れば死んでいる人々もいます。彼らは道に迷い、神の導きの光を奪われています。
第52節と53節の教え
- 人間に真理の言葉を受け入れる用意がないとき、神の清らかな預言者の言葉でさえも、何の効果も及ぼしません。
- 真理を受け入れるために、目や耳、理性を持つだけでは十分ではありません。重要なのは、真理を受け入れる精神です。それは、人間が真理を見たり聞いたり、受け入れようとしたりするのを助けます。
- 真理に対して頑なになり、それに背を向けることは、人間を深くて危険な迷いへと陥らせます。そうなれば、そこから戻るのは難しくなります。
- 預言者や宗教の指導者たちの責務は、人々を導くことであって、人々に真理の受け入れを強要することではありません。
- 心で信じるだけでは、十分ではありません。行動においても真理に服従することが必要です。
第54節
「神はあなた方を無力のものとして創造し、その後、力を与え、力を得た後に再び老いて無力にされた。神はお望みのものを創造される。神は全知全能であられる」(30:54)
(54) اللَّهُ الَّذِي خَلَقَكُمْ مِنْ ضَعْفٍ ثُمَّ جَعَلَ مِنْ بَعْدِ ضَعْفٍ قُوَّةً ثُمَّ جَعَلَ مِنْ بَعْدِ قُوَّةٍ ضَعْفًا وَشَيْبَةً يَخْلُقُ مَا يَشَاءُ وَهُوَ الْعَلِيمُ الْقَدِيرُ
この章の内容は、神の恩恵と唯一神信仰のしるしが中心になっているため、この節は、人間が生まれてから死ぬまでのさまざまな段階に触れ、次のように語っています。「母親の胎内から生まれた後、数年は無力だが、青少年期に達すると力を手にし、老年期に再び弱まる。これらの段階は神から定められたものであり、あなた方はそれに全く関与しない。若年期の力も人間自身が得るものではなく、それを老年期まで保つことはできない」
第54節の教え
- 人間は生まれたとき、そして老いたときには力が弱まります。この力が弱まる2つの時期の間にある人は、この一時的な力の強さに高慢になってはなりません。また、強い力を持つ時期は短期間であるため、その価値を知り、その時期をふさわしい形で活用しましょう。
- 人間の弱い時期、力のある時期は、全知全能の神が英知に基づいて定めたものです。