4月 15, 2019 17:24 Asia/Tokyo

コーラン 第31章ルクマーン章 ログマーン 第7節~第11節

                                                                              慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第7節

「また、我々の節が彼に読まれるとき、彼は高慢さから背を向ける。まるでそれを聞いていないか、あるいは耳が聞こえないかのように。そこで彼には痛ましい責め苦を知らせなさい」(31:7)

(7)وَإِذَا تُتْلَى عَلَيْهِ آيَاتُنَا وَلَّى مُسْتَكْبِرًا كَأَنْ لَمْ يَسْمَعْهَا كَأَنَّ فِي أُذُنَيْهِ وَقْرًا فَبَشِّرْهُ بِعَذَابٍ أَلِيمٍ

 

前回の番組の最後にお話した最後の節で、次のように述べられています。「一部の人は、無意味な言葉を広め、人々を夢中にさせ、彼らが真理の言葉を追い求め、真理を受け入れるのを阻止しようとした」 これに続き、この節は次のように語っています。「このような人々は、コーランの節を聞こうとせず、ましてや、もし論理的であれば、それを信じるなどと考えることはない」

 

このような真理に背を向けることの原因は、彼らの高慢さにあります。彼らは、自分を預言者や敬虔な人間よりも優れた存在だと考え、彼らの言葉を聞こうともしません。当然のことながら、このような精神は人間を堕落させ、不信心に走らせ、やがては神の責め苦が下ることになります。なぜなら、その不信心は、神の節に対する知識のなさ、無知からではなく、高慢さからくるものであるからです。

 

第7節の教え

  • 高慢な精神は、真理の受け入れを妨げ、人間を迷いと崩壊に陥らせます。
  • 無意味な言葉に耳を傾けることは、真理の言葉を聞き、それを受け入れる用意を人間から奪います。

 

第8節

「信仰を寄せ、ふさわしい行いをした人々には、[天国の]恩恵に溢れた庭園がある。」(31:8)

(8)إِنَّ الَّذِينَ آمَنُوا وَعَمِلُوا الصَّالِحَاتِ لَهُمْ جَنَّاتُ النَّعِيمِ

 

第9節 

「そこに永遠に留まる。神の約束は真理である。神は、英知に溢れ、[決して失敗を犯さない]偉大な方である」(31:9)

(9)خَالِدِينَ فِيهَا وَعْدَ اللَّهِ حَقًّا وَهُوَ الْعَزِيزُ الْحَكِيمُ

 

以前にもお話したように、真理の言葉ではなく、偽りの言葉を追い求める人々がいます。そのような人々は不信心を広め、最終的に、神の懲罰が下されます。一方で、彼らに対し、神と最後の審判を信じ、相応しい行いをすることによって、神の偉大な報奨を得る人々もいます。

 

コーランの節を注意深く読んで聞く人々は、それについて考え、理解した上で、それを信じます。彼らは創造主である神に対して高慢になるのではなく、神と、その崇高な指示に従い、神の僕たちに対して謙虚に対応します。神はこのような僕たちに対して、永遠の天国を約束しており、その約束は必ず実現されます。なぜなら神は、英明で偉大であり、その約束が果たされないことはなく、軽率に約束を与えることもないからです。

 

第8節と9節の教え

  • 信仰だけ、あるいは善い行いだけでは、人間は天国に入ることはできません。善行を伴った信仰のみが、実を結ぶものであり、人間は永遠の幸福へと至ります。
  • 天国は、精神面と物質面を合わせた、神のさまざまな恩恵に溢れています。そのため、そこでは人間が疲弊を感じたり、落胆したりすることはありません。
  • 神の報奨や約束を信じ、それを他の人たちの約束と比較してはなりません。他の人たちの約束は、偽りだったり、果たせなかったりする可能性があります。

 

第10節

「また、彼はあなた方には見えるような柱を立てることなく天を創り、地上にがっしりとした山々を据えた。[大地が]あなた方を揺るがすことのないように。またそこに、あらゆる生き物を撒き散らし、天から雨を降らせ、そこにあらゆる価値の高い植物を生育させた。」(31:9)

(10)خَلَقَ السَّمَاوَاتِ بِغَيْرِ عَمَدٍ تَرَوْنَهَا وَأَلْقَى فِي الْأَرْضِ رَوَاسِيَ أَنْ تَمِيدَ بِكُمْ وَبَثَّ فِيهَا مِنْ كُلِّ دَابَّةٍ وَأَنْزَلْنَا مِنَ السَّمَاءِ مَاءً فَأَنْبَتْنَا فِيهَا مِنْ كُلِّ زَوْجٍ كَرِيمٍ

 

第11節  

「これが神の創造である。そこで、彼以外のものが何を創造したのかを私に示してほしい。圧制者は明らかに迷いの中にいる」(31:11)

(11)هَذَا خَلْقُ اللَّهِ فَأَرُونِي مَاذَا خَلَقَ الَّذِينَ مِنْ دُونِهِ بَلِ الظَّالِمُونَ فِي ضَلَالٍ مُبِينٍ

 

この2つの節は、創造における神の力の5つのしるしに触れています。目に見える柱のない、天や天体という壮大な秩序、大地に安定をもたらす壮大な山の創造、陸と海、空におけるさまざまな生き物の創造、雨、植物の生育、これらは皆、ひとつの根拠に基づいており、その根拠とは、創造主である神の無限の力であり、それを神と共に行う人物やものは存在しません。

 

この2つの節では、目に見えない柱について触れています。その柱のおかげで、天体は軸からぶれず、バランスを保つことができています。この2つの節ではまた、大地を揺れから守るための、山々の重要な役割に触れています。これらは、コーランの科学的な奇跡の例と見なされています。興味深いのは、これらの内容が、それに関するわずかな情報も存在しなかった時代に提起されていることです。

 

創造世界における神の明らかなしるしの存在にも拘わらず、残念ながら、一部の人々は、無知から、あるいは誤った考え方から、神以外の人やものを、神と同等に据え、それらが自分たちの運命に影響を及ぼすと考えています。そして、創造世界の措置の一部をこれらの人やものが担っており、神からそれが委ねられていると考えているようです。そのため、この節は続けて、次のように語っています。「あなた方が神と同等の存在と見なす者の中に、自然現象の創造において神を助けた者がいただろうか?ハエや蚊を創造する力さえないというのに、天や植物を創造することなど、決してできないだろう」

 

この節は終わりに、人間が、神によって創造されたものと神と同等に据え、神を崇拝する代わりに、それらの神以外のものを崇拝することは、自分自身や神に対する圧制であるとしています。

 

第10節と11節の教え

  • 天体における何億という星の存在は、創造主である神の力のしるしであると同時に、それを、目に見えない柱と関連付けているコーランの奇跡を示しています。今日、それは引力と解釈されています。
  • 水や土、植物や自然は神にとって価値のあるものです。人間もまた、周囲の環境を価値のあるものと見なし、その神から預けられたものを大切に扱いましょう。
  • 神を知るための方法のひとつは、神とそれ以外のものの力を比較することです。
  • 神以外のものを求める人々は、圧制に陥ります。圧制は、彼らを正しい道から逸脱させます。