9月 28, 2019 13:48 Asia/Tokyo
  • ギヤーソッディーン・ジャムシード・カーシャーニー
    ギヤーソッディーン・ジャムシード・カーシャーニー

ジャムシード・カーシャーニーがイランの高名な天文学者、数学者で、西暦1388 年ごろに当たるイスラム暦790年にイラン中部カーシャーンで出生したことについてはお話しました。彼は『ハーガーニー天文表』という天文学における貴重な著作を記し、それをティムール朝のウルグ・ベクに贈呈した後、現在のウズベキスタンにあるサマルカンドに招かれました。サマルカンドは当時、学問、思想における重要な中心地でした。カーシャーニーはサマルカンドに滞在していた時期、自分の命をささげた、この町の天文台を建設しただけでなく、貴重な著作を執筆しました。

カーシャーニーは西暦1429年7月1日(=イスラム暦832年ラマザーン月19日)に、42歳の若さでサマルカンド天文台で何者かによって殺害されました。おそらくウルグ・ベクの指示によるものだったと思われます。この偉大なイランの学者が非業の死を遂げた後、サマルカンドの学術機関やサマルカンド天文台の活動は次第に停滞し、学問の拠点としての地位を永久に失ったのです。

研究者は数学におけるカーシャーニーの発見に対して、一致した見解を持っています。彼は聡明な数学者であるとともに、発明家で、評論家であり、また深遠な思想を持ち、自分より前の時代の数学者の功績を知っている人物です。複数の研究者が認めているように、彼は計算の技術や数学における概算の形式に精通していました。このため、カーシャーニーはイスラム時代における最も優れたイランの数学者と言えます。彼は、数学の分野でいくつかの重要で新たな業績を確立しました。それは、小数16位までの計算や、小数の概念の発見と紹介などです。

私達は、イランの優れた学者であるカーシャーニーを、数少ない天文学者のうちの一人として認識する必要があります。彼は、常に多くの客を呼び込む職業的な星占いなどに手を出すことはありませんでした。彼は天文学に関して多くの事柄を発見・発明しました。彼が発明した太陽や月との距離を測る装置は、その使用法が著作の中で説明されています。全ての研究者がこれに関して認める重要な点とは、カーシャーニーがこの本の中で、ドイツの天文学者ケプラーより200年前に、月と水星の軌道が楕円形であるとしていたことにあります。

カーシャーニーは42歳で早すぎる死を遂げたにもかかわらず、学問や思想を学ぶ人々のために多くの著作を残しました。ここからは、その一部を紹介することにしましょう。

『天の階梯』は、西暦1406年ごろにあたるイスラム暦809年、カーシャーンで執筆が完了したアラビア語の著作です。カーシャーニーはこの論文の中で、地球、月、太陽、惑星、そのほかの星の直径と地球からの距離について語っています。カーシャーニーはこの論文の序の部分で、また『計算法の鍵』の中で、この本を記した理由は、星の大きさや体積、そして星座の位置を特定する上での先人たちの見解の対立や、問題を解消することだとしています。

カーシャーニーが記したそのほかの天文学書には、『天文学概要』があります。この本はペルシャ語で記され、イスラム暦813年、つまり西暦1410年ごろ、或いはそれ以前にカーシャーンで執筆を終えており、エスキャンダル・バハードゥル・ハーンという人物に贈呈されました。この論文では、月や太陽、そのほかの星がどのように運行しているかが述べられています。

そのほかには、先に名前を挙げた、『ハーガーニー天文表』があります。これは、『イルハン天文表』を完全にしたものです。カーシャーニーはこの本の執筆を1413年ごろ、イスラム暦816年にカーシャーンで終わらせており、ウルグ・ベクにこれを贈呈しています。「ハーンの天文表」というこの本の名前から伺えるように、これはナスィーロッディーン・トゥースィーが作成した、『イルハン天文表』を修正し、補完するために制作されました。この天文表はペルシャ語で記され、暦や三角法、数式的な天文学、天文学の法則などが記され、6章立てとなっています。この天文表はウルグ・ベク天文表の元となり、この天文表におけるカーシャーニーの計算方法は、三角法や計算における彼の後の業績に基づいています。

天文表とは、天体に浮かぶ星の位置について書かれた書物を指します。この書物には、ある決まった場所における、1年のうちの様々な時点での日の出や日没の時刻、月や惑星などの出現に関する情報が一覧表で記されています。天文表は、天体の星星の位置を知り、これらを観測したり、また暦の作成や昼と夜の長さを特定したり、天文学的に必要な方角を定める上でも使用されています。

昔から、優れた天文学者、あるいは天文台は全て特定の天文図を記し、以前の天文図を修正しており、それらの多くは王や支配者の名前がつけられてきました。現在、このような天文図の写本は博物館に保管されています。今日も学術的、天文学的に活用するため、昔と似たような天文表が作成されていますが、これらは万全を期して非常に正確に作成されています。天文図、すなわちズィージという単語は、ペルシャ語で天文表或いは暦の意味に関係がある、ズィーグという言葉がアラビア語化したものではないかとされています。

そのほか、カーシャーニーの貴重な著作の中に、『天体観測機材の説明に関する論考』があります。彼はこの著作を西暦1413年ごろのイスラム暦816年、ペルシャ語で記し、イラン中部イスファハーンの行政長官、ソルターン・エスキャンダルに贈呈しました。おそらくイスファハーンで記されたと思われるこの著作で、カーシャーニーは自分が発明した8つの天体観測機について説明しており、その制作方法をこの本に中で記しています。

カーシャーニーは、西暦1415年ごろにあたるイスラム暦818年、そのほかに自分の発明した天体観測機について、その制作方法を解説した別の著作をカーシャーンにて、アラビア語で記しました。彼はこの中の第1章、第2章で、一部の計算とその証明に関して説明すると共に、月や水星の軌道が楕円であると提示しています。彼はまたこの中で、自分が発明したある機材について説明しています。この機器によって、太陽、月、5つの星と、それらと地球の間の距離を示し、日食や月食の時期を予測できるということです。この本の終わりでは、さらに彼の発明した別の機材についても説明されています。

カーシャーニーは数学においても、学問や思想を愛する人々のために、信頼性のある著作を残しています。彼はイスラム暦827年、西暦1424年頃、サマルカンドでアラビア語による数学書『円周論』の執筆を終えました。この本は数学におけるカーシャーニーの重要な業績のひとつで、古典的な円周率の計算方法について扱っています。ヨーロッパの数学の歴史を専門とする歴史家は、この作品を計算技術における傑作としています。この本の特性で最も重要なのは、単純な計算方法を活用していることで、かつ正確なことです。

カーシャーニーが執筆したそのほかの数学書には、『計算法の鍵』があります。この著作の執筆には6年以上を要しました。カーシャーニーはイスラム暦830年、西暦1427年サマルカンドでこの本をウルグ・ベクに贈呈しています。この本はアラビア語で、教科書として執筆され、学術機関において、シェイフ・バハーイーの『計算概要』の後で教えられていました。

 

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