12月 07, 2019 13:36 Asia/Tokyo
  • ナジモッディーン・クブラーの墓
    ナジモッディーン・クブラーの墓

今回も前回に引き続き、12世紀の神秘主義者で、クブラウィーヤ教団の創始者、ナジモッディーン・クブラーについてお話しすることにしましょう。

では、クブラウィーヤ教団とはどんな神秘主義教団なのでしょうか。今回はクブラウィーヤ教団についてお話します。

ナジモッディーン・クブラーが1145年にホラーサーン地方のヒヴァで生まれ、そこで初等教育を修めた後、さらに学ぶために旅をし、最終的に1179年ごろに師の指示で生まれ故郷に戻り、弟子たちの教育に従事するようになり、クブラウィーヤ教団を創設し、1221年にモンゴル軍の攻撃の中で殉教したということについては、前回までお話しました。

クブラーの時代は、神秘主義の時代とすることができます。クブラウィーヤ教団の思想は、イランの神秘主義の中で最も基本的な神秘主義思想であり、その影響の範囲はホラーサーンやトランスオクシアナからシリアや小アジア、中国までに及びました。

一部の研究者は、神秘主義、特にイランの神秘主義は、クブラー以降、非常に拡大したと考えています。彼は二つの特性を有していました。第1に、クブラーは神秘主義の深い思想や感性を雄弁な言葉で語りました。第2に、弟子たちに知的な忠告を行ったことです。それらの忠告は、弟子たちの生活において拠り所となるものでした。

イスラム法や外面と内面を分けないことを大いに強調すること、神秘主義者の慣習や服装の必要性、指導者に従うことの必要性、神の名を唱えることの重要性、沈黙の重要性なども、クブラウィーヤ教団の教義の一部となっています。

クブラウィーヤ教団の重要な教義のひとつに、神の名を唱えることがあります。クブラーは新人の弟子のために、教団における10の段階について説明しており、この段階を経ることで、神の英知に到達できるとしています。クブラウィーヤ教団では、常に神の名を唱え、断食を行い、師による指導を受けることなどが、重要だとされています。こういった信条により、神の指示や要請に抗ったりしてはならず、来世や天国の恩恵を享受するために礼拝や崇拝行為に努めるべきではないとされています。

クブラウィーヤ教団の基本は、ズィクル、つまり神の名を唱えることであり、これは神秘主義者の精神的な性質の基本だとされています。神は一部の言葉をコーランの中で神聖なものだとしています。神秘主義者の考え方では、コーランを読むことや礼拝をする、神の名を唱えるといった行為は、すべて神をたたえる崇拝行為です。しかし、クブラウィーヤ教団などの神秘主義教団では神の名を繰り返し述べることは、特別な崇拝行為とされています。これにより、神の名を唱えることは、祈祷を行ったり、そのほかの崇拝行為を行うこととは異なります。祈祷は通常、何かを望むことですが、ズィクルでは、神の名をアラビア語で唱え、コーランやハディースの特別な言葉を述べることのみを意味します。ズィクルはこの意味で、神を忘れないよう神の名を唱え、神を思い出すということなのです。実際、ズィクルはこれを行っている人が、神以外のことを忘却することです。

預言者イブラーヒームの一神教では、神は至高なる清浄な存在で、人間の理解を超えていますが、人間は個人的に、祈祷やズィクルにより、神と相互的な関係を築くことのできる存在であり、神秘主義者は、特に心からのズィクルを、神と直接、意識的に向かい合うことだとしています。

神秘主義者は、神はその名の中に隠れて存在すると考えています。神の元にたどり着くため、神秘主義教団に入った後、師の指導の下で、神の名を唱えるズィクルを始めます。神は終わりのない存在で、クブラウィーヤ教団の神秘主義者によれば、人間は、その永遠性に直接触れることはできないものの、その永遠性の象徴に注意を傾けることで、その永遠性の中に入りこんでいくことができ、神と合一することを求めているのです。

破滅の要因となるのは、人間の内面的な事柄における問題であり、聖なる神の名を唱えるだけで、精神と思考を集中することで、心が清らかに保たれます。クブラーは次のように語っています。「神の名を唱える時、それ以外のものを念ずれば、それらは自らを滅ぼすものとなる。」

イスラムの重要なズィクルのひとつである「アッラーのほかに神はなし」あるいは神である「アッラー」という言葉は、そのほかの神を表すことばより高く位置づけられています。クブラウィーヤ教団では、「アッラーのほかに神はなし」という言葉を唱えることが強調されており、この教団の団員すべてが、その重要性を語っており、弟子もそれに従っています。

イスラムでは「アッラーのほかに神はなし」と唱えることは、すべての宗教的な教え、つまり、唯一神信仰を意味し、「ムハンマドは神の預言者である」という信仰告白と共にイスラム教徒であるための条件となっています。実際、コーランとそのほかのイスラムの教えは、この「アッラーのほかに神はなし」を拡張したものであり、その中心的な原則は、すべて宗教的な教えであり、クブラーによるこのズィクルの強調は、このためです。彼は、「アッラー」は重要な目標であり、アッラーとつながることは、神以外のものの否定だと考えています。

神秘主義者は、人間は神と結んだ永遠の約束を忘れており、ズィクルは神との約束を思い起こすものだと考えています。クブラウィーヤ教団においては、このズィクルは光となり、心を光ある本質へと戻すと考えられています。ズィクルは言葉上のものと心の中のものの2つに分けられ、クブラウィーヤ教団では、心の中でのズィクルをより高いものだとしています。精神的な段階にあわせて、様々なものがあり、ズィクルを唱えるものは神と合一し、その結果、神に到達するのです。

 

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