イランの名声、世界的な栄誉
ガザーリー・マシュハディ(2)
今回も前回の続きとして、ガザーリー・マシュハディについてお話しすることにしましょう。
ガザーリー・マシュハディは16世紀のイランの詩人で、サファヴィー朝の状況が詩作に好ましくなかったことから、インドに移住し、そこで生涯をすごしました。それでは、どうぞ最後までご一緒ください。
ガザーリー・マシュハディは、サファヴィー朝の王タフマーセブの宮廷で、詩人として高い地位を得ていましたが、インドでイランの詩や芸術が盛んになり、詩人が栄誉を得ていたことから、多くのイランの芸術家と共に、インドに移住しました。
ガザーリー・マシュハディの生涯については、あまり多くのことが記されていません。彼は1523年ごろから1530年ごろ、マシュハドで生まれたとています。幼少時代にマシュハドで教育を受け、若い頃から詩を作っていました。また、神秘主義的な思想の傾向も見られました。彼はその詩の才能により、一時期タフマーセブ王の宮廷にいましたが、若い頃から、サファヴィー朝時代の支配体制の状況により、インドに移住しました。ガザーリーがインドに赴いた時代は、ムガル朝がインドを支配していました。
各国の歴史家によれば、ムガル朝時代は、ペルシャ語の文学と文化が広まり、イランの詩人がインドに移住し始めた時期でした。この移住の理由とは、詩人が注目されないサファヴィー朝の宮廷に好ましくない状況と、ペルシャ語詩に特別な関心を寄せていたムガル朝の王による移住の奨励でした。例えば、2代目の王、ホマーユーンはイランに滞在していた1年間、イラン人の詩人や作家に、インドに移住するよう奨励していたのです。
ムガル朝の一族は、インドにおけるペルシャ語とペルシャ文化の普及に大きな役割を果たし、また、ペルシャ語やイラン文化を愛していました。
初代の王、バーブルは、ティムールの子孫で、インドを支配し、その後、息子のホマーユーンが、ついでその息子のアクバルが即位しました。ムガル朝のペルシャ文学とイラン芸術に対する関心は、アクバルの時代に頂点に達しました。
アクバルは1556年から1605年まで、統治を行っていました。彼の時代は、サファヴィー朝のタフマーセブ王の統治時代、そしてアッバース1世が即位した時代にあたります。
ガザーリーは若い頃に、すでに、詩人として認められ、タフマーセブ王の宮廷に仕えるようになりました。しかし、異端という誹謗中傷により、インドに入った後、仕事において成功を収めることはできませんでした。イランの文学者アフマド・ゴルチーンマアーニーは、著書の中で次のように記しています。「ホラーサーン地方からイラクに、そしてファールス地方に行った後、そこから海路でインドに行きたいと考えた。一時期は、おおよそ信用されず、何の成功も得られなかった」
ガザーリーははじめ、デカン高原に行きましたが、アリー・ゴリー・ハーンという、インド北部のジョウンプルの地方長官だった人物が彼の価値を認めるまでは、成功することはありませんでした。ガザーリーはアリー・ゴリー・ハーンとともに名声を得て、彼の詩人としての名声は、現在のインド・パキスタン全域に広がりました。
当時、「ハーン・ザマーン」、つまり今をときめく貴族と呼ばれていたアリー・ゴリー・ハーンは、ムガル朝のアクバルに殺され、ガザーリーもアクバルの配下に捕らえられたといわれています。ここでガザーリーはアクバルに目をかけられ、ムガル朝の宮廷でマレコッショアラー、つまり詩人たちの王という地位に到達しました。ガザーリーは、生涯の最後の6年間を、文学を愛するアクバルの宮廷の中で過ごしました。
ガザーリーは、ムガル朝において、詩人の王という地位に到達した最初の詩人で、1572年12月13日にインド西部グジャラート州のアーメダーバードで突然、死去しました。アクバルの命により、王族や高い位の人物の墓所に葬られました。
イランの名声、世界的な栄誉は、IRIB国際放送ラジオ日本語よりお届けしています。今夜の番組では、16世紀の詩人、ガザーリー・マシュハディについてお話しています。
ガザーリー・マシュハディは多くの韻文や散文による作品を残しました。彼の作品の量から、彼を詩人の中で最も精力的に創作活動を行った人物とすべきでしょう。ガザーリーのすべての作品は大英博物館に保管されており、また、彼の一部の作品は序文を含んでいます。そのほか、散文体の作品も残されています。イラン現代の文学研究者ザビーオッラーサファー博士は、彼の神秘主義的なマスナヴィー形式の作品は、神秘主義的な愛を描いたものだとしています。また、このほかにもマスナヴィー形式の作品が存在します。
ガザーリーの作品の中で最も多いのは、韻文による作品です。大英博物館に収蔵されている彼の詩集では、多くのイランの詩人と同じように、いくつかの韻文で始まり、神に対する感謝と、預言者と唯一神に対する賛美が行われています。1559年、つまりガザーリーが30歳ごろに完成したこの詩集は、若い頃の詩で構成されています。
ガザーリーのもうひとつの詩集は、タフマーセブ王、アリー・ゴリー・ハーン、そのほかの貴族を賞賛した頌詩が含まれています。また、アクバルを賞賛した詩も存在します。そのほか、いくつかの著書を記しています。
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