光の彼方への旅立ち、アル・アハザーブ章(2)
コーラン第33章アル・アハザーブ章部族同盟、第6節~第8節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第6節
「預言者は敬虔な人々に彼ら自身よりもふさわしく、彼の妻は、彼らの母親と見なされる。神の書物では、血縁関係は敬虔な人や移住者よりも優先される。ただし、友人に良いことをしようとする場合は別である。これは神の書物に記された掟である」(33:6)
(6)النَّبِیُّ أَوْلَى بِالْمُؤْمِنِینَ مِنْ أَنْفُسِهِمْ وَأَزْوَاجُهُ أُمَّهَاتُهُمْ وَأُولُو الأرْحَامِ بَعْضُهُمْ أَوْلَى بِبَعْضٍ فِی کِتَابِ اللَّهِ مِنَ الْمُؤْمِنِینَ وَالْمُهَاجِرِینَ إِلا أَنْ تَفْعَلُوا إِلَى أَوْلِیَائِکُمْ مَعْرُوفًا کَانَ ذَلِکَ فِی الْکِتَابِ مَسْطُورًا
前回の番組では、神の掟により、父親と養子が互いに遺産を相続することはなく、遺産は父親と実の子のみに関係するものと決められていることをお話ししました。この節は次のように語っています。「預言者は人々を統治し、共同体の父親のような存在であり、また彼の妻もイスラム教徒にとって母親のような存在である。しかしそうであっても、イスラム教徒の遺産を相続することも、誰かが彼らの遺産を相続することもない」
預言者はメディナで、預言者を助けたアンサールの人々や移住者たちの間で同胞関係の契約を結び、イスラム教徒は皆、互いに兄弟となりました。しかし、血縁関係を持つ親族の間の相続の制度は、宗教的な同胞の間には適用されません。自分の遺産を別の人にも譲りたい場合には、遺言によって、その権利を宗教上の同胞に与えることができます。
この節で語られているのは、前の幾つかの節に注目すると、遺産に関する問題ですが、この節の最初の表現は絶対的なものです。つまり、預言者はあらゆる問題において敬虔な人々よりも優先され、人間が自分に対して持つあらゆる権限において、預言者はすべての敬虔な人間よりも優先されます。そのため敬虔な人々は、彼の意見を自分の意見よりも重視し、彼に従う必要があるのです。
アル・アハザーブ章の第36節も、神とその預言者から決まりごとが出された場合、敬虔な人間はそれに対して何の意志も持たず、それに従うべきであることが強調されています。当然のことながら、預言者はあらゆる過ちや穢れを免れた清らかな存在であり、個人や社会の利益や善以外のことを望んでいません。そのため、預言者個人や家族の利益を追求したり、自分の欲望をかなえようとしたりすることはないのです。
第6節の教え
- 預言者は、すべての敬虔な人間を統治しており、彼が出す決まりごとは、個人や家族、社会の全ての問題において適用されます。
- 預言者の妻たちに敬意を表すことが必要です。彼女たちへの侮辱と見なされる行動や言葉はいずれも、相応しいものではありません。
- イスラムでは、家族の結びつきを強化するために、血縁関係や親戚関係が注目されています。
第7節
「また、[思い起こしなさい。]我々は預言者たちから約束を取り、汝とヌーフ、イブラヒーム、ムーサー、マルヤムの息子イーサー、彼らからも確かな約束を取り付けた。」(33:7)
(7)وَإِذْ أَخَذْنَا مِنَ النَّبِیِّینَ مِیثَاقَهُمْ وَمِنْکَ وَمِنْ نُوحٍ وَإِبْرَاهِیمَ وَمُوسَى وَعِیسَى ابْنِ مَرْیَمَ وَأَخَذْنَا مِنْهُمْ مِیثَاقًا غَلِیظًا
第8節
「それは、[最後の審判の日、神が]正直な人々にその誠実さを問われ、不信心者には痛ましい責め苦を用意しているためである」(33:8)
(8) لِیَسْأَلَ الصَّادِقِینَ عَنْ صِدْقِهِمْ وَأَعَدَّ لِلْکَافِرِینَ عَذَابًا أَلِیمًا
前の節は、イスラムの預言者が敬虔な人々を幅広く統治していることについてお話しました。この2つの節は、イスラムの預言者と、それ以前のすべての預言者に課された重大な責務に触れ、次のように語っています。「神は預言者たちに、権利と同時に、重大な責務を与えている。神の啓示を伝え、人々を導く上でいかなる努力も惜しまず、人々を神への崇拝へと導くことに全力で努めることを彼らに約束させた」
この2つの節は、神の偉大な5人の預言者に触れ、イスラムの預言者の後、ヌーフ、イブラヒーム、ムーサー、イーサーといった宗教をもたらした預言者の名前を挙げています。
この節は続けて、次のように語っています。「神の預言者たちの導きに対し、人々は2つのグループに分けられる。誠実な人々と不信心者である。誠実な人々とは、信仰に誠実である人々のことである。彼らは口にすることを行動でも示し、口では主張しながら、その行動には神の指示の痕跡すら見られないというようなことはない」
最後の審判で、神はこのどちらのグループの人々にも尋問し、彼らの考えや言葉、行動に基づいて、報奨を与えたり、懲罰を下したりします。
アル・アハザーブ章の第23節と24節でも、神は真の敬虔な人々に触れ、次のように語っています。「神との約束に誠実であり、神の宗教を守るという自分の約束を守る人々、彼らはそのような誠実さのために報奨を受け取る。彼らは、神の宗教を守るための準備ができており、命や財産など、すべてを投げ打ち、困難に遭ったとき、自分の信仰の主張が本物であることを証明する人々である」
この節は興味深い点を含んでいます。「神は最後の審判で、正直な人々の誠実さをはかる。つまり、行動だけでは十分ではなく、その行動の動機や目的の純粋さも証明される必要がある。防衛やジハード・戦いの場に参加しながら、その目的が純粋なものではなく、宗教的な義務の実践に加え、名誉などを手に入れようとする人々がいる」
第7節~第8節の教えを
- 神の預言者たちや過去の民族の歴史を知ることは、信仰を持つ人々にとって必要なことです。それにより、彼らに関する神の掟を知り、正しい道を歩むことができるからです。
- 神はあらゆる権利に対して、義務も与えています。地位が高く、権限が多ければ多いほど、その人に課される責務も重くなります。
- 言動における誠実さは信仰に必要なものです。
- 神は最後の審判で、人々の行動を、その目的や動機に基づいてはかります。行動の表面だけでなく、内面も注目されるのです。