光の彼方への旅立ち、アル・アハザーブ章(8)
コーラン第33章アル・アハザーブ章部族同盟、第32節~第34節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第32節
「預言者の妻たちよ、あなた方は[普通の]女性たちと同じではない。敬虔さを保つのであれば、媚びを売ったりして、心に病を抱える人を強欲にしてはならない。ふさわしい形で話しなさい」33:32
(32) یَا نِسَاءَ النَّبِیِّ لَسْتُنَّ کَأَحَدٍ مِنَ النِّسَاءِ إِنِ اتَّقَیْتُنَّ فَلا تَخْضَعْنَ بِالْقَوْلِ فَیَطْمَعَ الَّذِی فِی قَلْبِهِ مَرَضٌ وَقُلْنَ قَوْلا مَعْرُوفًا
前回の番組では、預言者の妻たちが人々の間に及ぼす影響力について語った節をみていきました。この節は、そのことをはっきりと指摘し、次のように語っています。「預言者の妻たちは、神の預言者との関係によって重大な責務を負っており、自分たちを他の女子たちと比較すべきではない。なぜなら、彼女たちの意志に関係なく、彼女たちは社会の女性たちの模範になっており、その善い行いも悪い行いも、社会に影響を及ぼすからだ」
その後、女性の社会的な行動のひとつを挙げ、次のように語っています。「敬虔さに必要なのは、他人と話す際、心に病を抱える穢れた男性を自分の方へと引き寄せないような言葉を使うことである。彼らとは、清らかな女性にふさわしい言葉で話しなさい」
第32節の教えを
- 人々の地位に従って、その責務の程度も変わります。そのため、社会やグループにおいて高い地位を有する人々は、他の人以上に自分の言動に注意する必要があります。
- 服装だけでなく、話し方も非常に重要です。そのため神は、話し方やその内容など、すべての問題において敬虔さを守るよう強調しています。
- どの社会にも、心を病んだ穢れた人たちは存在します。女性はそのような人から自分の身を守るため、社会的なつきあいや発言に注意しなければなりません。
第33節
「自分の家に留まりなさい。初期の無明時代のように自分を飾り立てながら、公の場に現れてはならない。礼拝を行い、喜捨を施しなさい。また神とその預言者に従いなさい。まことに神は、あなた方の一族を穢れから遠ざけ、完全に清らかな存在とすることを望まれている。」33:33
(33) وَقَرْنَ فِی بُیُوتِکُنَّ وَلا تَبَرَّجْنَ تَبَرُّجَ الْجَاهِلِیَّةِ الأولَى وَأَقِمْنَ الصَّلاةَ وآتِینَ الزَّکَاةَ وَأَطِعْنَ اللَّهَ وَرَسُولَهُ إِنَّمَا یُرِیدُ اللَّهُ لِیُذْهِبَ عَنْکُمُ الرِّجْسَ أَهْلَ الْبَیْتِ وَیُطَهِّرَکُمْ تَطْهِیرًا
第34節
「また、あなた方の家で読み上げられる神の節と英知を思い起こしなさい。まことに神は、すべてを知り、寛容な方であられる」33:34
(34)وَاذْکُرْنَ مَا یُتْلَى فِی بُیُوتِکُنَّ مِنْ آیَاتِ اللَّهِ وَالْحِکْمَةِ إِنَّ اللَّهَ کَانَ لَطِیفًا خَبِیرًا
前の節に続き、この2つの節は、預言者の妻たちに次のように語りかけています。
「女性たちが不適切な服装により、あらゆる装飾品を身につけて社会に現れていたイスラム以前の時代とは異なり、あなた方、信仰を持つ女性たちは、必要性がない限り外出してはならない。もしあなた方が社会に参加することが必要になった場合は、ふさわしい服装を身につけるように。自分の身体や装飾品を示すことを控えなさい」
コーランはこの節で、“無明時代の初期”という言葉を用いています。どうやらコーランは、女性の間で自己顕示が広まる、別の無明時代がやって来ることを予期していたかのようです。そして現代の世界では、さまざまな名目により、大規模な宣伝活動によって女性の肌の露出が奨励されており、化粧品や装飾品の市場は、世界最大の貿易市場と見なされています。
この2つの節は続けて、礼拝や喜捨といった宗教義務、その他の神や預言者の指示を遂行することへの真剣な注目を促し、女性の信仰が、服装や道徳の遵守に限定されるわけではないこと、以前の指示は預言者の妻のみを対象にしたものではなく、他の女性たちもまた、それらを守る必要があることを示そうとしています。
第34節は、こうした神の指示に続き、女性たちに次のように語りかけています。「女性にとって自然なことである、家の中に留まることが、彼女たちの宗教的、精神的な成長の妨げになってはならない。それどころか、コーランを朗誦し、その英知や高い知識を習得することに勤しみ、それを怠ってはならない」
とはいえ、この指示は、最初は預言者の妻たち、そして最終的には信仰のあるすべての女性たちに語りかけたものであり、その中に用いられているある表現で、その前後が分けられています。
その表現は、神が、預言者の一族に特別な清らかさを持たせようとしていることを示しています。その清らかさとは、全ての敬虔な人間の模範となれるよう、あらゆる穢れかや卑しさから守るものです。
この清らかさとは、預言者の一族から罪を犯す力が奪われる、といった形での強制的なものではありません。それどころか、彼らは相応しい行いによって神からこのような恩恵を受けるのに値する存在になり、罪を犯す可能性や力を持っているにも拘わらず、それを行わないのです。とはいえ、この節にでてくる一族とは、実際、誰を指しているのでしょうか。それについてはコーラン解釈者の間でさまざまな見解が存在します。一部の人は、それを預言者の妻たちのことだとし、また別の人々は、預言者の伝承に基づき、この節は、預言者、その娘のファーティマ、シーア派初代イマーム、アリー、そして彼らの息子のハサンとホサインの5人のことを指しているとしています。
第33節と34節の教え
- 女性が社会で自分の姿を見せびらかすことは、文明のしるしではありません。コーランによれば、それは無知のしるしです。
- 恵まれない人に財産の一部を施したり、喜捨を支払ったりする必要性は、男性だけでなく、女性も持つものです。
- 社会を導く責務を負った宗教の指導者たちの一族は、あらゆる穢れや醜さから遠ざかっていなければなりません。
- 外に仕事を持っていない女性たちも、知識の習得を怠ってはならず、自分の成長のために努力しましょう。