1月 06, 2021 15:30 Asia/Tokyo

コーラン第33章アル・アハザーブ章部族同盟、第35節~第38節

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第35節

「まことにイスラム教徒の男女、信仰を持った男女、服従する男女、正直な男女、忍耐強い男女、謙虚な男女、施しをする男女、断食をする男女、清らかな男女、神の名を多く唱える男女、神は彼ら[すべて]に大きな報奨と赦しを準備されている」33:35

إِنَّ الْمُسْلِمِینَ وَالْمُسْلِمَاتِ وَالْمُؤْمِنِینَ وَالْمُؤْمِنَاتِ وَالْقَانِتِینَ وَالْقَانِتَاتِ وَالصَّادِقِینَ وَالصَّادِقَاتِ وَالصَّابِرِینَ وَالصَّابِرَاتِ وَالْخَاشِعِینَ وَالْخَاشِعَاتِ وَالْمُتَصَدِّقِینَ وَالْمُتَصَدِّقَاتِ وَالصَّائِمِینَ وَالصَّائِمَاتِ وَالْحَافِظِینَ فُرُوجَهُمْ وَالْحَافِظَاتِ    وَالذَّاکِرِینَ اللَّهَ کَثِیرًا وَالذَّاکِرَاتِ أَعَدَّ اللَّهُ لَهُمْ مَغْفِرَةً وَأَجْرًا عَظِیمًا

 

前回の番組で、神は預言者の妻たちとイスラム教徒の女性たちに、穢れた男性たちから自分の身を守るための指示を述べていました。この節は、男性であれ女性であれ、信仰、道徳、行動などのあらゆる面における完全な人間の特徴を述べ、これらの特徴のひとつひとつを男女に関連付けています。それによって、男女の間には、宗教的、人間的な完成に至る上で何の違いもないことを示しています。それは、神への信仰、言葉や食欲などの欲望の抑制、人々や恵まれない人への奉仕、さまざまな問題における忍耐強さ、神と預言者の指示に対する服従、神への礼拝や崇拝などです。

 

一部の人々の想像に反し、それぞれの人間の信仰は、彼らの礼拝や断食に限られません。そのため、この節は、宗教的な義務の実践とともに、忍耐強さ、誠実さ、謙虚さにも触れており、これらはイスラム教徒の道徳や行動の特徴を示しています。これらの特徴が薄く弱くなれば、それはその人の信仰の弱さを示すことになります。

 

第35節の教え

男女の違いは、彼らの肉体に関するものであり、人間が精神的な完成に至る上で、男女の間に違いはありません。

イスラムが考える人間とは、信仰、道徳、行動のあらゆる面で成長した包括的な人間です。

男女は精神的な成長を遂げ、神の報奨や赦しを得る上で同じ立場にあります。相続や賠償における男女の違いは、家族の中の彼らの地位や役割によるものであって、神の御前では男女の間に何の違いもありません。

 

第36節  

「また、神とその預言者が何かを決定するとき、信仰のあるいかなる男女も、自分で別のことを勝手に判断する権利はない。誰でも神とその預言者の指示に背く者は、明らかな迷いに陥っている」33:36

 (36)وَمَا کَانَ لِمُؤْمِنٍ وَلا مُؤْمِنَةٍ إِذَا قَضَى اللَّهُ وَرَسُولُهُ أَمْرًا أَنْ یَکُونَ لَهُمُ الْخِیَرَةُ مِنْ أَمْرِهِمْ وَمَنْ یَعْصِ اللَّهَ وَرَسُولَهُ فَقَدْ ضَلَّ ضَلالا مُبِینًا

 

神への服従を、敬虔な人間の特徴のひとつとして挙げた前の節に続き、この節は、さらに強調して次のように語っています。「神とその預言者の指示は、敬虔な人間の要求や意志に優る。自らを敬虔な人間と考える人は、決して、自分の要求を神とその預言者の要求よりも優先させたりはしない。なぜなら、それは逸脱と迷いの原因になることを知っているからだ」

 

原則的に、真の信仰のしるしとは、神の命に対して無条件に服従することです。そのため、自分の好きな指示だけに従い、自分の要求にそぐわない、あるいはよく理解できない指示には従わない、というのは実際、自分の心や欲望に従っているのであって、神の命や要求に従っているのではありません。

 

第36節の教え

神とその預言者、宗教の指示に従うことは、真の信仰のしるしです。

人間の自由は、神の宗教の法の枠内で認められます。放縦や何の束縛もないものではありません。

人間が作った法は、宗教法に反するものであれば、人間の逸脱や迷いの原因となります。

 

第37節

「[思い起こすがよい、]汝は神から恩恵を与えられた人、また汝も自由と言う恩恵を与えた人に言った。『あなたの妻を自分のもとにとどめ、神に従いなさい』 汝は心の中に何かを隠していたが、神がそれを明らかにし、人々[の非難]を恐れていた。だが神の方が恐れるのにふさわしい。ゼイドが妻について望みをかなえ、離婚したので、我々は彼女を汝の妻とした。これによって、敬虔な人間と養子の妻たちとの結婚について、彼らが離婚したときには問題がないようにした。」33:37

وَإِذْ تَقُولُ لِلَّذِی أَنْعَمَ اللَّهُ عَلَیْهِ وَأَنْعَمْتَ عَلَیْهِ أَمْسِکْ عَلَیْکَ زَوْجَکَ وَاتَّقِ اللَّهَ وَتُخْفِی فِی نَفْسِکَ مَا اللَّهُ مُبْدِیهِ وَتَخْشَى النَّاسَ وَاللَّهُ أَحَقُّ أَنْ تَخْشَاهُ فَلَمَّا قَضَى زَیْدٌ مِنْهَا وَطَرًا زَوَّجْنَاکَهَا لِکَیْ لا یَکُونَ عَلَى الْمُؤْمِنِینَ حَرَجٌ فِی أَزْوَاجِ أَدْعِیَائِهِمْ إِذَا قَضَوْا مِنْهُنَّ وَطَرًا وَکَانَ أَمْرُ اللَّهِ مَفْعُولا

 

第38節 

「神の命は実行される。預言者には神から定められたことを実践する上で妨げはない。これは神の掟であり、以前の預言者たちについてもそのようなことが行われていた。神の命は常に、考慮され、計算されたものである」

(38) مَا کَانَ عَلَى النَّبِیِّ مِنْ حَرَجٍ فِیمَا فَرَضَ اللَّهُ لَهُ سُنَّةَ اللَّهِ فِی الَّذِینَ خَلَوْا مِنْ قَبْلُ وَکَانَ أَمْرُ اللَّهِ قَدَرًا مَقْدُورًا

 

歴史で言われているように、預言者の娘のハディージャには、ゼイドという名前の奴隷がいました。ハディージャは預言者と結婚した後、この奴隷を預言者に与え、預言者もすぐに彼を解放し、自分の養子としました。それから神の預言者は、いとこのゼイナブとゼイドを結婚させました。預言者は常に、ゼイドに妻を自分のもとにとどめ置き、離婚をしないようにと言っていましたが、ゼイドと妻の共同生活は長くは続かず、結局二人は離婚してしまいました。このような挫折を償うため、預言者はゼイナブを自分の妻にしようと決めました。しかし、人々から、「自分の養子を妻にした」と噂されるのを恐れていました。無明時代の人々にとって、そのようなことは醜くふさわしくない行いと考えられていました。そのため神は、預言者にこのように語りました。「それを行いなさい。そうして無明時代の掟と闘い、人々の言葉を恐れてはならない。神が預言者たちに命じた事柄は、その実践において、いかなる個人や人々のことを考えたものでもなく、社会の誤った慣習を守ろうとするものでもないからだ。神の掟は歴史の中でこのようなものであり、神の預言者たちは誤った掟を破り、誤った慣習に抵抗した」

 

第37節~38節の教え

夫婦の間に問題や対立が生じても、離婚や別れを考えるべきではなく、それを他人に提案することも控えましょう。

夫婦の間に対立が生じた時には、敬虔さを保ち、神の領域を守ることで、対立をやめさせるようにしましょう。敬虔さは家族の結びつきを強める要素となります。

宗教の指示を実行する上で、他人の批判を恐れてはなりません。神のみを考慮に入れましょう。

誤った慣習に抵抗し、それを破る上で、人々の噂や批判を恐れてはなりません。