光の彼方への旅立ち、アル・アハザーブ章(10)
コーラン第33章アル・アハザーブ章部族同盟、第39節~第42節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第39節
「神のメッセージを伝え、神を畏れる人々は、神以外の誰も畏れない。神は[行いを]清算するために十分である」33:39
(39) الَّذِینَ یُبَلِّغُونَ رِسَالاتِ اللَّهِ وَیَخْشَوْنَهُ وَلا یَخْشَوْنَ أَحَدًا إِلا اللَّهَ وَکَفَى بِاللَّهِ حَسِیبًا
前回の番組では、預言者と、彼の養子と離婚した女性との結婚についてお話ししました。その終わりに神は次のように語っていました。「預言者は、神の命を実行する上で、人々の噂を恐れ、それを怠ったりしてはならない」
これに続き、この節は次のように語っています。「神の預言者たちの根本的な責務は、何ものも恐れずに神の命を伝えることである。彼らは神のみに従い、神以外の誰も恐れない」
当然のことながら、人々の不当な要求や社会の誤った慣習に対して抵抗すれば、その人は彼らの脅迫や侮辱に晒されます。そのため多くの人は、彼らの行いが誤っていることを知っていても、人々の言葉を恐れ、そのような自分の理性や理解に反した行動を取ります。一方で、宗教の指導者や真の敬虔な人間は、神のことのみを考え、他人の批判を恐れたりはしません。なぜなら、彼らにとって、神の存在のみで十分であることを知っているからです。
第39節の教え
- 宗教の伝道には、敬虔さ、神への信頼、勇気を必要としており、これらの特徴を持たなければ、その伝道に成功することはありません。
- 信仰を持つ人が、宗教を維持し、伝え、広める上で経験する困難の清算は、神によって保存されます。
第40節
「ムハンマドはあなた方男性たちの誰の父親でもない。それどころか、神の使徒であり、最後の預言者である。神はあらゆることを知っておられる」33:40
(40) مَا کَانَ مُحَمَّدٌ أَبَا أَحَدٍ مِنْ رِجَالِکُمْ وَلَکِنْ رَسُولَ اللَّهِ وَخَاتَمَ النَّبِیِّینَ وَکَانَ اللَّهُ بِکُلِّ شَیْءٍ عَلِیمًا
前の節に続き、この節はまず、無明時代の伝統を否定し、次のように語っています。「預言者ムハンマドはゼイドの真の父親ではなかった。彼は預言者の養子であり、宗教法の観点から、養子が離婚した女性との預言者の結婚に問題はない。たとえ、無明時代の伝統によって醜い行いと見なされていたとしても」
この節は、敬虔な人々に次のように語りかけています。「預言者を、自分たちの一人として考えるべきではない。あなた方には子供がいて、その主な責務は子供たちのニーズを満たすことであり、親子の愛情から、人生においてさまざまなことを考慮している。しかし、預言者はひとつの共同体の指導者であり、共同体のために歩みを進め、彼らが常に、最後の審判まで確かな立場を持ち、神の指示を実行できるようにする必要がある」
この節は続けて、イスラムの預言者が神の最後の預言者であるという根本的かつ総体的な問題に触れ、次のように語っています。「預言者ムハンマドは、他の神の預言者の中でも特別な地位にある。彼は神の預言者であり、また最後の預言者でもある。神は彼を最後の預言者とし、最も完全かつ包括的な宗教の教えと計画を人類にもたらした」
第40節の教え
- イスラムは最後の天啓の宗教であり、コーランは、神が人類を導くために送った最後の聖典です。
- イスラムの預言者が最後であることは、神の無限の知識に基づくものです。神はムハンマドを遣わすことによって、現世と来世の幸福の道を知るという人類のニーズを満たしています。
第41節
「信仰を寄せた人々よ、神の名を多く唱えなさい。」33:41
(41) یَا أَیُّهَا الَّذِینَ آمَنُوا اذْکُرُوا اللَّهَ ذِکْرًا کَثِیرًا
第42節
「また朝に夕に、神の清らかさを称えなさい」33:42
(42) وَسَبِّحُوهُ بُکْرَةً وَأَصِیلا
この2つの節は、信仰を寄せた人々に対し、どのような状態にあっても神の名を唱え、神を賞賛するよう呼びかけています。なぜなら、人間は一日の中で多くの事柄により、神を忘れてしまうからです。その事柄には、欲望などの内面的な要素もあれば、堕落した人間や悪魔のささやきといった外からの要素があります。当然のことながら、人間の周囲にあるこのような要素に対処するためには、常に、神の名を唱える以外に方法はありません。
朝、昼、夜に5度の礼拝を行うことは、この宗教的な勧めの一部に過ぎません。一日を通して、人間は常に神のことを心に留め、何かを決断したり、実行したりする際には、神がそれに満足するか否かを考慮にいれなければなりません。もし神が満足するのであれば、それを実行し、もし神の満足が得られないのであれば、それを実行してはなりません。たとえそれが、自分の欲望や人々の要求に反したものであってもです。
どのような状態にあっても神の名を唱えることとは、あらうる恩恵に感謝し、多くの問題や困難に対して忍耐強くなければならない、ということです。罪に直面したときには神に従い、罪を犯したときには、その罪を悔い改め、神に赦しを求めるのです。とはいえ、神を心の中に思い浮かべるだけでなく、あらゆる状態において、神の名を口に出して唱えることが勧められています。神の預言者ムハンマドは、娘のファーティマに対し、礼拝の後に、「神は偉大なり」という言葉を34回、「神に賞賛あれ」という言葉を33回、「神に栄光あれ」という言葉を33回言うことにより、神を唱えるよう教えました。
第41節~第42節の教え
- 神のことを思い起こすとき、言葉の上だけではなく、人間はあらゆる動きや考えにおいても神の満足を考慮に入れる必要があります。
- 一時的にではなく、常にどんな状態にあっても神のことを思い起こせば、人間にとって建設的な効果があるでしょう。
- 神の名を唱える中で、神を賞賛することが特に奨励されています。