1月 06, 2021 16:30 Asia/Tokyo

コーラン第33章アル・アハザーブ章部族同盟、第55節~第58節

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第55節

「彼女たちには、父親、息子、兄弟や兄弟の息子、姉妹の息子、女性たち、召使たちの前で[ヘジャーブを取っても]罪はない。神に従いなさい。神はすべてのことを証言される」33:55

(55) لا جُنَاحَ عَلَیْهِنَّ فِی آبَائِهِنَّ وَلا أَبْنَائِهِنَّ وَلا إِخْوَانِهِنَّ وَلا أَبْنَاءِ إِخْوَانِهِنَّ وَلا أَبْنَاءِ أَخَوَاتِهِنَّ وَلا نِسَائِهِنَّ وَلا مَا مَلَکَتْ أَیْمَانُهُنَّ وَاتَّقِینَ اللَّهَ إِنَّ اللَّهَ کَانَ عَلَى کُلِّ شَیْءٍ شَهِیدًا

 

前回の番組では、他人の前で髪や肌を覆い隠す指示についてお話しました。この節は、近親者に関して述べられています。「父親や兄弟、息子は、女性にとって近親者にあたる。その次に、兄弟や姉妹の子供も、おじやおばにとっては近親者にあたる。これは、女性たちが家族の関係において窮屈を感じないようにするためである」

 

イスラム教徒の女性は、見知らぬ男性だけでなく、不信心者や召使などの一部の女性たちの前でも適切な服装を身につける必要があります。なぜなら、彼らが目にしたことを自分の夫や他の男性の前で話してしまう可能性があるからです。とはいえ、これらの戒律のすべては、女性を道徳的な穢れから守るためのものです。表面的な行動だけでなく、内面的な敬虔さも強化し、罪に穢れないようにする必要があります。

 

第55節の教え

  • イスラムの戒律は困難を強いるものではありません。共に生活する家族に対しては、髪や肌を隠すヘジャーブは義務とはされません。ヘジャーブは他人に対してのみ、義務となります。
  • 家族や社会の関係においては、近親者に対しても他人に対しても、すべては敬虔さと清らかさに基づいていなければなりません。ヘジャーブの戒律も、それに基づいています。

 

第56節

「まことに神とその天使たちは、預言者に祝福を送る。信仰を寄せた人々よ、あなた方も彼に祝福を送り、挨拶をしなさい。また、[彼の命に]従いなさい」33:56

 (56) إِنَّ اللَّهَ وَمَلائِکَتَهُ یُصَلُّونَ عَلَى النَّبِیِّ یَا أَیُّهَا الَّذِینَ آمَنُوا صَلُّوا عَلَیْهِ وَسَلِّمُوا تَسْلِیمًا

 

この節とその後の2つの節は、預言者と敬虔な人々尊厳の保護を強調し、信仰を寄せた人々に対し、彼らの導きと幸福の源である神の預言者に対し、常に祝福を送り、彼の命に従うよう求めています。神はこれ以前にも、次のように語っています。「私と天使たちも、預言者に祝福を送り、彼が使命を果たす上で背負っている苦労と努力の価値を知っている。彼はあなた方を導く上で貪欲であり、あなた方からの見返りなど期待せずに、この道において自らの力と努力を尽くした。そこであなた方も、彼の名を尊重し、彼の名が唱えられた際には、彼に祝福を送りなさい」

 

第56節の教え

  • 神とその天使たちが神の預言者の苦労を賞賛し、彼に祝福を送っている際には、預言者に従う私たちも、この偉人の献身と努力の価値を知り、行動による服従と言葉による祝福で、自らの責務を果たしましょう。
  • 心の中に愛情を抱くだけでは十分ではありません。偉人や祖先への関心を、社会の中で公に明らかにする必要があります。

 

第57節

「また、神とその使徒を苦しめる人々、神は彼らを現世でも来世でも呪われ、彼らに屈辱的な責め苦を用意されている。」33:57

 (57) إِنَّ الَّذِینَ یُؤْذُونَ اللَّهَ وَرَسُولَهُ لَعَنَهُمُ اللَّهُ فِی الدُّنْیَا وَالآخِرَةِ وَأَعَدَّ لَهُمْ عَذَابًا مُهِینًا

 

第58節 

「また、信仰のある男女を、何もしていないのに困らせる人々、彼らは明らかに、明らかな罪を背負っている」33:58

 (58) وَالَّذِینَ یُؤْذُونَ الْمُؤْمِنِینَ وَالْمُؤْمِنَاتِ بِغَیْرِ مَا اکْتَسَبُوا فَقَدِ احْتَمَلُوا بُهْتَانًا وَإِثْمًا مُبِینًا 

 

前の節では、信仰を寄せた人々に、神の預言者の苦労の価値を知り、彼につねに祝福を送るように勧告していました。その節に続き、この2つの節は次のように語っています。「だが、自分の言動によって神と神の使徒を苦しめる人々、神は彼らに現世でも来世でも厳しい責め苦を与え、恩寵や慈悲を授けることはない」

 

神を苦しめることとは、神の要求や満足に反することを行い、神の慈悲を惹きつけるのではなく、神の呪いや怒りを招くことを指します。伝承によれば、神の僕たちを苦しめることとは、神自身を苦しめることに相当します。コーランでは、神の僕に金を貸したり、援助したりすることは、神に金を貸すことに当たるとしています。

 

預言者の真理の言葉を受け入れず、それを否定する人、あるいは預言者に誹謗中傷を浴びせ、愚かな態度で接する人は、神を怒らせると同時に、預言者を苦しめています。明らかに、預言者一門の苦しみは、神の預言者の苦しみとなり、預言者の言行録の中でも、そのことが強調されています。

 

この2つの節は続けて次のように語っています。「神の預言者だけでなく、すべての敬虔な人間は尊重すべき人々であり、何の根拠もなく、悪意によって誰かを中傷したり、敬虔な人間の名誉を傷つけたりする権利は誰にもない。それは神にとって大きな罪と見なされ、厳しい責め苦を招くものである」

 

第57節と58節の教え

  • 自分の言動によって、他人を苦しめてはなりません。そんなことをすれば、神からの慈悲と恩恵を奪われます。
  • 嘲笑や侮辱はさまざまな結果を招くものであり、その一部は現世で現れ、人間を問題に巻き込みます。