1月 04, 2021 20:15 Asia/Tokyo

コーラン第34章サバア章サバア、第1節~第5節

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

 

第1節

「賞賛は神のみのものである。神は天と地にあるすべてのものを所有し、来世でも賞賛に値する。神は英明であられる。」

 (1)الْحَمْدُ لِلَّهِ الَّذِي لَهُ مَا فِي السَّمَاوَاتِ وَمَا فِي الْأَرْضِ وَلَهُ الْحَمْدُ فِي الْآخِرَةِ وَهُوَ الْحَكِيمُ الْخَبِيرُ 

 

第2節

「大地に沈むもの、またそこから出て行くもの、天から下されるもの、そこに登っていくもの、神は[、これらすべてを]知っておられる。神こそは、寛容で慈悲深い方であられる」

(2)يَعْلَمُ مَا يَلِجُ فِي الْأَرْضِ وَمَا يَخْرُجُ مِنْهَا وَمَا يَنْزِلُ مِنَ السَّمَاءِ وَمَا يَعْرُجُ فِيهَا وَهُوَ الرَّحِيمُ الْغَفُورُ

 

私たちは皆、自然の風景、山、森、海、動物をモチーフにした美しい絵画を見て感嘆し、思わずその芸術作品を作った人を賞賛します。ましてや、この天と大地、美しい景色を創造した神は、賞賛にふさわしい存在ではないでしょうか。

 

コーランには、神への賞賛で始まる章が5つあります。中でも最も短いのは、第1章のハムド章で、礼拝の際にもこの章が読み上げられます。この他、第34章サバア章も、このような美しい創造世界を作った神への賞賛で始まっています。神は世界とそこにあるすべてのものの創造主であり、神の知識が及ばないものは何もありません。神は世界を知識と英知に基づいて管理しています。そして来世でも、天国に入る人々は神を賞賛します。なぜなら、神は正義と美徳によって人々に接し、善を行った人たちに大きな報奨を与えたからです。

 

第1節と2節の教え

  • 真の賞賛は神のものであり、賞賛される美徳を持つ者の創造主は、神です。
  • 世界や人間に対する神の知識は、全体的なものではありません。それどころか、神は創造世界やその存在物に関する細部にいたるまで、全てのことを知っておられます。

 

第3節  

「不信心者たちは言った。『最後の審判が我々のもとに訪れることはない』 言え、『いや、目に見えない事柄を知っている神に誓って。それは必ず、あなた方のもとにやって来るだろう。天と地にあるわずかなことも、神の目を免れることはない。それ以上に小さなことも、大きなことも、明白な書物に記されていないことはない』」

(3)وَقَالَ الَّذِينَ كَفَرُوا لَا تَأْتِينَا السَّاعَةُ قُلْ بَلَى وَرَبِّي لَتَأْتِيَنَّكُمْ عَالِمِ الْغَيْبِ لَا يَعْزُبُ عَنْهُ مِثْقَالُ ذَرَّةٍ فِي السَّمَاوَاتِ وَلَا فِي الْأَرْضِ وَلَا أَصْغَرُ مِنْ ذَلِكَ وَلَا أَكْبَرُ إِلَّا فِي كِتَابٍ مُبِينٍ 

 

神を否定し、世界の創造主を認めようとしない人々は、当然のことながら、最後の審判も否定し、死後の世界や現世の行いの清算を受け入れようとしません。しかし、イスラムの預言者ムハンマドははっきりと次のように語っています。「死後に最後の審判は存在せず、現世で心のままに、何の制限もなく行動できる、という考え方は、不信心者の憶測や望みである。しかし、預言者が直接、受け取る神の啓示によれば、不信心者も敬虔な人々も含めた全ての人間は、最後の審判に立ち、現世での行動や考え方に対して責任を取る必要がある」 その審判とは、神の天使たちによる現世での記録をもとに、それぞれの人間に関して公正な清算が行われ、大小のすべての行動が完全に記録されています。

 

第3節の教え

  • 復活を否定する者たちは、それを否定する根拠を持っていません。自分の限られた知識や憶測に基づいてのみ、それを否定します。
  • 人間は実際、賢明な神を相手にしています。神は、人間の目に見えることも見えないこともすべて知っており、何ものも神の目を逃れることはできません。
  • 物質的な世界において、量は大きな影響力を持つものですが、それが来世で根本的な役割を果たすことはなく、重要なのは、行いの目的と質です。  
  •  

第4節

「それは、信仰を寄せ、相応しい行いをした人々に報奨を与えるためである。彼らには赦しとよい日々の糧がある。」

(4)لِيَجْزِيَ الَّذِينَ آمَنُوا وَعَمِلُوا الصَّالِحَاتِ أُولَئِكَ لَهُمْ مَغْفِرَةٌ وَرِزْقٌ كَرِيمٌ

 

第5節 

「また、我々の節を否定し、我々を戸惑わせようとする人々、彼らには痛ましい責め苦がある」

(5)وَالَّذِينَ سَعَوْا فِي آيَاتِنَا مُعَاجِزِينَ أُولَئِكَ لَهُمْ عَذَابٌ مِنْ رِجْزٍ أَلِيمٌ

 

最後の審判について述べた前の節に続き、この2つの節は、人間の結末に触れ、次のように語っています。「人々は最後の審判で2つのグループに分けられる。一つ目は、現世での行いによって、来世での神のよい糧を得られる天国の人たち、そして二つ目は、コーランの節とその知識を否定することに躍起になった地獄の人たちである。彼らは神の力から逃れ、神を無力にすることができると考えている」

  第4節と5節の教え

  • 最後の審判で神の報奨を得られる唯一の道は、信仰と善い行いです。
  • 人間の行いに真の完全な報奨を与えることができるのは、目的など、その行いを完全に知っている存在です。
  • コーランとイスラムの教えを弱めるための敵の努力や陰謀への警戒を怠ってはなりません。彼らは人々をコーランから遠ざけようとします。