2月 01, 2022 16:19 Asia/Tokyo

コーラン第34章サバア章サバア、第46節~第47節

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

 

第46節

「[預言者よ、]言え、『私はあなたにたったひとつのことを忠告する。神のために立ち上がりなさい。2人ずつ、またはひとりずつで。それから考えなさい。あなた方の仲間は狂ってなどいない。彼はあなた方のために、これから待っている厳しい責め苦について、警告するだけである』」

(46)قُلْ إِنَّمَا أَعِظُكُمْ بِوَاحِدَةٍ أَنْ تَقُومُوا لِلَّهِ مَثْنَى وَفُرَادَى ثُمَّ تَتَفَكَّرُوا مَا بِصَاحِبِكُمْ مِنْ جِنَّةٍ إِنْ هُوَ إِلَّا نَذِيرٌ لَكُمْ بَيْنَ يَدَيْ عَذَابٍ شَدِيدٍ

 

この節と、サバア章のこの先の節で、神は預言者に対し、人々のために導きの方法をはっきりと述べるよう命じています。この節ではまず、次のように語っています。「預言者よ、人々に言え。『私の導きはあなた方とあなた方の社会を改革するものである。もしあなた方が、その醜さ、罪、腐敗の泥沼から脱し、自分の行いによる厳しい結果に巻き込まれたくなければ、自分と社会の改革のために立ち上がりなさい』と。とはいえ、この蜂起は、神への信仰と宗教的な動機に基づいたものでなければならず、物質的、世俗的な動機であってはならない」

 

もし真剣に、宗教的な目的を持つ準備ができたなら、何よりもまず、自分の信条を、思想によって改めるべきです。そして、神は何のためにあなた方を創造したのか、あなた方に何を求めているのかを考えましょう。神はどのような目的で、あなた方のために預言者を遣わしたのでしょうか? また、自分の行いの結末についてよく考えましょう。

 

よく考えれば、神が、人間を導くために預言者を遣わしたこと、預言者の目的は、人々の醜い行いを防ぐために警告を与える以外にはないことが分かります。人々を熟考へといざなう人物が狂人であるはずがありません。しかし反対者は彼のことをそのように呼んでいます。私とあなた方に大きな危険について警告する人は、その危険についてよく知っているというのに、その人を狂人扱いすることができるでしょうか?

 

とはいえ、社会を改革するための努力の中では、他人のことを待っていてはなりません。また、社会の大多数が過ちに走っているとき、私たちに一体何ができるだろうか、などと諦めてはなりません。それどころか、二人ずつ、もし無理であれば一人ずつ、自分と社会の改革のために努力し、他人のことは気にせずに、自分の責務を果たしましょう。

 

第46節の教え

  • 座って話しあうだけでは、何事も前に進みません。行動を起こしましょう。とはいえ、それは神のためのものでなければなりません。
  • 神のための蜂起においては、人々の数は重要ではありません。重要なのは、神の道における行動のための純粋な動機と行動の質です。
  • 神の預言者ムハンマドは、長年に渡って人々の間で生活しました。彼は人々の間で、誠実さや責任感、賢さや理性で知られ、わずかな欠点も見られませんでした。それでもなお、預言者が多神教徒に対して、彼らの行いの悪しき結果について警告すると、彼らは預言者を狂人と呼んだのです。

 

第47節  

「言え、『私があなた方に報奨を求めれるとすれば、それはあなた方自身のためである。私の報奨は、神からのみ受け取る。神はすべてのことを証明される』」

قُلْ مَا سَأَلْتُكُمْ مِنْ أَجْرٍ فَهُوَ لَكُمْ إِنْ أَجْرِيَ إِلَّا عَلَى اللَّهِ وَهُوَ عَلَى كُلِّ شَيْءٍ شَهِيدٌ 

 

前の節に続き、この節でも、預言者に対し、導きの方法について人々に伝えることが命じられています。「私はあなた方を神の道に導き、最後の審判について警告を与える中で、物質的な目的は一切持っていない。あなた方に何かを求めているわけではない。私の使命に報奨を与えるのは神である。私があなた方に何かを求めたとすれば、それはあなた方自身のためであって、私のためのものではない。もしあなた方に自分のための何かを求めたとしても、それもあなた方のためである。あなた方に報奨を求め、例えば、預言者一門を愛するようにと言うのは、その結果があなた方についてくるからだ。それに従うことによって、正しい道に導かれ、逸脱や迷いに陥らなくなる」

 

それは、教師が生徒に対し、自分が教えたことをよく学ぶようにと求めることと同じです。この教師の要求は、自分のためではなく、生徒のためのものです。神のすべての預言者は、歴史の中で、心の優しい教師のように、正しく生きる道を人々に教え、その報奨を人々に求めることはなかったのです。

 

第47節の教え

  • 宗教の伝道師たちは、人々に金銭的な報奨を期待してはなりません。彼らは自分は何も期待していないことを明らかにし、責務の遂行によって人々を導く必要があります。
  • 神の道を選び、宗教の指示を実行しているからと言って、自分は預言者や神に貸しがあると考えないようにしましょう。なぜなら、私たちが行う事柄は自分たちのためのものであり、神や預言者に利益が及ぶことはないからです。
  • 神が私たちの行いを証明してくださいます。それなのになぜ、一部の人々の誹謗中傷に傷つき、人々を導く道を怠ってしまうのでしょうか?