ペルシャ語ことわざ散歩(82)「善を成してチグリス川に投げよ、神が砂漠で再び与えてくださる」
皆様こんにちは。このシリーズでは毎回、イランで実際に使われているペルシャ語の生きたことわざや慣用句、言い回しなどを1つずつご紹介してまいります。
今回ご紹介するのは、「善を成してチグリス川に投げよ、神が砂漠で再び与えてくださる」です。
ペルシャ語での読み方は、To niikii mikon va dar Dejle bendaaz ke Iizad dar biyaabaanat dehad baazとなります。
このことわざが意味しているのは、報酬や見返りを期待せずに他人のために何かよいことをすれば、その結果はいつか巡りめぐって自分に帰ってくる、ということです。
このことわざは、8世紀から13世紀にかけて西アジア・北アフリカにかけて栄えたイスラム王朝政権・アッバース朝時代のある出来事がもとになっています。
アッバース朝の10代目の為政者ムタワッキルは、ある若者に目をかけ、彼に水泳を教え込みます。この若者はある時、チグリス川で泳いでいたときに突然、水かさの増した川に呑まれて行方不明になりますが、しばらく後に生還します。彼は、自分が助かったいきさつとして、ちょうど運よく川岸の窪みに行き着き、毎日決まった時刻に流れてくるパンを食べて命をつないでいたということでした。
後で調べたところ、このパンはイラク・バグダッドに住むある漁民が、昼食に食べ残したパンを捨てずに、川魚のためにまいたものだったことが判明します。為政者ムタワッキルは後にこの漁民を探し出して、この行動を称え、褒美を与えたとともに、「善を成してチグリス川に投げよ、神が砂漠で再び与えてくださる」と述べたということです。なお、イランではパンは神が与えた食物として大切にされ、食べ残しのパンをそのまま捨てずに専門の業者などに引き取ってもらう仕組みになっています。
この物語に出てくる漁民はまさに、パンを大切にしたとともに、それで他人の命をも救ったことになります。見返りを求めない、無意識のよい行いがいつかその人に帰ってくるという概念は、日本もイスラムも共通しているようですね。それではまた。