イランの宗教音楽とイマーム・レザーにまつわる音楽話(音声)
以前の別の音楽関連の番組で、宗教的な儀礼音楽の中で、ロウゼハーニーやノウヘハーニーと呼ばれる哀歌が非常に重要視されてきたことをお伝えしました。
こういった哀歌が歌われるのは、主にイスラム暦のモハッラム月にあたる、シーア派3代目イマーム・ホサインが殉教したアーシュラーの追悼週間ですが、この期間に限定されるものではありません。イマーム・ホサインの40日忌に当たるアルバイーンの儀式だけでなく、預言者一門の殉教日においても行われます。
こういった宗教的な音楽は、これまで6回から10回に渡ってお話してきた、イランの伝統的な旋法体系にのっとった音楽と、分かちがたい形で互いに影響を及ぼしてきました。これに関して、イラン国立芸術大学の講師、イーラジ・ダシュティザーデ氏は次のように語っています。
「ロウゼハーニーなどの宗教的な音楽は、歴史的にイランの旋法体系にのっとったダストガー音楽と密接な形で相互に影響を及ぼしてきた。たとえば、マーフール旋法において大変重要な曲のひとつ、ラーケ・アブドッラーのメロディは、過去においては殉教劇タアズィーエの際に歌としてうたわれていた。一方で、ロウゼハーニーやノウヘハーニーのメロディは、歌詞を変えて、特定の旋法体系の歌として、イラン古典音楽に取り入れられてきた」
一説によると、ロウゼハーニーは、イランの英雄叙事詩『王書』を語る、シャーナーメハーニーの形式に一定の影響を受けています。テレビやラジオのメディアが一般的でなかった時代、こういった英雄叙事詩の語り部による語りは、人々にとっての娯楽のひとつでした。イマーム・レザーの聖廟のあるマシュハドには、郊外のトゥースに『王書』の著者、フェルドゥースィーの廟があることもあり、かつて数多くのシャーナーメの語り部が活動を行っていました。こうしたことから、おそらく、マシュハドでの、イマーム・レザーに関するロウゼハーニーは、洗練を遂げていったと思われます。
ロウゼハーニーというと、ホサインの殉教に関するものが多いですが、イマーム・レザーに関するものも、存在します。
現在、イマーム・レザーやイマーム・ホサインについてうたわれる歌は、伝統的なロウゼハーニーの形式のみでおこなわれているだけではありません。今回は時間等の都合でお伝えできませんが、イマーム・レザーの聖廟のあるホラーサーン州の地方音楽においても、弦楽器ドゥタールの演奏とともに、預言者一門への賞賛などの宗教的な内容が歌われる曲が存在します。また、イマーム・アリーに関しては、イラン西部コルデスターンの弦楽器タンブールによる音楽でもうたわれています。
そして、こちらも曲調の点から紹介することはできないですが、ホラーサーン地方の民謡として有名な歌に、イマーム・レザーに関する伝承を扱った歌があります。ある日、イマーム・レザーは、鹿を捕まえた狩人を見かけました。鹿は狩人に殺される前に、自分の子供に食事をとらせたい、と懇願します。これを聞いたイマーム・レザーは、鹿が帰ってこなかったときの人質として、この狩人に自分自身の身を差し出しました。結果的に、イマーム・レザーの振る舞いに感服した狩人は鹿を解放し、去っていったのです。このため、イマーム・レザーはザーメネ・アーフー、つまり「鹿の保護者」と呼ばれています。この歌は、イランでもホラーサーン民謡として、様々なミュージシャンがカバーしています。
しかし、なんといっても、こういった預言者一門に関する歌において、近年活発な動きを見せているのは、ポップスといえるでしょう。実際、モハンマド・エスファハーニーをはじめとするイランのポップス歌手は、預言者の一族を悼む歌を盛んに歌っています。全体的に、現在、宗教上の偉人を称賛し、悼む作品に関しては、ポップス歌手の活動は目立っています。こういった歌は、現在、イランの人々の間で大きな人気を博しています。