光の彼方への旅立ち、ファーテル章 (13)
コーラン第35章ファーテル章創造者、第42節~第44節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第42節
(42)وَأَقْسَمُوا بِاللَّهِ جَهْدَ أَيْمَانِهِمْ لَئِنْ جَاءَهُمْ نَذِيرٌ لَيَكُونُنَّ أَهْدَىٰ مِنْ إِحْدَى الْأُمَمِ ۖ فَلَمَّا جَاءَهُمْ نَذِيرٌ مَا زَادَهُمْ إِلَّا نُفُورًا
「多神教徒は、最も強い誓いによって、もし警告者が現れるのなら、どの共同体よりも導かれた者たちになると神に誓った。だが、警告者が彼らのもとにやって来たとき、彼らはますます[真理を]嫌うだけだった。」
第43節
(43)اسْتِكْبَارًا فِي الْأَرْضِ وَمَكْرَ السَّيِّئِ ۚ وَلَا يَحِيقُ الْمَكْرُ السَّيِّئُ إِلَّا بِأَهْلِهِ ۚ فَهَلْ يَنْظُرُونَ إِلَّا سُنَّتَ الْأَوَّلِينَ ۚ فَلَنْ تَجِدَ لِسُنَّتِ اللَّهِ تَبْدِيلًا ۖ وَلَنْ تَجِدَ لِسُنَّتِ اللَّهِ تَحْوِيلًا
「[真理に対する彼らの嫌悪は、]地上における横暴な振る舞いや策略のためだった。悪い企みは、それを行う者たちを襲うだけである。そこで、先人たちに関する[神の]掟以外のことを望むのか?神の掟が他の何かに代えられることも、また神の掟に変更が加えられることもないというのに」
メッカの多神教徒たちは、ユダヤ教徒が、自分たちの預言者の一部を殺害し、彼らの教えを受け入れようとしなかったと聞いたとき、誓いを立ててこう言った。「もし預言者が私たちのもとに来ていたら、私たちはその言葉を受け入れ、その呼びかけに応じ、他の共同体よりも導かれる。だが、イスラムの預言者がメッカの人々の間に現れたとき、クライシュ族の長老たちは彼を否定した。彼らは嫌悪を示しただけであり、人々がイスラムを信じるのを阻止するために、策略を用いた」
当然のことながら、メッカの多神教徒は、自分たちの望みどおりに行動するか、あるいは少なくとも、自分たちの好みに反する言葉を発しないような預言者を望んでいました。しかし、至高なる神の前でのすべての人間の平等に基づいたイスラムの教えが提起されたとき、多神教徒の長老たちにとって、それは非常に重いものとなりました。なぜなら、彼らは決して、自分たちと奴隷が平等であることを受け入れようとはしなかったからです。しかし、イスラムは自由な身分の人と奴隷はどちらも神の創造物であり、神の御前では、人間の価値は、その人が自由の身であることか奴隷であるか、所有者であるか被所有者であるかではなく、その人の敬虔さ、正しさ、清らかさによって決まっていたからです。
一部の人がイスラムやその他の神の宗教にあらがう源は、神に対する横暴な態度にあります。自分の要求を神から求められたことよりも優先し、神に服従する用意のない人は、高慢になります。高慢で横暴な人間は、神の宗教を弱めるためにさまざまな策略を用い、常に、陰謀を企てます。とはいえ、神が望めば、高慢な人や策略を企てる人の陰謀は効力を失い、彼ら自身にかえります。この神の法は、人類の社会に関するものです。この法は変更されることはなく、神の掟として、歴史の中で繰り返されてきました。
第42節と43節の教え
- あらゆる誓いを信用することはできません。強く誓ったはずなのに破られ、それに反する行動が見られることも少なくありません。
- 人類は、怠惰に陥ったり、問題に巻き込まれたりしないようにするため、警告を必要としています。
- 多くの人々の不信心は、真理を知らないことではなく、世界の創造主に服従する用意のない、横暴で反抗的な精神からくるものです。
- 世界は、神の法則や掟に従って管理されています。この掟を知ることは、幸福にいたる上で重要です。
第44節
(44)أَوَلَمْ يَسِيرُوا فِي الْأَرْضِ فَيَنْظُرُوا كَيْفَ كَانَ عَاقِبَةُ الَّذِينَ مِنْ قَبْلِهِمْ وَكَانُوا أَشَدَّ مِنْهُمْ قُوَّةً ۚ وَمَا كَانَ اللَّهُ لِيُعْجِزَهُ مِنْ شَيْءٍ فِي السَّمَاوَاتِ وَلَا فِي الْأَرْضِ ۚ إِنَّهُ كَانَ عَلِيمًا قَدِيرًا
「彼らは、地上を旅し、以前に存在して彼らよりも力があった人々の結末がどうだったのかを目にしなかったのか? また、神を無力にするものは天にも地上にも存在しない。神は全知全能であられる」
前の節に続き、この節は、不信心者や否定者に対し、次のように語りかけています。「大地を旅すれば、あなた方以前の民に関する神の掟がどのようなものであったかを目にするだろう。彼らはあなた方よりも力があったが、神にあらがったために消滅し、彼らの力の痕跡はあとかたも残っていない」
かつて、権力と富の象徴であり、世界の大部分を支配していたフィルアウンやナムルード、その側近たちも、現在、その痕跡はまったく残っていません。彼らは、神の意志に抵抗し、神がその意志を実行するのを妨げることができたのでしょうか? また、神の力を逃れ、自分たちを救うことなどできたのでしょうか?
そう、世界のさまざまな王や民族の過去の歴史を見ると、不信心者や圧制者が存続することはなく、好ましい結末を迎えていないという神の掟を物語っています。そこで、過去から学び、悪い結末に陥らないよう、未来を作る必要があるのです。
第44節の教え
- コーランは、イスラム教徒に地上を旅し、過去の民の生活の歴史を研究するよう勧めています。
- イスラムでは、過去の民について研究し、彼らがたどった運命から教訓を得るために、過去の文明から残っている古代遺跡を保護し、それらを見学することを奨励しています。
- 覇権主義者の権力と富、表面的な栄華に惑わされてはなりません。彼らがたどった運命やその結末について考えましょう。
- 自分の力に高慢になってはなりません。なぜなら、もっと強い社会や人々も、消滅してきたからです。