6月 07, 2022 17:40 Asia/Tokyo

コーラン第35章ファーテル章創造者、第36節~第38節

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

 

第36節

 (36)وَالَّذِينَ كَفَرُوا لَهُمْ نَارُ جَهَنَّمَ لَا يُقْضَىٰ عَلَيْهِمْ فَيَمُوتُوا وَلَا يُخَفَّفُ عَنْهُمْ مِنْ عَذَابِهَا ۚ كَذَٰلِكَ نَجْزِي كُلَّ كَفُورٍ

「また、不信心に走った者たちには、地獄の業火がある。彼らは、死が宣告されることも、その責め苦が減らされることもない。このようにして、不信心に走った者には懲罰を下す。

 

第37節

(37)وَهُمْ يَصْطَرِخُونَ فِيهَا رَبَّنَا أَخْرِجْنَا نَعْمَلْ صَالِحًا غَيْرَ الَّذِي كُنَّا نَعْمَلُ ۚ أَوَلَمْ نُعَمِّرْكُمْ مَا يَتَذَكَّرُ فِيهِ مَنْ تَذَكَّرَ وَجَاءَكُمُ النَّذِيرُ ۖ فَذُوقُوا فَمَا لِلظَّالِمِينَ مِنْ نَصِيرٍ

 

「また、彼らはそこで叫び声を上げる。『主よ、私たちを出してください。そうすれば、ふさわしいことを行います。今まで行っていたのではないことを』と。[それに対する答えはこのようなものである] 『あなた方には寿命を与え、誰でも忠告を受け入れる者が、それを受け入れられるようにしたではないか。また、警告者があなた方のもとにやって来なかったか? だから、[懲罰]を味わうがよい。圧制者に助けはない』

 

第38節

(38)إِنَّ اللَّهَ عَالِمُ غَيْبِ السَّمَاوَاتِ وَالْأَرْضِ ۚ إِنَّهُ عَلِيمٌ بِذَاتِ الصُّدُورِ

「まことに神は、天と地の目に見えない事柄を知っており、明らかに人々が胸に秘める事柄を知っておられる」

 

前回の番組では、善を行った人や敬虔な人への神の大きな報奨についてお話ししました。この3つの節は、不信心者や否定者への厳しい懲罰について語っています。宗教における不信心者とは、真理を知っていながら、それを否定する人、あるいは、真理を知るための可能性が整っていながら、それを知ろうとしなかった人のことを指します。言い換えれば、不信心とは、真理を頑なに拒んだり、自分の欲望を満たすために、真理を無視したりすることです。

 

当然のことながら、個人や集団の利益のために真理を否定する人は、自分と社会に圧制を行ったことになり、そのために神の懲罰を受けます。なぜなら、創造主である神は、私たちを心のままに行動させるために創造したのではありません。創造主は、私たちを、神が明確にした道を歩むために創造しました。明らかに、この道を外れれば、人間は滅びることになるでしょう。

 

真理を否定する人たちへの最後通告として、この節は次のように語っています。「彼らは現世でどのようなことを行っても懲罰を受けることはない、と考えるべきではない。なぜなら神は、現世を行動の場所とし、人間はそこでどんなことでもできる。善い行いをするのも、悪い行いをするのも自由である。だが、その行動には必ず何らかの反応がある。とはいえ、人間の悪い行いに下る懲罰は、現世ではほんのわずかである。本来の懲罰は、最後の審判で下される。そこは現世のような時間や場所の制限がなく、誰でも、自分の善い行いや悪い行い、その影響に合わせて、報奨、あるいは懲罰を受け取ることになる」

 

 

チンギスハン、ヒトラー、サッダームフセインといった犯罪者たちは、それぞれの時代に多くの人を殺害しました。彼らが現世で罰を下された場合、処刑されるのは1回のみです。しかし、神は次のように語っています。「最後の審判に死は存在しない。誰でも自分の罪に応じた懲罰が下される。たとえ何千年かかったとしても」

 

神の懲罰の基準は、神の知識と正義です。そのため、悪を行った人々の懲罰は、その程度を超えることも、またそれを下回ることもありません。彼らは、しかるべき程度の懲罰を受けることになります。罪を犯した人が、どの程度の懲罰を受けるべきなのかは、神の知識によって決められます。なぜなら神は、人間と世界のすべてのことを知っているからです。それは、人間の表面だけでなく、心の内に秘めた事柄も含まれます。

 

この節は続けて、罪を犯した人々の要請に触れています。罪を犯した人々は、現世に戻してほしいと求め、そうすれば、悪いと知っていて行った事柄や、善い行いだと思い込んでいたものの、今になって過ちだったと知ったことも含め、悪い行いを償いたいと言います。しかし、神や地獄の役人の答えは一つです。「あなた方が現世に生きた期間は、真理と偽りを知り、それに基づいて行動するために十分ではなかったか? 神の使徒や天使たちが、あなた方の選んだ道の結末は地獄であると、現世であなた方に忠告や警告を与えなかったか?今再び現世に戻ったとき、過去の行いを繰り返さないことを保障できるだろうか?」

 

第36節から38節の教え

  • 不信心とは、恩恵に背を向けることです。恩恵を信じないこともまた、人間を不信心へと導きます。
  • 世界のすべての犯罪者は、いつの日か、無力になって嘆くことになります。しかしそのときに後悔しても、何の役にも立ちません。

 

  • 罪を犯した人に対して最後通告が下された後、懲罰を勘弁してほしい、あるいは減らしてほしいという要請を聞き入れてはなりません。公正に基づいて処罰されるべきです。
  • 人間の寿命は、怠惰に楽しく過ごすためのものではありません。成長と忠告を受け入れるためものです。それをしなければ、寿命が長くなる分、その人の懲罰も重くなるでしょう。

 

  • 寿命とその恩恵を正しく利用しないことは、自分自身に対する圧制です。神の預言者たちの警告を無視することも、自分や彼らに対する圧制です。
  • 宗教では、他人に対する圧制以上の圧制とは、自分自身に対する圧制であり、自分の能力を無駄にすることです。私たちが与えられたものは、神からの預かり物であり、私たちが所有するものではないからです。自分の体は私たちの所有物ではないのですから、好きなように利用してはなりません。