May 10, 2019 04:30 Asia/Tokyo
  • ラマザーン
    ラマザーン

イスラムの預言者ムハンマドは、断食月であるラマザーン月の偉大さや美徳について、次のように語っています。

“ラマザーン月は、神から見て最も素晴らしい月とされている。この聖なる月にめぐってくる日々は、最高の日々であり、夜も最高の夜であり、その時間は最高の瞬間である。この月には、すべての人が神を賞賛し、礼拝に勤しみ、良い行いをする。このため、ラマザーン月には、あなた方が、断食とコーランの朗誦を遂行できるよう、清らかな心と正しい目的によって、神に祈りを捧げなさい”

 

 

ラマザーン月のよく知られた慣習の1つとして、日の出前から日の入り後まで、飲食を控えることが挙げられます。この月には、断食をする人は空腹やのどの渇きに耐えることになりますが、それによって素晴らしい成果を得る事になります。そうした成果の1つが、イスラムで禁じられている事柄から遠ざかることです。

ラマザーン月に断食をする人は、行動を自制し、欲望に抵抗することで、敬虔さを高めます。この敬虔さとはまさに、心の中に信仰心が蓄積されるにつれて生まれる責任感であり、その人を罪から遠ざけるとともに、善良な言動や清らかさ、正義へといざなうものです。

人間は誰でも、多かれ少なかれ敬虔な側面を持っている可能性があります。中には、地獄の責め苦への恐れから、禁じられている行為を慎む人もいます。このレベルの敬虔さは、信仰心ある人なら誰でも持っている、通常の敬虔さです。その1つ上のレベルの敬虔さを持っている人とは、罪となる行いを慎むのみならず、罪の疑いがもたれるすべての事柄を避けます。これは特別な敬虔さと呼ばれます。

 

しかし、信心深い人の中には、さらに敬虔さのレベルが高い人も存在します。こうした人々は、明らかに罪となる行いや、それが疑われる言動を慎むのみならず、許されている事柄でさえも必要最小限にとどめます。これは、高いレベルの敬虔さとされます。

このように、人間は誰でも、自らの能力や意志の強さに応じて敬虔さを身に付けることができ、禁忌とされている事柄から距離を置けばおくほど、その分だけ神に近づくことになります。

 

1ヶ月間の断食は、日常の誤った習慣をやめる上で大きな効果があります。断食をする人は、ラマザーン月という絶好のチャンスを利用して、生活習慣や言動を根本的に変化させ、新しい生活スタイルを始めます。また、内面に潜む欲求や誘惑に抵抗し、意志を強化します。

人間は、手近に食べ物や飲み物があり、いつでも必要なときにそれに手を伸ばします。それはあたかも、庭園の壁に守られている樹木が、川のほとりで生育するのと同じです。こうした樹木は、何不自由ない環境で成育し、抵抗力がありません。このため、数日でも水がなければ枯れてしまいます。しかし、砂漠や高い山の岩肌の隙間に生えている樹木は、最初から厳しい気候条件や強風、砂嵐、冬の厳しい寒さの中で育っているため、より強い抵抗力を持ちます。

断食も、人間の精神と魂をこのように鍛えるものです。断食による一種の苦痛により、抵抗力やくじけない気力が身に付きます。断食をする人は、こうした力によって、欲望を抑え、心を光とさわやかさに満ちたものにすることができるのです。

 

 

断食にも、敬虔さと同じように段階があります。神秘主義者は、断食を、通常の断食、特別な断食、そして最高級の断食の3段階に分けています。通常の断食は、飲食を差し控え、欲望を抑えることです。これは、通常の飲食のほか、断食を無効にするような言動を差し控えるレベルの断食で、その人は宗教的な義務を果たしたことになり、最も簡単で低いレベルの断食とされます。

もう1ランク高いレベルの断食では、断食を無効にする言動を慎むだけでなく、宗教上禁じられているすべての事柄を差し控えるものです。

歴史的な伝承の1つに次のようなものがあります。

ある女性が断食をしていたものの、近隣の人々に罵詈雑言を浴びせ、苦痛を与えていました。預言者はこのことを知らされたため、その女性に食べ物を用意するよう命じました。そして、その女性に向かって、これらのものを食べるよう告げたのです。すると、その女性は驚いて、「預言者よ、私は断食をしている身です」と言いました。

これに対し、預言者は、“あなたは、隣人たちに罵詈雑言を浴びせておきながら、なぜ断食をしているなどと正面切って言えるのか。断食というのは、ただ単に飲食を控えることではないということを知っておくがよい。崇高なる神は、卑劣な言動を抑止するものとして断食を定めている。この本当の意味で断食をしている人はまことに少なく、ただ単に飲食を断っているだけの人間のなんと多いことか”と答えています。

 

さらに高いレベルの最高級の断食をする人は、飲食のみならず、自らの心の持ち方や考え方にまで気を配っています。この場合、心の中でさえ、罪となる事柄や反逆心はもちろん、言動を汚すような要素を一切抱くことはありません。

断食がこのレベルに到達すると、その人の断食は、責め苦をおそれるためでも、利益を願うためのものでもなく、純粋に神の命に従い、神に近づきたいという願望や、神の満足を得ることのみに絞られます。この種の断食は、特に自己形成の面で完成され、成長を遂げた人が行うもので、これらの人は神の満足や喜びを得ることだけを求めています。

 

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