May 30, 2019 04:30 Asia/Tokyo
  • 寄付や施し
    寄付や施し

今回は、ラマザーン月における寄付や施しについてお話することにいたしましょう。

シーア派4代目イマーム・サッジャードは、ラマザーン月に関する祈祷の一部の中で、創造主なる神に対し、次のように祈祷をささげています。

“わが主なる神よ、この聖なる月に我らが親類縁者によい振る舞いをし、彼らとの面会に足を運び、隣人に施しをし、不当に蓄財した財産を手放し、他人への施しにより清らかになり、我々から離れていった人々と再び結びつく事ができるよう、我らに力を与えたまえ”

 

断食による効果の1つとして、裕福な人も貧しい人も含めたすべての人々が神の御前に勢ぞろいし、特に富裕な人々が恵まれない人々や貧しい人々の空腹の苦しみを体験し、彼らの求めているものに気づくことが挙げられます。実際に、人々は断食によりある種の社会参加を果たすことになります。裕福な人々は、恵まれない人々を神の宴の席の賓客として招待し、貧しい人々との関係を構築するのです。

 

ここで、イスラムの預言者にまつわるある逸話をご紹介しましょう。

あるとき、ある男が神の預言者のもとにやってきて、次のように述べました。「預言者様、私にはある親類がおりまして、私は彼らに善良に振る舞い、彼らとの関係はあるのですが、彼らは私にすげない応対をしてくるので困っています。そこで、私も彼らとの関係を断ち切る事に決めました」 これを聞いた預言者は、「それなら、神もあなたを見捨てるでしょう」と告げました。そこで男が、ではどうしたらよいかと尋ねると、預言者は次のように告げました。“あなたから何かを奪った者に対しては与えるがよい。また、あなたを見捨てて去っていった者とは関係を作り、あなたにひどい事をした人を見逃すのだ。あなたがこれらのことを実行すれば、神はあなたを背後から助けてくださるであろう”

 

最も偉大な宗教的行為の1つは、神の創造物に対する貢献、そして神の僕たちを助けるために、神の恩恵を活用することです。この道においては、金銭的、物質的な施しのみならず、他人の抱えている問題を解決したり、何かの障壁や障害となっているものを解消することも、善良な行いとみなされ、ほかの信徒たちに喜びを与えたり、彼らの悲しみを和らげることも、こうした精神面での施しに含まれます。

ラマザーン月における他人への施しや寄付は、通常とは違う側面を持っており、神に近づくための手段と見なされます。任意の寄付は、信仰心ある人が宗教法に従い、自分の持っているものの中から何かを貧しい人に施す事を意味します。イスラムの聖典コーランは、いくつもの節において、任意の寄付や施しについて触れ、その重要性を指摘しています。例えば、コーラン第5章、アル・マーイダ章、「食卓」第12節においては、現世で犯した罪が赦され、天国に入れるための条件の1つとして、他人への施しが挙げられ、次のように述べられています。

“誠に、我はあなた方とともにある。もし、あなた方が礼拝の務めを守り、他人に施しをし、我の天使たちへの信仰心に目覚めて彼らを助け、神に貸付をするならば、我は必ずやあなた方の犯した罪を消滅させ、あなた方を川の流れる天上の楽園に入らせるであろう”

 

 

また、コーランのほかの節においても、施しは礼拝と並び称せられ、礼拝が神への心服を意味し、施しが個人的・社会的な生活に存在する数々の困難や不足を補い、来世での幸福と救いを保証するものとされています。これについて、コーラン第9章、タウバ章「悔悟」、第71節では、施しをする人には神の慈しみが降り注がれ、神からの特別な配慮がなされるとして、次のように述べられています。

“男の信者も、女の信者も、互いに仲間である。彼らは、正しい事を奨励し、醜悪な事柄を禁じる。また、礼拝の務めを守り、他人に施しをし、神とその使いに服従する。神はまもなく、このような人々に慈悲をお与えになる。神は偉力並びなく英明であられる”

 

 

施しが義務付けられる品目は全部で9種類あり、それらは小麦、大麦、ナツメヤシ、干しブドウ、金、銀、ラクダ、牛、そして羊とされています。これらの品目のうち1つでも所有する人は誰でも、イスラム法学に関する書物に説明されている特別な場合に、これらの品々のうちのある決まった分量を、イスラムの道において使う事が予測されている用途のために使う必要があります。

実際に、施しは、敬虔な人が自分の持っているものの一部を貧しい人に与えることと解釈されます。それは、施しという行動の中に、善良さと恩恵を伴う物質的な富の増大という希望が存在しており、施しをすることで、それをした人の精神が浄化されるからです。

イスラムで定められている施しの1つに、断食月の終了に当たって行うフェトリーエという寄付があります。これは、1人1人に対して課される人頭税に等しく、裕福な人々に対しこれを毎年の断食月の終了日の前夜に納めることが義務付けられています。この寄付を納める際には、各世帯の世帯主などが小麦、トウモロコシ、米、そしてパンのうちいずれかを3キロ、もしくはこれらの食物3キロ分に相当する金額を、自分とその家族の人数分だけ貧しい人に与えることになっています。この種の施しは、食料品の中から出されるため、貧困者の食事面での切実なニーズを満たす上で大きな効果があると考えられます。

 

神からの特別の恩恵は、誰にでも降り注がれるというわけではありません。しかし、神は自ら施しをする敬虔な信徒に対し、特別な慈しみを与えます。これについて、コーラン第7章、アル・アアラーフ章、「高壁」第156節には、次のように述べられています。

“我の慈悲は、全てのものにあまねく及ぶ。それゆえ、我は敬虔で罪を犯さず、施しをし、我らの節を信じる人々に対し、間もなく我の慈悲を定める”

 シーア派6代目イマーム・サーデグは、これについて次のように述べています。

 “神の下で最も愛される人々とは、最も寛大な人々である。そして、最も寛大な人々とは、自らの所有する物の中から施しをする人々である”

 

神の宴の月とされるラマザーン月に、人々のために作られる人間関係面での最も重要な下地は、自分の周りの人々に平常時よりも注目することです。自分の周囲の人々に注目する事で、その人は自分の持っているものの中から何かを差し出し、自分の能力を活用して、人々の親睦を深めるための歩みを踏み出す事になります。

ラマザーン月に見られるイスラム教徒のすばらしい習慣の1つに、恵まれない人々に施しをし、彼らに断食終了後の夕食・エフタールを与えることが挙げられます。こうした習慣は、イスラム教徒同士の親睦を深め、社会的な関係を強化する上での大きな助けとなります。そもそも、イスラムは友愛と優しさの宗教であり、人々の相互関係が、相互尊重や親密さにもとづいたものであることを強調しています。

 

イスラムの預言者

 

イスラムの預言者は、自分と他人の社会的な関係において、人々に対し誰よりも敬愛の情を表していました。敬愛の情と親密感に基づいた人間関係のできている社会に、常に神の慈しみが降り注がれることはいうまでもありません。このため、ラマザーン月に他人にエフタル食を与える事は非常に重要であり、これについて、神の預言者は次のように述べています。

“断食が終了する際には、施しをし、仮にいくつかのナツメヤシや一口分の水しか与えられなくとも、断食をした人々をエフタールに招待するがよい”

このことから、イランでは現在、各地のモスクや人々の往来の多い場所では、質素ながらもエフタルを出す食事の席が設けられ、ラマザーン月の精神性あふれる雰囲気に満ちており、断食をした人々がエフタルの席に招かれます。まさに、ここで、信仰が愛情の中に現れ、友愛が社会的な行動、特に社会的に必要なものとして具現されることになります。

このように、礼拝やその他の宗教的な行為を行う人は、最も寛大な人であり、自分の持っているものの中から他人に寄付や施しをする人とされています。そして、ラマザーン月に恵まれない人々や孤児に施しをするという行為は、独自の側面を帯びているといえるでしょう。

 

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