ラマザーンへのいざない(21) (最終回) 断食をすることによって得られる報償
忍耐力を養う修練の月・ラマザーン月も、そろそろ終わりを迎えようとしています。今夜は、断食をすることによって得られる報償についてお話することにいたしましょう。
精神性を高め、神に近づくための土台となる今年のラマザーン月も、大半が過ぎ去り、別れを告げようとしています。この聖なる月の宗教的行為は、人間が清らかな本質に立ち返り、精神的な経験を積むためのチャンスとなりました。シーア派4代目イマーム・サッジャードは、こうした貴重な経験を最高の利益であるとしています。
慈悲深い神は、その慈しみにより、僕たちに宗教的行為の結果としての恩恵を与え、また彼らに最高の形での慈悲と報償を与えます。断食の機能や効果について多くの事柄が語られていると同時に、神は断食をする人々が受ける報償についても説明しています。
コーランの数多くの節に注目すると、本当の意味で断食を行った人々には、神の赦し、罪を赦された人々の仲間入りをすること、天国へ行くといった素晴らしい報償が用意されていると言えます。
ラマザーン月は、この月に行われる宗教的な行為の1つ1つを行うごとに、その報償を感じる月だといえます。当然ながら、そうした宗教的行為がより深いものとなり、またそれが崇高なものになるほど、より価値の高い報償が得られることになります。断食を行った人々に対する神からのそうした報償の1つは、清らかな心と魂です。
1ヶ月間にわたる精神的な修練、そして心の内面から罪や穢れを落とすことで、人々は清らかな心を得る事ができます。人間は誰でも、時間の経過とともに無知による影響の中で、その清らかなはずの本質が各種の罪に汚され、本来の自分から遠ざかり、その結果として自己を喪失し、さらには神を忘れることになります。しかし、ラマザーン月の精神性あふれる環境や、自助努力により、人々は新たな人生を手に入れ、それによって神の方向に立ち返ることができるのです。それは、再び生まれ変わり、この世に生まれた時に持っていた明るい清らかな本質に到達するようなものです。
本当の意味での断食により、内面が浄化され、神の恩恵を利用することができるようになります。断食をする人が内面に潜む欲求を抑えて、心を神にゆだね、神の命に従ったとき、慈しみ深い神もその人に、清らかで明るい精神という、価値ある報償を与えます。この報償こそは、大切にしなければならない価値ある宝物なのです。
ラマザーン月に断食をする人々に与えられる、価値あるもう1つの報償として、神の恩恵が得られることがあげられます。宗教的な行為はすべて、独自の楽しみを伴い、その人を神に近づけるものです。しかし、ラマザーン月に神に近づくということは、断食をする人にとっては、また別の様相を帯びています。
断食をする人々は、全身で神の恩恵を理解します。この聖なる月は、全ての存在物や、さらには罪を持つ人間に神の恩恵が与えられる、絶好の機会なのです。特に、神が特別な価値を置いているガドルの夜は、神の恩恵の一部であり、この夜、断食をした人に対して、神からの赦しという恩恵が得られ、善良で清らかな人々が精神性の面でより高い地位を得られるのです。このように、全ての人々はその資格に応じて、神の恩恵を受け、この偉大な恩恵にあずかっています。
宗教的な行為はいずれも、明らかに精神を成熟させ、その人に栄誉を与えます。ラマザーン月における断食の効果は、精神の成熟という点で、ほかの宗教的行為とは比較になりません。このため、断食という偉大な宗教的行為に対する神からの報償は、この上なく大きく、深いと言えます。
断食をする人にとって、このような聖なる月の報償は、息を吸うことも神への賞賛とされ、また、眠ることも崇拝行為とみなされるほど大きいのです。
ラマザーン月における神からのもう1つの報償として、罪の赦しがあげられます。これについて、ある伝承には次のように述べられています。
“誠に、崇高で聖なる神にとって、ラマザーン月の毎日、終日罪の赦しを乞う断食の実行者に対し、断食終了の合図を告げる代理人は天使たちである。天使たちは、次のように告げる。
『神の僕たちよ、吉報を受け取るがよい。あなた方はいささか空腹であるが、じきに大いに満腹するであろう。聖なる存在となり、また聖なる行いをするがよい』と。
かの天使たちは、ラマザーン月の最後の夜まで、断食をする人々に告げる。『神の僕たちよ、吉報を受け取るがよい。誠に、神はあなた方の罪を赦され、あなた方の悔悟を受け入れた。未来のあなた方がどのようになるかを見るがよい”
さらに、ラマザーン月の断食がもたらす報償として、神の喜びが得られることが指摘できます。言うまでもなく、夜明けから日没までただひたすら神の喜びのために、夏の焼け付くような暑さの中で飲食を控え、汚らわしい考えを振り払い、この月にいずれの生き物にも危害を加えない人、常に心の中で神を思う人は、神の喜びという大きな報償を得る事ができるのです。
それでは、ラマザーン月における神からの報償が私たちに与えられている事を感じるにはどうしたらよいのでしょうか。これについて、イランイスラム共和国の建国者であるホメイニー師は、次のように述べています。
「もし、ラマザーン月の後にあなたの状態に何がしかの変化を感じたなら、あなたはその分だけ神の宴の場に入ったことになる。だが、何の変化も起きていないならば、その恩恵を受け損ねたことになる」
明らかに、私たちの言動に懺悔による本格的な影響が現れた分だけ、すなわち罪となる行いに傾かないようにし、神への服従へのより固い決意を決めたなら、私たちは精神的な進歩を遂げたことになります。この光り輝く月に、断食の実行者として敬虔さを身につけ、神に近づく階段を一段でも上った人は、大変素晴らしいというよりほかにありません。そのような人こそ、神からの報償を受け、その人たちの場所は間違いなく恒久的な楽園となるのです。
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