慈愛の預言者イーサー
預言者イーサー(イエス)は、世界の人々すべてにとって、神を求める慈愛ある預言者です。
コーランには、イーサーが神の命によりゆりかごの中で言葉を発し、マルヤム(マリア)を驚かせたことが次のように記されています。
「彼が言葉を発して言った。『私は神の僕です。神は私に書物を与え、預言者になさいました。私がどこにいようと、神は私を祝福の源としてくださる。そして生きている限り、私に礼拝と喜捨を行うよう命じられた。私が生まれる日、死ぬ日、そして蘇らされる日、私に平安がありますように』」
コーラン第19章マルヤム章マルヤム、第30節から33節
預言者イーサーは、ユダヤ人のさまざま集団が対立していたときに生まれました。サドカイ派とパリサイ派の2つの主流派が、この時代、人々の信仰の中心となっていました。
サドカイ派は、貴族や主に聖職者であり、宗教的な伝統を守るため、ローマ帝国の皇帝と手を組み、また、ギリシャ文化と決して対立することがありませんでした。彼らは、神は聖典の教えをユダヤ人以外にも広めていたと考えていたのです。
一方、パリサイ派は、聖職者を除くグループでしたが、サドカイ派よりも大きな影響力を持っていました。彼らはユダヤ人はほかの集団から分離すべきであり、ほかの集団にしたがったり、交流してはならないと考えていました。また、ユダヤ人は自分たちの宗教や文化を手放し、富を得たりしてはならない、としています。
パリサイ派はパレスチナのいたるところに存在し、ベイトルモガッダスの外から来たユダヤ人が集まるシナゴーグに影響を及ぼしていました。
確かに、この2つの宗派のほかに、サマリア派やゼロテ派などの狂信的な集団も存在しました。サマリア派は異教徒とみなされており、ゼロテ派はローマ人がパレスチナを占領していたことに反対する中で、テロを行っていました。彼らは、ローマ人だけでなく、同郷のユダヤ人も、祖国愛や宗教心が足りないとして攻撃していました。
預言者イーサーは、まさにこのような時代に生まれました。各派のユダヤ教徒の要人は、古い書物を集めて得た情報や予言により、彼の特性を知っていましたが、当初から、すべてを無視し、この偉大な預言者に対抗してきました。
ユダヤ教徒の要人たちは、最初の行動として、マルヤムを堕落の罪で非難し、イーサーとマルヤムを石打刑にしてしまおうとしました。しかし、「神は私に書物を与え、預言者になさいました」とした、ゆりかごでのイーサーの言葉により、彼らの陰謀は無駄に終わり、2人は救われたのです。
預言者イーサーは、およそ30歳のころ、神からの託宣を受けました。福音書が記されたような形で、彼は自身の託宣を人々に公表しました。預言者イーサーは彼らに対して、自身に従うよう呼びかけ、ユダヤ人の逸脱に対抗し、彼らを迷いから救おうとしました。そして合法と違法について彼らに語り、禁じられていた事柄の一部を問題ないとしました。
これにより、預言者イーサーの福音書の最初は、人々に向けて語られており、マタイ伝17章4節では、悔い改めよ、天国は近づいているとされています。
預言者イーサーは人々を導いただけでなく、病気の人々をも治療し、生まれつきの盲人の目を見えるようにしたり、ハンセン病の人を治したり、死人を生き返らせたりしました。彼は泥から鳥を作り、それに生命を吹き込んだりしました。
イーサーは弱い人々を助け、子供や女性に親切にしました。しかし、一方で、一部のパリサイ派の人々や、過激なゼロテ派の人々には、強く反対していました。
また、人々を導くうえで、大変な苦労に耐えました。彼は、このような多くの苦しみの中でイスラエルの民の一団には罪深い行為や逸脱をやめる意思がないことを悟りました。そして、自身の一族の中で、「誰が神の道において私を支援するのか」と語りました。
一部はこの呼びかけに応じました。これらの人々は清らかな人物で、神はコーランの中で、彼らを、使徒と呼んでいます。彼らはイーサーに対してあらゆる支援を行うとしました。コーラン第3章アール・イムラーン章イムラーン家、第52節から53節には次のようにあります。
「『私たちは神に信仰を寄せている。私たちが服従していることの証人となって下さい。神よ、私たちはあなたが下した事柄に信仰を寄せ、あなたの預言者を信奉しています。それで私たちを、イーサーが預言者であることを誓う人々の仲間として記録したまえ』」
預言者イーサーは、使徒たちとともに、パレスチナの北部に入り、人々に真の神の宗教を伝えました。イーサーが一般の人々に示した神の英知は、彼らを驚かせ、人々を支配していた為政者をいらだたせました。イーサーはユダヤ教の要人が快楽にふけっていることに厳しく反対していました。
預言者イーサーにとって、どのような腐敗行為も正当化できるものではありませんでした、このため、彼に反対する集団すべては、イーサーを殺害する下地を整えようと、行動をともにしました。彼らは自身の悪しき目的を果たすため、ローマ帝国の皇帝をそそのかし、もしこの状況が続けば、統治体制は転覆することになる、イーサーを殺さなければ、支配体制は維持できないとしたのです。
彼らの陰謀を知っていたイーサーは、使徒とともに庭園に行き、そこに隠れました。しかし、使徒のユダが、その潜伏場所を明かしてしまいます。ローマ帝国の手のものがそこを夜襲し、使徒たちを包囲しました。使徒は危険を感じて、イーサーを置き去りにしてしまいます。
しかし、このような危険なときにおいても、神はイーサーを見放さず、彼を助け、彼の存在を襲撃者から隠します。神は、イーサーについて常に告げ口を行っていたユダを、イーサーのように仕立て上げ、ローマ帝国の手のものは彼をイーサーの代わりに拘束しました。
ユダは不安により、われを失い、口を閉ざし、自分が何者であるかを語れなくなりました。自分がイーサーであることを否定したときも、誰も彼の言葉を受け入れず、十字架にかけられました。この出来事の目撃者は、イーサーは殺されたと考えていました。コーランが語るように、イーサーは殺害されず、また十字架にもかけられませんでしたが、その後についてはよくわかっていません。
イーサーが天に召された後も、使徒はイーサーの道を歩む責務を引き継ぎました。使徒のペテロは、イーサーの最初の弟子となり、人々を導きました。彼は使徒をイーサーの指示に従って、イスラエルの民や、そのほかの地域に派遣し、福音を広めたのです。
最後に、預言者イーサーの慎み深さについてお伝えしましょう。
ある日、イーサーは使徒たちの元に行き、「頼みがある。もし、それをかなえるのを約束すれば、言おう」と語りました。使徒たちは、預言者イーサーよ、あなたの行うことにすべて従いますと言いました。イーサーは立ち上がり、その後、体をかがめ、彼らそれぞれの足を洗いました。使徒たちは恥ずかしく思いましたが、イーサーの願いを受け入れると約束したので、それに従いました。それが終わった後、使徒たちは次のように語りました、「預言者よ、あなた私たちの教師であり、私たちがあなたの足を洗うのが適切なのであって、あなたが私たちの足を洗うのは適切ではない」。預言者イーサーはこのように語りました、「人々に奉仕することがふさわしい人物とは、学識あるものだということをあなた方に教えるためにこのようなことをした。そしてあなた方に謙虚さについて学び、あなた方が私の後に、人々を導く責務を担い、謙虚さにより自分たちの道を切り開くために、このようなことをした。基本的に、英知とは慎み深さによって育つものであり、高慢によって育つものではない。植物が固い土の中ではなく柔らかい土の中で育つように」
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