平和の使者、イエス・キリスト
25日は、イエスキリストの祝福すべき生誕日です。この預言者は、他人への愛情というメッセージを人類にもたらし、人々の疲れた魂と暗い大地に慈悲の雨を降らせました。
イーサーは他人への愛情を人類にもたらしました。彼はその出現によって、光と友愛を人類にもたらし、すべての貧しい人や恵まれない人に暖かい手を差し伸べました。そのため、裕福な人や権力主義者は、彼の宗教を貧しい人々のものだと考えました。
預言者イーサーの誕生は驚くべき出来事で、コーランにもそのことが記されています。預言者イーサーは、マルヤムという名の、夫のいない貞節な母親から生まれました。神はコーランの中で、イムラーン家の娘、マルヤムについて、非常に貞節で禁欲的な女性だったと語っています。この女性は、子供のころから、神を崇拝し、心を浄化することによって、気高い精神性の地位に達したため、天からの食事が彼女のもとに用意されていました。
マルヤムが神に祈りを捧げていると、突然、大天使ジブライールが降り立ち、息子の誕生をこの女性に知らせました。神はコーラン第19章マルヤム章マルヤム、第16節から21節で、この出来事に触れています。
イーサーは、偉大なる神の預言者のひとりで、その名前は、聖典コーランの中で、神の言葉、神の魂、聖なる魂に認められたものとして、美徳や偉大さと共に語られています。コーランでは45か所にイーサーの名前が出てきており、数か所で、マスィーフという名で触れられています。母親のマルヤムは、世界で選ばれた清らかな女性の一人で、至高なる神に近い地位に到達しました。そのため、神の天使が彼女のもとに降り立ち、彼女にマスィーフという息子の誕生が知らされたのです。
預言者イーサーが父親を持たずに誕生したことは、神の力のしるしであり、神は一部の創造を、原因や手段の法則に限定していません。一部の人は、預言者イーサーが父親を持たずに誕生したことを、彼が神であることの根拠だとし、また別の人々は、彼の母親を非難にしたり、預言者イーサーの存在に疑いを投げかけるための口実にしています。
キリスト教徒の一団がメディナにやって来て、預言者ムハンマドのもとを訪れました。彼らは預言者と語りあう中で、預言者イーサーが父親を持たずに生まれたことを、彼の神性のしるしだとしました。そのとき、コーランの節が下され、彼らの言葉にこのような答えが述べられました。コーラン第3章アールイムラーン章イムラーン家、第59節には次のようにあります。
「マルヤムの息子、イーサーの創造と誕生は、預言者アーダムの創造と同じ[か、あるいはそれ以上に重要な]ものである」
つまり、もし父親を持たずに生まれることが神性の根拠であるなら、両親がいないのに生まれた預言者アーダムにも神性を与えるべきですが、誰もそのようなことは主張していません。
預言者イーサーは、圧制がはびこり、混乱した時代に誕生しました。この時代には、逸脱した人々を正し、不幸や迷いから救ってくれるような、宗教の指導者の必要性が感じられていました。
預言者イーサーは、自らの使命を発表し、人々に、敬虔さ、神への崇拝、真理の追求を呼びかけました。預言者イーサーは、イスラエルの民を救い、彼らの逸脱の根源を絶つため、献身的に多くの困難に耐えました。預言者イーサーは、聖地ベイトルモガッダスの学者たちの輪の中に入り、彼らの言葉に耳を傾け、それについて深く考えていました。彼は人々が簡単にあらゆる言葉を信じ、それを肯定するのを目にしていました。
預言者イーサーは、そのようにして彼らに同調することはできず、人々の間で自分の考え方や思想を広めるようになり、真理を述べることによって、彼らと議論しました。一部のユダヤ教の司祭は、彼の態度に腹を立て、彼の質問を無視しました。次第に、預言者イーサーが口を開くと、皆が真剣に耳を傾け、偽りの信条を持つ人々の立場が狭くなっていきました。そのときまで、彼らの偽りの信条に対して議論をしたり、彼らの言葉よりも聴衆の言葉の方が重視されるようなことは例がありませんでした。こうした中、預言者イーサーは、彼らの抗議を気にも留めず、彼らの怒りや憎しみにひるむこともありませんでした。それどころか、多くの質問を彼らに投げかけ、論証によって、彼らの反論を封じていました。
預言者イーサーは、神からの啓示を受け取り、神は新約聖書を彼に教えました。彼は30年近く、預言者の地位につき、人々の間で自らの教えを広め、布教活動を行い、ユダヤ教徒の逸脱を阻止し、彼らの対立の焦点となっていた合法的な事柄と禁止事項について彼らに説明しようと努めました。
預言者イーサーの使命のひとつは、自分のあとのアフマドという名の神の使徒、つまりイスラムの預言者ムハンマドの出現を知らせることでした。神はこの出来事を、預言者イーサーの言葉で次のように語っています。
「また、マルヤムの息子イーサーはこのように言った。『イスラエルの民よ、まことに私は神からあなた方のもとに遣わされ、ユダヤ教の聖典を認める。そして、私のあとにアフマドという名の預言者が現れることをあなた方に知らせる』」
イランのイスラム革命の指導者、ホメイニー師は、預言者イーサーの高い地位について次のように語っています。
「イスラムは、預言者イーサーに多大な敬意を払っており、彼を偉大な神の預言者とみなしている。聖典コーランも、彼とマルヤムを擁護している。我々イスラム教徒は、イーサーたるマスィーフを神の偉大な預言者と見なしている。コーランはマスィーフを偉大な預言者と呼んでいる」
ホメイニー師は、また別の箇所で次のように語っています。「イーサー・マスィーフは、そのすべてが奇跡であった。清らかな母親から生まれたことも奇跡であったし、ゆりかごの中で言葉を話したことも奇跡であった。また人類に平和と精神性をもたらしたことも奇跡であった。マスィーフは平和の預言者であり、世界の平和を求めている」
イスラムとその教えは、人間の幸福の最後の処方箋として、他の唯一神信仰の宗教と神の預言者たちを認め、すべての人にこれらの宗教と預言者を尊敬するよう呼び掛けています。神は、コーラン第4章アン・ニサーア章婦人、第136節で次のように語っています。
「信仰を寄せた人々よ、神とその予言者、そして彼がもたらした聖典、以前に下された聖典を信じなさい。誰でも神と天使たち、聖典とその預言者、復活の日を信じない人は、実際、長くてはるかな迷いに陥っている」
神の預言者はみな、イスラムとイスラム教徒に認められており、この偉人達の道徳的な指導や教育に従うことは、救済という宝を手に入れるための道となっているのです。
イランのキリスト教徒は、預言者マスィーフの生誕日を祝っています。特に首都テヘランの他、イスファハーンやタブリーズといったイランの大都市のキリスト教徒の居住区では、商店のショーウインドウやホテルなどに、赤や緑、金色で飾られたクリスマスツリーが見られます。イランの一部のキリスト教徒は、12月25日にクリスマスを祝い、1月1日に新年を祝いますが、アルメニア教徒は、クリスマスを1月6日に祝います。
イランのキリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒は、宗教少数派として正式に認められており、イランの国会にも議席を有し、宗教儀式を行う上での自由を享受しています。イランのアルメニア教徒の一人は次のように語っています。「イスラム教国のいずれにおいても、キリスト教徒は私たちがイランで祝うようなクリスマスの儀式を行うことができない」
イランの人口8000万人のうち、およそ97%がイスラム教徒で、残りの3%はイスラム教徒以外の人々となっています。それにも拘わらず、イランの憲法により、唯一神信仰の宗教の信者は、多くの分野において、イスラム教徒と同等の権利を有しています。
平和と友愛の預言者であるイーサーマスィーフの生誕日に際し、改めてお祝いを申し上げます。