視点
10月7日・米軍のアフガン侵攻から21年・米の犯罪を想起させる日
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米軍のアフガン侵攻
2001年10月7日のアメリカによるアフガニスタン軍事侵攻は、20年間にわたるアメリカとその同盟国のアフガン占領における各種犯罪を想起させる日です。
これまでに発表された各種統計によりますと、アメリカとその同盟国によるアフガン占領で、米軍により7万1000人ものアフガン民間人が殺害されています。しかし、独立系のアナリストは、実際の死亡者数はこれよりはるかに多いだろうと見ています。それは、西側メディアにより行われた一連の検閲が原因で、アフガンにおける米軍およびNATO・北大西洋条約機構の犯罪の正確な規模や統計に関する情報がほとんど入手できないからです。
しかし、独立系メディアや国連筋が発表した統計や情報を整理してみると、20年間におけるアフガンでのアメリカの犯罪の深刻さが見て取れます。
これについて、アフガン人の専門家モウラヴィー・モファッラ氏は、「アメリカはいわゆるテロとの戦いやアフガンでの治安確立を口実に同国に軍事侵攻・占領した。だがその一方で、この20年間でアメリカはアフガンでの最大のテロ実行犯と化し、腐敗や犯罪という米軍のアフガン駐留の負の遺産だけが残された」と語っています。
白リン弾やクラスター爆弾の使用は今なおアフガン市民の心身に甚大な悪影響を残しており、それは同国の今後数世代の人々をも苦しめるだろうといわれています。しかもこの種の爆弾使用は、気晴らしにアフガン人の遺体から手指を切り落とすといった行為や米占領軍のによる殺人の統計データの改ざんとあわせて、米軍の犯罪の氷山の一角に過ぎません。
夜間の民家への押し入りや、特殊刑務所での市民への拷問については正確なデータがないものの、過去20年間のアフガン占領における米・NATO軍による完全な人権侵害の例に他なりません。
アフガンの複数の大学で教鞭をとるアブドルラティーフ・ナザリー氏はこれについて、「アメリカは国家建設のためにアフガンに来たのではなく、彼らの目的はアフガンを地域諸国に対するスパイ活動拠点にすることにあった。このため、アフガン国民の状況改善のための一歩をまったく踏み出すことはなかった。今残されているのは、廃墟でしかない」と述べています。
いずれにしても、10月7日という日は20年間にわたるアフガン占領での米とその同盟国の犯罪を想起させる日であり、これはアフガン市民の記憶に歴史として焼き付けられると思われます。これらの犯罪の影響は西側諸国の組織犯罪・占領の象徴として、今後数世代にわたりアフガン人の心身の双方に何らかの形で現れてくると見られます。このため、アフガン市民はこの日を暗黒の日だとしています。
アメリカ側はあくまでもアフガン占領を終結させたと主張していますが、実際には今なおミサイルや空爆によりアフガン国民の殺害に手を染め続けています。このことは、アメリカがアフガン市民の生命や財産など全く眼中になく、どうでもよいと考えている事を意味しています。アフガン市民は、独立した国際司法機関が、同国での米軍の犯罪の調査へ着手することを求めるとともに、抑圧されたアフガン国民数万人がこれ以上アメリカとその同盟国の玩具となることを許さないでほしいと期待しています。
アメリカの軍事裁判所が、米軍の一部の犯罪者を表向きには法廷に召喚したことは確かです。しかし、アフガン国民は、自分たちの国で犯罪を犯した者を有罪とした米軍事法廷の判決は目にしておらず、またそれは決して期待できるものではないのです。