イラン全土で、反米デモ行進が開催
イランの首都テヘランおよび900の各都市で何百万人もの人々が反米を示す「世界的覇権主義と戦う日」のデモ行進を行いました。
今から43年前の1979年11月4日、イランの学生たちがアメリカによる複数の反イスラム革命的陰謀に抗議して、スパイの巣窟たる在テヘラン・アメリカ大使館を占拠しました。
イラン暦アーバーン月13日にあたる同日は、イラン史上の重要な3つの出来事が起きた日です。1964年(イラン暦1343年)のこの日には後のイラン・イスラム革命初代最高指導者のホメイニー師がトルコに追放され、1978年には時のパフラヴィー王政による児童殺害、そして1979年にはアメリカ大使館占拠事件が起こりました。
この3つの出来事はいずれも、イラン・イスラム革命が一大運動として提起される上で特別な役割を果たしました。その本質は世界的な覇権主義者との闘いであり、それゆえ、この日は「世界の覇権主義との闘いの日」と呼ばれています。
国際通信イランプレスによりますと、4日金曜の「世界的覇権主義と戦う日」の式典に参加した人々は、「アメリカに死を」というスローガンを叫び、犯罪者たるアメリカを筆頭とする覇権主義体制の敵対的で傲慢な政策への嫌悪を表明しました。
地域および国際メディアも、この行進にイラン国民が参加したことを広く報道しました。
イランのライースィー大統領は、テヘランで行われた同日の行進に集まった人々を前に、「イランは地域で影響力を持っている。地域におけるイランの賛意がなければ、どのようなバランスも実現されることはない」と述べました。
また、アメリカに向けた形で、「米国がアフガニスタン、シリア、イラク、さらには地域や世界の人々に対して自由の名の下にもたらしたものは、我々の目の前に置かれている。我々は、米国が自由やテロとの戦いという名で諸国民を搾取している様を、これらの国々の状況によって見ている。しかし米国は、リビアやシリアといった一部の国に使った処方箋を、イランで使うことは不可能だと知るべきだ」と続けました。
そして、アメリカが世界の戦争と流血において主導的な役割を果たし、自国利益の確保のために諸国民の利益を潰していると説明したうえで、同国のバイデン大統領による暴動支持の発言に言及し、「バイデン大統領は、自分たちがイランの解放を目指していると語ったが、イランは43年前にすでに解放されている。我々は、米国に捕らわれて彼らに乳を提供するに乳牛となることは決してない」としました。