視点
イラン人収容者に対する西側の非人道的な対応 人権へのダブルスタンダードの象徴
ベルギーで拘束されていたイラン人外交官アサドッラー・アサディー氏が5年ぶりに釈放され、26日にテヘランに到着しました。
今回の釈放にあたっては、オマーンがイランとベルギーの仲介にあたりました。
アサディー氏は2018年7月、外交特権を持っていたにもかかわらず、反イラン組織・MKOモナーフェギーンの集会への攻撃を計画したという容疑で、ドイツにおいて不当に逮捕されました。
アサディー氏はその後ベルギーへ移送され、裁判で懲役20年の判決を言い渡されました。そこから1789日間におよぶ拘束生活が始まりました。その間、刑務所内の精神障害者らが集められる棟に100日間勾留され、コンクリート製のブンカーに90日間、さらに窓のない独房にも3カ月勾留されていました。
アサディー氏のテヘラン帰還後、注目を集めたのはそのやつれた姿でした。それは、ベルギーの刑務所内で受けた身体的・精神的虐待によるものでした。このことは、口先では人権擁護を謳うものの、行動ではアサディー氏に対してウィーン条約に違反する形で対応したように、ベルギーをはじめとする西側諸国の非人道的な本質を示すものです。
アサディー氏は拘束期間中、極めて困難な状況に置かれていました。アサディー氏が手書きで記した拘束生活の様子を、妻がSNS上に公開しています。そこには以下のように書かれています。
「私が20日間にわたってブンカーに収容されていたことは、同じ刑務所の誰も信じなかった。どんなにひどい囚人でも、数日ブンカーに送られた後、再び独房に戻っていたからだ。そこでの20日間、私は外の空気を吸うことを許されなかった。荷物はすべて部屋の外に預けられ、クッションと毛布1つずつと、洋式トイレ以外は何もなかった。天井や地面は粗末な色のタイルやセラミックで覆われ、まるで遺体安置所のようだった」
イラン司法府人権本部のガリーブアーバーディー書記は、アサディー氏の拘束について、「彼の権利は、人権および国際的権利に照らして著しく侵害された」と述べています。
アサディー氏の前にも、イラン国籍のハミード・ヌーリー氏がスウェーデンで拘束され、イラン反体制派テロ組織モナーフェギーン(MKO)の求めに応じて、同氏に有罪判決が下されました。
ヌーリー氏は2019年11月、個人的な目的でスウェーデンを訪問しましたが、入国の際に同国の治安部隊に逮捕され、それ以来およそ38ヶ月の間、刑務所に収監されています。
ヌーリー氏は、イランで33年前に起きた事件の一部に関与したとしてスウェーデン検察当局から起訴されています。ヌーリー氏に対して訴えを起こしているのは、主に反イランテロ組織・モナーフェギーンのメンバーです。
拘束後の最初の8カ月間、ヌーリー氏は家族やイラン領事館などとの連絡は一切禁止され、半ば拉致されたような形で拘束されていました。その後、家族とごく短い電話による会話が許されましたが、自らの生存を伝えることができただけでした。それ以降も25カ月間にわたって家族との面会は許可されませんでした。ここ3年でヌーリー氏には家族との電話が30時間、面会が10時間許されたのみです。そして、これらのごくわずかな通話や面会も、スウェーデン治安当局による監視下に置かれていました。
ベルギーやスウェーデンによるイラン市民への非人道的な対応は、人権に関する西側の二重基準とその侵害をまたしても如実に示しています。