永遠に記憶される米英の対イランクーデターの歴史
イラン外務省のキャンアーニー報道官は、18日に米英による対イランクーデターから71年を迎えるにあたって、「民意により選ばれたイランの政権が米英によるクーデター工作で倒された屈辱の記憶は永遠に残り続ける」と語りました。
【ParsTodayイラン】キャンアーニー氏は自身のXに、「奴隷制、植民地支配、クーデター、軍事介入は、世界における米英の恥ずべき歴史の一部でしかない。1332年モルダード月28日(西暦1953年8月19日)に、民意により選ばれたモサッデク首相率いるイランの政権が、米英の軍事・政治・諜報支援を受けたクーデターで倒された屈辱の記憶は永遠に残り続ける」と投稿しました。
キャンアーニー氏はまた、
「この暗い経歴を持つ2国は、現在もなおシオニスト政権イスラエルとガザにおけるその犯罪を支持している。それでいて自らを人権や民主主義の旗手と自認している」
とつづりました。
一方、テヘラン州裁判所国際部では18日、このクーデターを審理する第1回目の公判が開かれました。この裁判は、イランの有志ら40万人以上が米国政府、米国務省、CIA、米財務省、米議会、米連邦準備制度理事会を相手どって起こしたものです。
公判では主にクーデターがイランにもたらした13の損害が取り上げられ、特にモサッデク首相が実現した石油国有化が骨抜きにされ、イランの石油利権が再び欧米メジャーの手に渡ったことが指摘されました。
1953年8月19日のクーデタでは、独裁政権のパフラヴィー王朝の軍の一部がアメリカおよびイギリスと協力し、当時のモサッデク首相を失脚させ、国外に逃亡していたモハンマドレザー・シャ―を再び権力の中心に据えました。これにより、一旦はイランから退いていた欧米の植民地主義勢力が再び権益を握ることになりました。