イラン女性の服装と一部西側諸国による圧力の関係
裸になる権利を信じている社会では、何かを身に付けなければいけないという法律を制限のように感じるでしょうが、どのようなものを身に付けるかに関する境界線は、社会の道徳的慣習によって決まるものであり、イランでは元々、身体を覆い道徳的距離を尊重することが重んじられてきました。
【ParsTodayイラン】イラン女性の服装は、西側のメディアや機関にとって常に攻撃対象のひとつとされてきました。しかし、頭髪を覆うヒジャーブはイランの文化や伝統に根ざすものであり、イランの人々が世界の他の地域の人々と同様に持っている、独自の文化的・伝統的価値観だと言えます。
イラン社会は、性別を重んじるという、西側のような社会とは異なる慣習があります。もちろんイランでも、個人の私的領域である自宅内での恰好をめぐって罰せられることはなく、重視されているのは、街中や社会的な場における行動です。つまり、街中で人に見られるような行動が重んじられているのであり、私生活の場では個人は自由なのです。
それぞれの国には独自の服装の決まりがあるものであり、私たちは、その決まりが気に入る場合も気に入らない場合もあるでしょう。ともあれ、どの社会でもそこに住む人々は法を尊重する必要があり、それはイランでも同様です。そこで問題になってくるのは、イランの法の細部がどのようなものかですが、実のところそれは、何を着用すべきという決まりではなく、覆いを取り去ることを禁じたり裸になることを止めるような決まりだと解釈できます。
このような例は、西洋でも見ることができます。たとえば、カナダを含む一部の社会では、路上で裸になった者は公然わいせつの罪で裁かれます。同国では、Tシャツを着なければマクドナルドのようなファストフード店に入る事もできません。これも、身体を覆うことに関する法の一種と言えます。
このように、身体を覆う類の決まりはおそらく、裸になる権利を信じている社会では制限されているように受け取られるかもしれません。しかし、どのようなものを身に付けるかに関する境界線は、社会の道徳的慣習によって決まるものであり、イランでは元々、身体を覆い道徳的距離を尊重することが重んじられてきました。
それをおいても、イランでは女性にヒジャーブ着用が定められているだけではなく、男性に対してもTシャツなどを身に付けず裸で公共の場に現れることを禁じています。つまり人々は男女とも、体を覆わなければならないのです。
この問題に関して私たちは、メディアが押し付けるものの考え方と文化からの視点を理解する必要があります。社会は文化的成り立ちに基づくべきであり、私たちはメディアのプロパガンダに屈してはならないのです。