最高指導者のメッカ巡礼者に向けたメッセージ(音声)
最高指導者のメッカ巡礼者に向けたメッセージです。
1395年6月12日
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
感謝は、世界の人々の神のみのためのものである。預言者ムハンマドとその清らかな一門、高潔な教友たち、そして彼らに心から従う人々に、最後の審判の日まで平安あれ。
世界中のイスラム教徒の兄弟姉妹たちよ!
ハッジ・メッカ巡礼の期間は、イスラム教徒にとって、人々にとって誇りと栄誉の期間であり、創造主である神に対して嘆願し、謙虚になり、心を光で溢れさせる期間である。メッカ巡礼は、神聖で世俗的、また神が定めた人々の宗教的義務である。一方で、「祖先を思い起こすように、いやそれよりも深く、神のことを思い起こしなさい」、そして、「また、決められた日々に神のことを思い起こしなさい」という命令、また、「そこに住む人々から遊牧民まで、全ての人のためにそれを同じように据えた」という呼びかけは、この義務のさまざまな無限の側面を明らかにしている。
この類まれなる宗教義務においては、時と場所の安全が、輝ける星や明らかなしるしのように、人々の心に安らぎを与え、覇権主義の圧制者によって常に人類を脅かしてきた混乱の要因から、メッカ巡礼者を救い出し、一定の期間、巡礼者に安全という満足を味わわせる。
イスラムの信者への贈り物であるイブラヒームから残されたメッカ巡礼は、誇り、精神性、統一、壮大さの象徴である。イスラム共同体の偉大さと、神の無限の力への彼らの信頼を、敵や悪意ある者たちに示し、世界の暴虐者や理不尽な者たちによって人類社会に押し付けられている弱さ、屈辱、堕落といった穢れとイスラム共同体の距離を浮き彫りにする。イスラムの、そして唯一神信仰のメッカ巡礼は、「不信心者には厳しく、また互いに優しく」の象徴である。それは、多神教徒に嫌悪を示し、敬虔な人々とは連帯し、親しむ場所である。
メッカ巡礼を、単なる巡礼の旅と限定して見なし、イランの革命的で敬虔な人々に対する憎しみや敵意を、“メッカ巡礼の政治化”のもとに隠す人々は、卑しくちっぽけな悪魔であり、大悪魔であるアメリカの理不尽な望みが危険に陥ることを恐れている。今年、神の道とマスジェドルハラームをさえぎり、イランの敬虔で誇り高いメッカ巡礼者が愛する家を訪問する道を閉ざしたサウジアラビアの統治者たちは、罪を犯し、迷った人々であり、彼らは、圧制的な権力の座における自分たちの存続を、世界の覇権主義者、アメリカやシオニストの同盟関係を守り、彼らの要求をかなえるための努力の中にあると考え、この道において、いかなる裏切りも厭わない。
現在、メナーの恐ろしい惨事から1年近くが経過する。その中では、祝祭の日、メッカ巡礼衣を身にまとった数千人が、焼けつく太陽のもと、喉の渇きに苦しみながら命を落としていった。またその少し前には、マスジェドルハラームでも、カアバ神殿を周回し、礼拝行為の最中であった人々が亡くなった。このどちらの出来事も、サウジアラビアの統治者の責任である。これは、そこにいた全ての人や評論家の間で意見が一致している。一部の有識者は、それが意図的に引き起こされたという憶測を提起した。犠牲祭の日、心からの情熱を持って神の名や節を唱えていた、命からがらの負傷者の救済が遅れ、それがスムーズに行われなかったことも確かで明らかである。サウジアラビアの残酷な犯罪者たちは、その負傷者を死者の遺体と共に、コンテナーの中に閉じ込め、治療や救援、引いては、彼らの渇いた喉に水を届けることなく、彼らを殉教に至らせた。これにより、さまざまな国の何千という家族が、愛する人を失い、その国民が悲しみに沈んだ。イランイスラム共和国からも、500人近い人が殉教した。多くの家族の心は、今も傷つき、悲しみに沈んだままであり、人々は今も、悲しみと怒りを抱えている。
しかし、サウジアラビアの統治者は、後悔し、謝罪し、この恐ろしい出来事の直接の責任者を訴追する代わりに、最大限の厚かましさによって、イスラムの国際調査団の結成すら妨げた。そして非難される立場に立つ代わりに、非難を行う立場に立ち、さらなる悪意と軽率さによって、イランイスラム共和国、そして、不信心や覇権主義に対して掲げられたあらゆるイスラムの旗への古くからの敵対を明らかにした。
シオニストやアメリカに対する行動によってイスラム世界の恥となっている政治家から、聖典や預言者の言動に反する教令を公然と発表する、卑しく穢れたスンニー派の指導者・ムフティ、職業的な良心でさえ、偽りを述べることの妨げとはならないメディアの雇われた者に至るまで、彼らの宣伝者たちは、イラン人の巡礼者が今年のメッカ巡礼を禁じられたことは、イランイスラム共和国に責任があるように示そうと、無駄な努力を行っている。扇動的な統治者たちは、邪悪なタクフィール主義のグループを結成し、彼らに武器を装備させることで、イスラム世界を内紛に巻き込み、罪のない人々を死傷させ、イエメン、イラク、シリア、リビア、その他一部の国を血で染めた。神を知らない政治家たちは、シオニストの占領政権に友好の手を差し伸べ、パレスチナの災難や苦痛から目をそらし、バーレーンの町や村まで、その圧制や裏切りの裾野を広げた。メナーの大惨事をもたらし、聖地の管理者を自称し、神の安全な聖域を侵し、祝祭の日、メナーの地で、またそれ以前にマスジェドルハラームで、慈悲深い神の客人たちを犠牲にした、良心や宗教を持たない統治者たちは、現在、メッカ巡礼の政治化を阻止していると主張し、彼ら自身が犯した、あるいはその原因となった大きな罪で他者を非難している。彼らは、聖典コーランにあるこの明らかな言葉に相当する。
「神に背を向け、[権力を手にしたとき、]彼らは地上で腐敗を行い、世代や農作を消滅させようと努める。神は堕落者を愛されない。『神に従いなさい』と言われると、高慢さゆえに罪に走る。彼には地獄で十分である。なんと悪い居場所であることよ」
今年もまた、さまざまな報告によれば、サウジの関係者はイラン人の他、一部の国の国民のメッカ巡礼を妨げた上に、別の国の巡礼者たちも、アメリカとシオニスト政権の諜報機関の協力により、非通常の監視下に置かれ、神の安全な家を、全ての人にとって安全ではないものにしている。イスラム世界は、イスラム教徒の政府から国民に至るまで、サウジアラビアの統治者のことを知り、彼らの物質的、傀儡的で信仰を持たない中傷者としての真の姿を正しく理解すべきである。彼らがイスラム世界にもたらした犯罪のために、彼らを放置してはならない。慈悲深い神の客人たちに対する彼らの圧制的な行動のために、メッカ巡礼の問題と、聖地の管理に関して、根本から考える必要がある。この義務を怠ることは、イスラム共同体の未来を、さらに大きな問題に直面させることだろう。
イスラム教徒の兄弟姉妹たちよ!今年のメッカ巡礼儀式では、純粋な心を持つ情熱に溢れたイラン人の巡礼者の姿が見られない。だが、彼らの心は世界中の巡礼者と共にあり、彼らのことを考えている。そして、呪われた圧制者たちによって、彼らが損害を蒙らないことを祈っている。あなたたちの祈祷や礼拝の中で、イラン人の兄弟姉妹たちのために祈りを捧げてほしい。そしてイスラム社会の問題を解消し、覇権主義者やシオニスト、彼らの傀儡の手が、イスラム共同体に届かないように祈りを捧げてほしい。
昨年のメナーとマスジェドルハラームの殉教者、そして1987年のメッカの殉教者(この年のメッカ巡礼の際、多神教徒に嫌悪を表す儀式をサウジアラビアの治安・警察部隊が襲撃し、多数のイラン人巡礼者が殉教、負傷した事件)に追悼を捧げ、彼らに慈悲と赦し、高い地位与えることを偉大なる神に求める。(救世主)シーア派12代目イマーム、マハディの平安を心から祈り、イスラム共同体が向上し、イスラム教徒が敵の悪や陰謀から救われるよう、この偉大なる人物の祈りを求める。
神を頼りに、神から僕たちのもとに成功がもたらされんことを。
セイエドアリー・ハーメネイー
イスラム暦1437年ゼルカアダ月30日
イラン暦1395年6月12日
西暦2016年9月2日