1日一冊、本の紹介(44)
ラフサンジャーニー師は、1968年、『アミールキャビール・植民地主義との闘争の英雄』という本を発表しました。
ラフサンジャーニー師自身、こう述べています。「植民地主義との戦いについて書きたいと思った。我々の相手にはアメリカとイギリスがいる。(人々に)受け入れられている人物を中心に、植民地主義との戦いに関するよい例を紹介したいと思った。イランでは、パフラヴィー朝がガージャール朝に反対していることにより、アミールキャビールを大変持ち上げていた。つまり、皆、アミールキャビールをよく知っていた。私は、アミールキャビールの基本的な特徴とは、植民地主義との戦いにあり、パフラヴィー朝体制とは相容れない、と言いたかったのである。著作の中では、アミールキャビールの反植民地主義的な側面に依拠した。イランの歴史についても述べたが、これが主な目的である。私の第2の目的は当時、西側かぶれした人々がアミールキャビールを追い求めていたことである。これらの中では、彼がある種西洋かぶれの状態で、イスラム的な傾向がなかったとしている。
私はアミールキャビールが、彼の生涯を通じて見られたイラン国民としての特性と、反植民地主義的な精神をもち、国家的に重要な人物であるとともに、宗教的な人物であり、決して非宗教的な人間ではなかったといいたい。たとえば、神学校が戦いを開始しようする場合、神学生はアミールキャビールと植民地主義との闘争に関する歴史を知っておくべきであり、アミールキャビールは宗教的な集団と切り離して考えるべきではない。この2つの目的が、私の原則だ」
この本は、当時の秘密警察の強い圧力を受けながらも、アミールキャビール出版社によって出版されました。それから50年近く経ったあとで、この本はアミールキャビール出版社により再版されました。この本で、ラフサンジャーニー師はアミールキャビールの反植民地主義的な人物像を描きながら、その努力について語っています。
アミールキャビールとして知られているミールザー・モハンマドタギーハーン・ファラーハーニーは、19世紀中ごろのガージャール朝時代の宰相で、その任期はわずか3年3ヶ月でしたが、この短い期間に、イラン社会における多くの改革を実施しました。彼はダーロルフォヌーンという、イランにおける近代的な方式による初の大学を設立しました。また、新聞を発行し、一部の国内改革や対外政策に関する抜本的な改革を行いました。アミールキャビールは宮廷人の陰謀により罷免され、ガージャール朝の王、ナーセロッディーンシャーの命によりイラン中部カーシャーンで暗殺されました。