10月 12, 2020 19:12 Asia/Tokyo

ハーフェズは、14世紀のイランの著名な抒情詩人で、 新たな詩文の形式を打ち立てるとともに、恋や自然の美などを主題とした作品が多く、イランはもとより世界でも広く親しまれています。

出自と生い立ち

この詩人の本名はハージェ・シャムソッディーン・モハンマドです。イスラムの聖典コーランを暗記していたため、アラビア語で「暗記」「記憶」を意味するハーフェズの異名をとりました。ハーフェズ詩集の最初の編纂者であったモハンマド・ゴルアンダームは、ハーフェズ詩集の序文で、「ハーフェズは、当時、広まっていたイスラム法学とペルシャ・アラビア文学の2つの分野において研究活動に従事し、コーランを記憶した」と記しています。

ハーフェズの家族、生い立ちや生涯については正確な情報がなく、出生年についてもさまざまな説があります。歴史研究者によれば、ハーフェズは1326年、現在のイラン南部の町シーラーズで生まれたとされています。また、幼い頃に父親を亡くし、その後、母親とともに苦しい生活を強いられたため、時折、勉学の傍らで労働することを余儀なくされた、とも言われています。

ハーフェズは後に、偉大な詩人や神秘主義哲学者、文学者が集まる環境に身を置き、文学や学問に関する教育を受けました。彼は、高い才能と知性により、自身の詩の中で先人たちの遺産を最高の形で活用しました。

 

イランと世界で親しまれるハーフェズ

イランが誇るこの抒情詩人の作品は世界的にも高く評価されています。ハーフェズ抒情詩集にはおよそ500篇の抒情詩や頌詩、四行詩などが収められています。

また、ハーフェズの詩の手書き写本はイランを初めインド、アフガニスタン、パキスタン、トルコの図書館に収蔵されています。

なお、イラン暦メフル月20日(2020年は10月11日)はハーフェズ記念日に制定されており、毎年この日にはイラン全国の文化・学術センターで文学の会合や詩の朗詠会が開かれます。

さらに、イランでは冬至の夜にハーフェズ詩集を用いて占いをする習慣があり、民衆に広く親しまれています。

 

ドイツの大文豪と現代美術の巨匠をもうならせたハーフェズ

ハーフェズ詩集の翻訳本は全世界に存在し、世界の多くの人々を魅了しています。なかでも、ドイツの大文豪ゲーテや哲学者ニーチェなど、偉大な詩人や思想家らは、ハーフェズの素晴らしさを称賛すると同時に、このイランの大詩人から大きな影響を受けました。

ハーフェズに魅せられた偉人の1人、ドイツの文学者ゲーテは、ハーフェズに次のように呼びかけています。

「ハーフェズよ、自身をあなたと対等に置くのは、狂気を示す以外の何物でもない。あなたは海を切り開き、波の中を進むため、傲慢な風を受けている船のような存在であり、私はその船の残骸に過ぎない。心の中で、あなたの魅力的な言葉はしばしば、波うち、しばしば炎の波が押し寄せるが、この波は私を引き付け、沈ませる。とはいえ、わずかばかり、自分をあなたの弟子の弟子だと考えている」

2012年には、テヘラン現代美術館にてドイツの現代美術の巨匠ギュンター・ユッカー氏の大規模な作品展が開催され、その数ヵ月後にはイラン中部イスファハーンの現代美術館でも催されました。ユッカー氏はテヘラン、イスファハーン訪問により、イランのイスラム文化への理解を深め、深い感銘を受けたとしています。この作品展開催という一大プロジェクトの重要な特徴はハーフェズの詩を直接モチーフとしていることであり、それはこの数十年間、イランと西側の最大の対話と協力へと変えています。ユッカー氏は、50年前からドイツにおける現代芸術の第一人者としての地位を確立しており、前衛芸術集団ゼロのメンバーでした。彼は、東洋を自身の目で見ることなく、ゲーテが自らの作品『西東詩集』において、存在した資料からインスピレーションを得ていたのとは異なり、直接的な形でハーフェズの影響を受けています。

2016年にも、ユッカー氏による「ハーフェズに捧ぐ」というテーマの展覧会が開催されました。この展覧会はまず、イラン南部シーラーズのハーフェズ廟で開かれ、その後、テヘランのイマーム・アリー博物館で、その後ドイツでも開催されました。

イマーム・アリー博物館で行われた展覧会の開幕式には、ユッカー氏とともにイランの芸術関係の責任者やドイツの芸術関係者、イラン人の芸術家らが出席しました。この展覧会では、ハーフェズの30の抒情詩に基づいた42点の作品が展示されました。

ユッカー氏はまた、シーラーズでの展覧会の際には、ハーフェズ廟を訪れて靴を脱ぎ、この偉大な詩人への敬意を表するとともに、「これらの作品は、ハーフェズや詩的な自由、人間に対する彼の深い感受性、彼の受けた苦しみを湛えたものだ。それは私の作品の中にも反映されている」と語りました。

 

ドイツ現代美術の巨匠の作品中のハーフェズ

ユッカー氏の作品からは、彼がハーフェズに対して大きな愛情を持ち、ハーフェズの詩を芸術作品にあらわし、絵画作品をハーフェズの抒情詩で美しく飾っているということが伺えます。これらの絵画作品の配色は、崇高な輝きや色彩に満ちており、この作品が外国人の芸術家の手で描かれたことを示すしるしも見て取れます。ユッカー氏は、イランの建築芸術や絵画において色や形式が重要な役割を果たしていることを知っており、対称的な線を用いて、作品を見る者たちにモスクや宗教的な建造物を連想させているのです。

ハーフェズは一定の時代に限定されることのない詩人であり、その詩は世界のすべての人のものと言えます。この詩人の作品は、世界の主要な言語の多くに翻訳されており、その言葉は世界的で尽きることがありません。ハーフェズの詩はゲーテの思想に近く、ハーフェズはドイツとイランの地理的な境を取り払い、両国を近づけています。全世界の人々はゲーテに魅了され、そのゲーテはハーフェズに魅了されました。ゲーテはハーフェズへの情愛を文学的に表現していますが、この情熱は今日、ギュンター・ユッカーの作品の中にも見られます。

ハーフェズは詩の中で、この世の表面的な事柄から目をそらし、創造世界の真理について描こうとしています。創造世界は、イラン人の芸術家にとって、神の徴が数多く存在する場所です。それを描くことは、謎めいた言葉や比喩以外には不可能ではないでしょうか。ユッカー氏も、こうした謎や神秘をある程度理解し、それを鮮やかな色の円が描かれたいくつかの絵画で表現しています。円形も、真理への達成や神秘の象徴であり、イランの芸術でも最も重要な形として使われ、神とつながるために、中心へと向かっていく全体的な流れを示しています。これは見る人の目を中心へ中心へと導きます。ユッカー氏は自身の作品の中で、この要素をふんだんに取り入れています。

ユッカー氏はまた、花と葉に強い色を使うことで喜びや明るさを表現しており、ハーフェズによる楽園のイメージを描いています。絵画において、色彩は何よりも注目を受ける要素となります。ユッカー氏の作品の中で使われている色のほとんどは、確かに世界においては独自の意味合いを持っていますが、ユッカー氏はイランの芸術における色彩の伝統的な定義を無視することなく、色使いに留意しています。

 

ドイツ現代美術の巨匠が語るハーフェズ

ユッカー氏の展示会の開催に伴い、同氏の作品を扱った書籍がペルシャ語、ドイツ語、英語の3ヶ国語で出版され、この本では2019年秋にテヘラン現代美術館で展示された作品を取り上げています。

ユッカー氏はこの本の中で、ハーフェズについて次のように記しています。

「私は、彼の詩人としての気高さと人間の感性に対する造詣の深さ、詩の創作における情熱と苦しみにより、偉大な詩人ハーフェズを、非常に価値の高い偉人とみなしている。ハーフェズの詩は、語ることのできるものと語ることができないものの間にある。この詩は、私に彼の詩を色彩により表現する動機を与えてくれた」

そして、彼はハーフェズの思想や文学について、ゲーテが語った言葉を引用して次のように締めくくっています。

「ハーフェズよ、あなたの言葉は偉大なる永遠性を保っている。つまりそれに初めも終わりもない。抒情詩の半分の間では、始まりと終わりの違いをつけることできない。なぜなら、すべてが美しく、完全だからだ。もし世界の終わりが到来すれば、ハーフェズよ、私はあなたの傍らにいることを望んでいる。なぜならこれは私の生涯の誇りであり、生きる源だからだ」

シーラーズにあるハーフェズ廟

 

ハーフェズの生きた時代とその詩作への影響

研究者や思想家によれば、芸術家の成長と神から与えられた能力の開花には、数々の要素が影響を及ぼしています。そのうちのひとつが、社会や政治の状況です。ハーフェズもその例外ではありませんでした。

ハーフェズが生きた時代、つまり14世紀は、イラン各地がモンゴル族の襲撃を受けた時代です。歴史家は、イランの歴史において、14世紀という時代は大量殺戮といった点で最も恐ろしく野蛮な時代だったとしています。

こうした中、歴史に記録されているように、イランの一部の地域は様々な理由により攻撃を免れたり、あるいは被害の程度が少ない、またはすぐには攻撃を受けることなく、済んだ地域がありました。そのうちの一つが、南部のファールス地方です。この地方は、チンギスハンとその後継者の襲撃があった時代、トルクメン系のサルゴリヤン朝に占領されていました。この王朝の王たちは文学や学術を愛しており、この時代、文学者や学者の育成に努め、この地域に数多くの神学校やモスク、学術センターが創設されました。これにより、ファールス地方は多くの偉人たちにとって安全な場所となり、サアディやハーフェズといった大詩人が誕生することになったのです。

現代の研究者によるハーフェズ評と過去の詩人との比較

イランの現代の文学者で歴史家のザビーホッラー・サファー氏は、ハーフェズが先人たちの作品に精通していたことから、彼の詩は神秘主義的な深い内容とともに、感情的な美しい内容を伴っている、としています。ハーフェズの言葉には、モウラヴィーやサアディなどの言葉に存在するあらゆる条件が整っています。

 

また、現代のハーフェズ研究者、バハーロッディーンホッラムシャーヒー氏は、ハーフェズの作風を、千数百年のペルシャ詩の歴史において唯一無二のものだとしています。同氏やその他の研究者の研究によれば、ハーフェズが現れるまで、ペルシャ語の抒情詩は、現世での愛する人への思いという一つのテーマをもとに吟じられていました。

このような詩人に対し、神秘主義的な抒情詩を詠んだのが、サナーイーやアッタールといった詩人でした。彼らは神との語らいを詠っていました。ハーフェズ以前の詩人の中でも、モウラヴィーは非物質的な愛を、サアディは物質的な愛を歌っています。多くの研究者によれば、その後に登場したハーフェズの作風は、モウラヴィーの神秘主義的な部分、サアディの感情的な作風、ハイヤームの哲学的な思想を融合させたものとされています。しかし、ハーフェズはそこからさらに、政治・社会的な内容、そして正直さや寛容さなどの同等区的な内容を盛り込み、抒情詩の中で他のどの偉大なペルシャ詩人の詩にも見られなかったような独自の作風を作り出しました。

またハーフェズの抒情詩の最も重要な特徴は、抒情詩のそれぞれの句が、内容や意味の点から独立していることです。つまり、ハーフェズの抒情詩では、それぞれの句が、意味の点で他の句とは切り離されているのです。

 

なお、ハーフェズは出生地のシーラーズにて65歳の生涯を閉じたとされ、その霊廟もこの地にあります。但し、没年に関しては1389年もしくは1390年という説があります。

それでは最後に、イランのハーフェズ研究者、バハーロッディーン・ホッラムシャーヒー氏の言葉をご紹介しましょう。

「イランから生まれ、私たちの心の中に生き続けている芸術家は、ハーフェズである。ハーフェズは、私たちに語りかけているだけでなく、私たちの側からも語りかける。ハーフェズこそはまさにこの国民の代弁者であり、世界でも、これほど心の温かく親しみやすい詩人は他にいないだろう」

 

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