ハージェ・ナスィーロッディーンはいかにモンゴルを変えたか?:6つの重要な方策
13世紀のイランに生まれた知識人、ハージェ・ナスィーロッディーン・トゥースィーはイラン北西部マラーゲに学校を設立し、自らの門下生らを通じ諸科学を発展させることによって、次世代のモンゴル人教育に大きく貢献しました。
【ParsTodayイラン】イラン人がモンゴルに与えた文化・学術的影響を明確に示す最も重要な歴史的出来事の一つとして、モンゴル人がイランを侵攻した後、彼らの思想に変化が生じたことが挙げられます。その変化とは、ハージェ・ナスィーロッディーン(イスラム暦579年~672年、西暦1201年~1274年)などのような有能なイラン人学者を通じ、モンゴル人の思考と行動にバランスと節度が見られるようになったことです。この記事では、モンゴル人の行動と知性の変容・変革において、特にハージェ・ナスィーロッディーンがとったいくつかの重要な行動について検討していきます。
1.モンゴル人に対する諸国民の思想や学術的視点の啓蒙
ハージェ・ナスィーロッディーンは、モンゴル帝国の為政者フラグ・ハーンの宮廷に入り、科学の促進に重要な役割を果たしました。そして、さまざまな分野の書物を執筆・翻訳し、モンゴル人にそれまでとは異なる科学的思考を復活させるための基礎を打ち立てました。
イランの文明研究者ホセイン・マアスーミー・ハメダーニー氏によれば、「(イラン西部の)アラムートの状況が混乱していた時期に、ハージェ・ナスィーロッディーンはシーア派の一派・イスマーイール教徒の中で地位を確立し、それに基づいて学術活動に従事し、著作の執筆に成功した」とされています。この偉大な学者の監督の下で行われた翻訳により、モンゴル人は他国の文化に触れられるようになりました。
ハージェ・ナスィーロッディーンの最も重要な活動の一つは、1259年のマラーゲ天文台の設立です。この天文台は、モンゴルの為政者フラグ・ハーンの支援により、当時の偉大な学術拠点となりました。この状況を利用して、ハージェ・ナスィーロッディーンはイスラム圏全域から多くの科学者を集めて新たな科学的基盤を確立し、これによりモンゴル人の思想や世界観は大きく変わることとなったのです。
2.中庸の思想
ハージェ・ナスィーロッディンの思想における重要なポイントの1つは、宗教と政治の関係、そしてこの両者間のバランスをとることでした。彼は、特に政治の分野において中庸の地点を見出すことが人々の幸福をもたらすと信じていたのです。彼のこうした見方により、フラグ・ハーンなどの一部のモンゴル人はこの偉大なイラン人学者に大きく影響を受け、迷信に起因する過激な暴力や残虐行為から距離を置き、より穏健な統治に注目するようになりました。
3.イラン的な視点および理知との出会い
ハージェ・ナスィーロッディーンはまた、中世イランの大学者イブン・スィーナーの哲学著作の復活や、合理的思考の促進により、モンゴル人の知識面での進歩において重要な役割を果たしました。イランの歴史学者ハサン・アンサーリー氏は、「ハージェ・ナスイーロッディーンは、イブン・スィーナーの書物の注釈書を執筆することで、その復活に取り組んだ」と語ります。これにより、モンゴル人は宗教・世俗双方の世界観を習得し、単に暴力に訴えるのではなく、思考することをより重視するようになったのです。
4.マラーゲ学校の設立とモンゴル人子弟らの教育
イラン北西部の町マラーゲでの学校設立および、門下生らを通じた諸科学の発展により、ハージェ・ナスィーロッディーンは次世代のモンゴル人教育の中核を確立しました。この学校は教育と研究の中心地となっただけでなく、イランの文化と知識の恩恵を受けることでモンゴル人も思想や芸術を創造できることを示して見せたのでした。
5. モンゴル人の生活様式の改革を目的とした、イラン人のアイデンティティの維持・強化
ハージェ・ナスィーロッディーンはまた、一大国家プロジェクトの企画・実施により、モンゴル人に対するイラン的アイデンティティの維持・強化に努めました。彼はイラン・イスラム文化に真正性を与え、そのさまざまな側面や人生を肯定する思想をモンゴル人に向けて強調することで、モンゴル人らにこの文化の影響を与え、彼らの生活様式を根底から変革することに成功したのです。前出の歴史学者アンサーリー氏はこの点について、「ハージェ・ナスィーロッディンは多年にわたり、自らの意識の中でこれらの問題について思考をめぐらせてきた」と述べています。
6.倫理的原則の確立とその普及
これらに加えて、ハージェ・ナスィーロッディーンは倫理の基礎教育も忘れず、『ナーセリー倫理』の執筆により道徳的概念と政治的概念を組み合わせ、モンゴル人に深い影響を与えました。この著作は、彼の思想における中庸性および、倫理を政治と結びつけようとする彼の努力を物語っています。この分野の研究者の一人であるモハンマド・ジャヴァード・アンヴァーリー氏は、「ナーセリー倫理はペルシア語で書かれた哲学的著作であり、彼はこの著作において倫理を宗教や政治と結びつけている」と述べています。
これらの事実は、イラン人が歴史において、特にハージェ・ナスィーロッディーンを通じて、どのようにしてモンゴル人の行動様式を変化させ、彼らを残忍な民族から文化・科学を愛する民に転じさせたかを表しています。この変革は、政治と倫理における中庸とバランスへとモンゴル人を導いただけでなく、イラン・イスラム様式に基づいて彼らの崇高なアイデンティティと文化を復活させる基礎も築いたのです。