アメリカによる原爆投下から71年
アメリカ軍の爆撃機が1945年8月6日、広島に、9日、長崎に原爆を投下しました。
ガッファーリー解説員
この二つの都市への原爆の投下により、日本人20万人以上が死亡、多数が負傷、障害を持った新生児が生まれました。当時のアメリカの民主党大統領、トルーマンは、この攻撃の後、船の甲板に出て、ロスアラモス研究所の所長とマンハッタン計画を推進したグローブス将軍に祝辞を述べました。
アメリカに近い団体の多くは、広島と長崎の原爆投下は効果があったと考えています。なぜなら日本はまもなく降伏したからです。このような見解では、もし日本が原爆を投下されず、降伏していなかったら、戦争は別の形をとって継続され、おそらくさらに多くの人間が死んでいただろうとされています。
多くの事象が日本が降伏することを裏付けていましたが、トルーマン大統領はアメリカの軍事力をソ連に見せつける、という目的も持っていました。これは、アメリカが地域におけるソ連の介入を恐れていたことを意味します。このため日本の即時降伏は、アジアのこの地域におけるアメリカの更なる勢力拡大に向けた下地を整えました。さらにトルーマン大統領の決定の賛同者は、政治的な観点から、原爆投下はアメリカの力をソ連に示すために必須のことだったと考えています。
日本の人々が政府関係者と同じようにアメリカとの関係において過去の問題を葬り去ろうとしていることについては、今も疑問が残ります。この疑いは特に、アメリカのオバマ大統領が日本を訪問した際に、日本の人々に対して、数十万人を死に追いやった、人道に反する行為について謝罪しなかったときに強まりました。
少なくとも、ここ数年の日本における、アメリカのアジアでの拡張主義、軍事政策に抗議するデモはこうした見解を裏付けるものです。実際、皮肉ともいえるのは、アメリカが人権擁護や共産主義、ファシズム、ナチズムからの世界の救出を訴え、平和の重要性を強調し、北朝鮮の核・ミサイル製造とアジアにおける中国の軍事力の増強に反対していることです。
ここ100年のアメリカの政治、治安、軍事的行動を見てみると、この国が国境を越えた利益を維持するために数百万人の人間を犠牲にし、主権を踏みにじってきたことがわかります。
有識者の一部は、一部の国はアメリカとの同調継続の中で、実際、この国の政治的な保護のもとにおかれているとしています。時々、日本や韓国の人々が反米スローガンを叫んでいますが、これらの国が今も国の独立から離れていることが推測できます。
地域におけるアメリカの駐留に関して日本や韓国の人々、さらにはアジア諸国の国民の訴えに正当性を与えているものは、アジアでのアメリカの軍事、核、ミサイルに関する行動による冷戦時代の思想の復活なのです。