205年間の抵抗;今なおマルビナス諸島に掲げられているアルゼンチン国旗
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アルゼンチンのマルビナス諸島(フォークランド諸島)領有権
南米アルゼンチンが、マルビナス諸島(イギリス側呼称;フォークランド諸島)に初めて国旗を掲げてから205年が経過しました。
【ParsToday国際】1820年11月6日、アメリカで私掠船の船長をしていたデイヴィッド・ジューエット(Colonel David Jewett)大佐がマルビナス諸島で初めてアルゼンチン国旗を掲揚しました。この式典は、南大西洋での国家主権の歴史における根本的な転換点と考えられています。
リオ・デ・ラ・プラタ連合州(後のアルゼンチン)のフリゲート艦エロイナ号 (Heroina) の指揮官であったジューエット大佐は、同連合州を代表してマルビナス群島の正式な領有権を宣言し、1810年の5月革命と独立宣言後にスペインから継承した領土の継続性を強調しました。
ジューエット大佐のマルビナス群島入りは、フアン・マルティン・デ・プエルドン率いる統治団の戦略的決定の結果によるものでした。当時の政体は、外国からの侵略に対する南部領土の防衛を民間船舶に委託していました。1820年11月6日、彼は船員らとこの地域で活動するアザラシ猟師の集団の前でアルゼンチン国旗を掲揚し、同時に海洋哺乳類の過剰な狩猟を禁止する布告を発しています。この時には21発の大砲が発射され、領土に対する主権の再確認を象徴していました。
この式典こそは、今日まで続く主権宣言でした。ジューエット大佐は群島に数か月滞在した後、ギジェルモ・メイソン中佐に交代しました。同中佐は1833年にイギリス軍がマルビナス諸島に侵攻し、居住していたアルゼンチン人を追放するまで、指揮を執りました。
英国はこれらの群島に対する領有権を強調するとともに、南極大陸の大部分とその地域の漁業資源の所有権を主張しています。一方で、この群島の周辺海域の一部に石油・ガス資源が存在することから、これらの島々の戦略的位置付けはより強くなり、この地域の豊富なエネルギー資源にアクセスできたことから、英国は自らの植民地支配を継続できたのです。
それ以来、アルゼンチンは国連やあらゆる国際フォーラムにおいて引き続きこの群島の領有権の主張し、国際法に従い、1982年のマルビナス戦争の犠牲者を追悼して、平和的解決を達成する希望を表明してきました。
アルゼンチン国旗は、最初に掲揚されてから205年後の2025年11月6日現在も、マルビナス諸島、サウスジョージア島、サウスサンドウィッチ諸島、およびその周辺海域に対する同国の歴史的かつ不可侵の権利を象徴し続けています。
これは1994年のアルゼンチン憲法改正に盛り込まれており、アルゼンチン憲法の第一暫定条項には次のように記されています;
「アルゼンチン国民は、マルビナス諸島、サウスジョージア島、サウスサンドウィッチ諸島、ならびにこれらに従属する海域および島嶼地域が国土の不可分な一部であることから、これらの地域に対する正当かつ不可侵の主権を主張する。これらの地域を回復し、住民の生活様式を尊重し、国際法の原則に則り主権を完全に行使することは、アルゼンチン国民にとって恒久的かつ不可侵の目標である」

