イスラムの預言者ムハンマドの生誕日に寄せて
本日は、イスラムの預言者ムハンマドの生誕記念日とされています。 今夜は、この良き日に際して皆様に祝賀の意を申し述べますとともに、預言者ムハンマドの生誕にまつわる特別番組をお届けすることにいたしましょう。
久しく人々が待ち望んでいたその日が遂に到来しました。人類の偉大なる指導者がこの世に生を受け、神の最高の創造物が出現したのです。世界の創造主により、神の最後の預言者という慈悲の雨がこの世に降り注がれ、導きの泉がほとばしり出、預言者ムハンマドという神々しいみ光が全世界を照らしたのでした。
天文学者たちは、ある1つの星が非常に強く輝き、その光によって世界に一大変化を起こすだろうとの誓いを立てていました。まさにその瞬間、神の預言者なるムハンマドがこの世に生誕したのです。預言者ムハンマドの生誕とともに、それまで無明や偏見がはびこっていた砂漠は、情愛と思想に溢れた庭園へと様変わりし、それまで雑然としていた人類の暮らしに秩序が生まれました。
その神の預言者は、(西暦570年ごろ、)イスラム暦ラビーオルアッワル月17日の黎明、現在のサウジアラビアの聖地メッカにて、信心深い家庭に生まれました。こうして、神は世界人類に広大なる慈悲を授けたのです。預言者ムハンマドの母親であるアーミナは、次のように語っています。
「あの日の夜は、あたかも私自身に神々しくまばゆいみ光が照り付けているかのようだった。そのみ光は、私の頭上から天空へと去っていった。すると、天使たちが私の周りに舞い降りてきて、私は心の中に安らぎを感じた。部屋の中は光に包まれ、そしてわが子なるムハンマドが生まれたのである。その顔つきは、父親であるアブドゥッラーに似ていたが、父親よりもさらに美しく、魅力に溢れていた。その額には、神々しいみ光が美しく輝いていた。片方の手を地面に向け、もう片方の手を天高く突き上げて、心地よい言葉で神の唯一性を告白した。天使たちは、彼を抱擁し、私に祝賀の意を述べると共に、おいしい飲み物を与えてくれた」
預言者ムハンマドの祖父にあたるアブドゥル・ムッタリブが、アーミナの枕元にやって来て、この神々しい嬰児を抱き上げました。そして、サウジアラビア・メッカのカアバ神殿に連れてゆき、このような男の子を授かったことに対し、神への感謝を捧げようとしました。彼が、カアバ神殿の中に足を踏み入れた時、突然この嬰児の唇がほころび、「神の御名において、神にかけて」という文句が響き渡ったのです。
預言者ムハンマドは12歳の時、彼の父方のおじのアブーターレブと共に、商いを目的に現在のシリアに当たる、シャームという地域に旅をしました。彼らの一行は、途中にある庵で休息を取りました。その庵では、信仰心に篤く明朗な心を持つ、ボヘイラーというキリスト教修道士が、通りがかりの旅人たちをもてなしていました。さて、アブーターレブの一行が入ってくると、ボヘイラーはまだ他に誰か一緒の人はいますか、と尋ねました。アブーターレブが、まだ1人、未成年の男の子がおります、と答えると、ボヘイラーはその少年にも中に入るよう促しました。
ムハンマド少年が庵の中に入ってくると、修道士ボヘイラーは驚嘆し、次のように告げました。「私は、君に質問したいことがある。イスラム前の無明時代に崇められていた偶像の女神アッラートとアル・ウッザーに誓って、本当のことを話してもらいたい」すると、ムハンマド少年は、その2つのものこそ、自分が最も忌み嫌うものだと告げました。修道士ボヘイラーが再び、神に誓って本当のことを話してほしいと告げると、ムハンマド少年は、自分は常に真実のみを語っている、と述べました。そこで、ボヘイラーは、君が一番好きなものは何か、と尋ねました。すると、ムハンマド少年は、1人でいることが好きだと答えました。さらに、ボヘイラーが、数ある森羅万象の中では何が最も好きか、と問いかけると、ムハンマド少年は空と星が好きだと答えました。
ボヘイラーは、さらに幾つかの質問をした後、ムハンマド少年の両肩を見てみたいと告げました。なぜなら、ボヘイラーはその兆候やしるしから、ムハンマドこそは、預言者イーサーがその出現の吉報を告げていたあの預言者であることを知っていたからです。彼はそこで、興奮した面持ちでアブーターレブに対し、この子どもは誰の子どもかと尋ねました。アブーターレブが、わが子だと告げると、ボヘイラーはこう告げました。「いいえ、それは違うでしょう。この子どもの父親は、もう既に亡くなっているはずです」 そこで、アブーターレブは驚いて、そのような情報をどこで仕入れたのかと聞き返しました。
ボヘイラーは、ムハンマド少年の情愛に溢れた誠実な顔立ちに思わず目を見張り、そして穏やかにこう告げました。「この少年の未来は、極めて重要なものです。私が、この少年に見出したものを他の人が見出し、悟れば、この少年を殺めていたでしょう。この少年を、大事に守ってください。なぜなら、この少年こそは神の最後の預言者だからです」
ムハンマドは、常に自らの置かれた社会の汚れた環境に苦しんでいました。彼は、自らの思考力や洞察力が深まるにつれて、自分と周りの人々との考え方の違いの大きさに気づくようになりました。彼は、メッカの郊外にあるハラーの洞窟にこもり、世界の現状について考えにふけり、神への祈りを捧げていました。
ムハンマドが40歳を過ぎたある日のこと、彼がいつものようにハラーの洞窟にこもって瞑想していると、神の啓示が下され、彼は偉大なる神のもとでコーランの最初の節を読むようにと命じられました。
「慈悲深く慈愛あまねき神の御名において、世界を創造された汝の神の御名において読め」
神の預言者ムハンマドは、人々の連帯や団結、そして高潔な精神があってこそ、人類の幸福が達成されると考えていました。このため、彼は互いに反目しあい、四方八方に散らばっていった民族らを互いに近づけ、団結させたのです。ムハンマドの持論においては、情愛や優しさが怨恨や騒乱に取って代わり、社会に団結の精神や同胞愛が浸透すべきだとされています。
預言者ムハンマドは、メディナの町にやって来たその年に、この上ないイニシアチブを取り、全てのイスラム教徒の間で兄弟姉妹の契りを交わさせました。この契りこそは、特定の民族や部族へのこだわりを否定し、社会的な協力や真理を中軸に据えて結ばれたものです。これにより、預言者ムハンマドは、ある一般的な集まりの場において、人々に対し2人ずつになって、互いに宗教上の兄弟としての契りを結ぶよう命じています。こうして、メッカからやってきた人々とメディナの人々の間で、兄弟となる契約が結ばれ、最後にムハンマドが、自らの娘婿のアリーを、現世と来世においての自分の兄弟として宣言したのでした。
神から現世に遣わされた預言者たちは全て、魅力的で愛すべき人物像を有しており、その言動には誠実さや友愛が溢れています。人々は、これらの預言者たちのみ光や真理を感じとり、その眼差しや声にも友愛や生命の息吹を見て取ります。預言者たちは、人々の心をひきつけ、他の競争相手のない支配者であり、自らの信仰心という影響力によって、全人類という大規模な旅人の一行を導きます。そして、ムハンマドこそは、神が現世に遣わした最後の預言者であり、それまでに使わされた預言者たちを集大成する存在なのです。
預言者は、次のように述べています。
“我は、人類の倫理的な尊厳を完成させるために神から遣わされた”
この方向性にそって、コーランは預言者の優れた倫理を称賛すると共に、「あなたが柔和で情愛的でなかったなら、周りから人がいなくなってしまっただろう」と彼に言及しています。
預言者の優しさは、全ての人々を驚嘆させるものでした。これについて、次のようなエピソードがあります。預言者が毎日、ある道を通っていた際に、1人のユダヤ教徒が預言者の頭上から灰を撒き散らしていました。しかし、預言者はそれに反応することなく、黙って静かにそこを通り過ぎていました。そんなある日のこと、いつものように預言者はそのユダヤ教徒の家の前を通りかりましたが、いつも灰を撒き散らしてくるそのユダヤ教徒の姿が見当たりません。そこで、近隣の人に、非常に穏やかな口調で、「今日は私たちの友人がいないが、どうしたのか」と尋ねました。すると、そのユダヤ人の男は病の床に臥せっているとのこと。そこで、預言者はすぐさまその男の見舞いに行き、それまでまるで何事もなかったかのように、彼の枕元に座りました。預言者の器の大きさを示すこの振る舞いに、そのユダヤ教徒の男は大変驚き、感激したということです。
イスラム教徒がメッカを征服した日、預言者は自らの軍勢を伴って威風堂々とメッカの町に入りました。この時、預言者の旗持ち役の1人が、次のような文言を述べたのです。
「今日は戦いの日であるとともに、あなたの命と財産が、宗教上合法的なものと見なされる日であり、クライシュ族の受難の日である」
しかし、預言者ムハンマドはこの言葉を聞いて不快感を感じました。そして、メッカの人々が失望感に陥ったり、またこの町の人々を赦すという約束が陰謀や欺瞞によるものだと見なされたりしないよう、すぐさま次のように叫びました。
“今日は慈しみの日であるとともに、クライシュ族にとっての栄誉の日であり、神がカアバ神殿を偉大な存在となされた日である”
預言者ムハンマドの教える内容や彼が目指したものは、数多くの腐敗や騒乱、問題という泥沼から這い上がるために現代人が強く必要としているアドバイスそのものに他なりません。ですから、平和共存を望む現代人が、神の示す手本や教えのもとでのみ、自らにとって希望溢れる未来の展望を描くことができる、といっても過言ではないのです。