イマームレザーの生誕日に寄せて
今日、イスラム暦ゼルカアダ月11日は、シーア派8代目イマーム、レザーの生誕日です。
イラン北東部のマシュハドにあるイマームレザー聖廟は、イルミネーションで飾られています。
世界各地から大勢の人が、この聖廟に巡礼にやって来ました。彼らの心は友愛と平穏で満たされています。
タイからやって来た巡礼者タスニームは、聖廟の前に立ち、周りを見渡しました。それから静かに涙を流しました。どうやら以前にもここに来たことがあり、以前に見た夢を思い浮かべているようです。
タスニームは、数か月前にその場面の夢を見ていました。イマームレザーから、私を巡礼する前に、母親に会いに行きなさい、と言われていました。タスニームの母は仏教徒です。彼女は、娘がイスラム教徒の男性と結婚することは間違いだと考えていました。そのため、タスニームとの関係を断ってしまいました。しかし、イマームレザーにとっては、タスニームの母がイスラム教徒であろうと、そうでなかろうと関係ありませんでした。イマームレザーは、信者たちにこのように語っています。「子供にとって、両親への孝行は義務である。たとえ彼らが多神教徒だったとしても」
最近、イスラム教徒になったばかりのこの女性の母親は、タイの北部に住んでいて、タスニームが住むバンコクからはかなり離れています。それでもタスニームと夫は、イマームの言葉に従って母親に会いに行きました。さらにイマームレザーの聖廟にいざなわれました。暗い心に光がともり、迷いから確信を得たのです。
タスニームは今、イマームレザーの黄金のドームの前に立ち、心の底から巡礼の言葉を口にしています。
シャキールは、パキスタンからやって来た巡礼者です。彼は聖廟を訪れた後、このように語りました。
「イマームレザーの聖廟の柵を見た時ほど寂しさを感じたことはなかった。そのときの感情を言葉に表すことはできない。この精神的な旅の思い出は、今も忘れられないその感情にある。マシュハドへの旅は私の信仰を強め、今まで以上に、シーア派が正しいこと、イマームレザーの偉大さを感じることができた」
ソヘイルは、ほほえみを浮かべながら、イマームレザーとの精神的なつながりについて、こう話しています。
「ここでは、イマームレザーがあなたの言葉を理解できるように、アラビア語で話す必要はない。イマームレザーに会うことの恩恵は、彼が自分の国から別の土地に移住したために、他の土地にいるという寂しさをよく理解してもらえると感じられることにある。私もイランに来たとき、イスラム教徒であることの美しく新鮮な感情を最初に感じられたのが、このイマームレザーの聖廟だった。イランの人々とペルシャ語で会話はできなかったが、イマームレザーに悩みを打ち明けることができた。イマームレザーは、私の人生の中で、最も影響力のある人物だったと言うことができる。このような感情は、知らない国にいる人間にとっては非常に温かいものであり、安心を得ることができる」
イスラムの預言者一門は、それぞれが知識、清らかさ、英知の源です。預言者ムハンマドは、彼らの存在は、聖典コーランとともに、幸福と救済をもたらす永遠の遺産だとしています。
イマームとは、社会の指導者です。イマームレザーは、これについて次のように語っています。
「イマームとは、地平線のかなたにあるが、世界中を光で包み込む太陽のような存在である。イマームとは、夜の暗闇の中で、都市や砂漠、荒波を過ぎるための道しるべとなる月のような存在である」
イマームレザーは、イマーム・ムーサーカーゼムの子供たちの中でも、誰よりも賢く、気高く、敬虔でした。彼は父の後にイスラム教徒を指導するイマームの地位につきました。
イマームレザーは、イマームを務めた20年のうちの17年間をメディナで、預言者一門のもとで過ごし、そこからイスラム共同体を導いていました。イマームレザーは、父親の弟子たちを集め、偉大な祖父であるイマーム・サーデグの宗教学を教えていました。
イマームレザーのメディナでの活動は、アラビア半島のすべての学者や政治、社会の関係者に影響を及ぼしていました。イマームレザーは、人々にとって、精神的にも物質的にも頼れる存在になっていました。アッバース朝の為政者のマームーンが、イマームレザーに形ばかりの皇太子の地位を委ねようとしたとき、イマームレザーはこう語りました。
「私がここで皇太子となったことは、私の立場に何も影響していない。なぜなら私はメディナで高い地位にあり、私が手紙を書けば、イスラム統治の東から西までに渡っていたほどだったからだ。そこでは私よりも愛される人物はおらず、誰でも結論を出したいと思う人は皆、私にそれを求めた。私も可能な限り、求める人のニーズを満たしていた」
イマームレザーは、革命的な人物として知られ、宗教の知識によって社会を築くため、人々に連帯と団結、圧制の回避と善行を呼び掛けていました。イマームレザーは、人々の成長は、信仰と道徳によって得られると考え、次のように語っています。
「自分の持つものによって人々を満足させられない人は、美徳によって彼らを満足させられるよう努めなさい」
イマームレザーの革命的な運動は、社会の向上と家庭の安定に向かうものでした。この中で、イマームレザーは、家庭における女性の非常に重要な役割と地位について次のように語っています。
「最後の審判の日、私に最も近い人物は、家族に善い行いをした人である」
また、イマームレザーはこのように語りました。
「信仰の点で最も優れた人物とは、家族に善を行った人である」
家族とよい態度で接すること、意味もなく厳しい態度を取らないこと、子供を正しく教育すること、イスラムで合法とされる食事を用意すること、可能な限り、よい生活の条件を整えること、これらが、イマームレザーが挙げる家族への良い対応にあたります。
イマームレザーの妻は、当時の優れた女性の一人でした。彼女はイマームのそばにいて、人々、特に女性たちの間にイマームの文化を広めることに貢献していました。イマームレザーの妻は、夫とともに、女性は生活の中でも、革命的な運動の中でも、特別な役割を果たすことができるということを示しました。
イマームレザーは、預言者は他のイマームたちと同じように、自分を神の僕と見なし、非常に謙虚でした。また、常に至高なる神に祈りを捧げ、神への敬愛を心に溢れさせていました。イマームは、最も重要な礼拝とは、よく考え、知識を活用することだと考えていました。
イマームレザーは、真理を明らかにするために、さまざまな宗派との討論を行っていました。この討論の中では確かな論理を用い、イスラムに反対する様々な宗派の過ちを指摘していました。