精神性への扉(5)【音声】
フランスの外科医のアレクシス・カレルは、次のように語っています。
「導きのない人生の道を歩むのは危険だ。人間は生産し、消費するためだけに創造されているのではなく、人生の最初から、愛や美、宗教的感覚、好奇心、献身により、完全な人生を実現することになる」
唯一神信仰という原理に次いで、2番目に重要なイスラムの信仰原理とは、預言者の使命です。すべての唯一神信仰の信者は、神は特定の人物を預言者として選び、人々を正しい道に導くよう、人生の正しいアプローチを教えるという使命を与えたと考えています。
人間は、本質的、精神的に必要としているものすべてを認識することができないという特性を持っています。つまり、人生の中で、理性だけに頼っていくことができないのです。歴史の中で多くの戦争や大きな悲劇はすべて理性や判断力を有していた人々により起こっているのです。これに関して、人間の中に存在する利己主義、利益主義、欲望優先主義、無知、横暴さなどにより、理性は欲望の望むものに打ち負かされ、その結果、迷いに陥ることになります。
人間は自由や選ぶ権利を与えられた形で創造されています。つまり、しばしば、義務に反することができるのです。また、しばしば人生の中で、他人を考慮せず自分の利益のためにすべてを利用したりすることもあります。明らかに、人生におけるこのような利益追求主義や自己中心主義は、人間の真理と無意味なものとを見分ける力を弱めます。つまり人間は、利己主義を維持する中で、正しいものと誤ったものを認識できなくなり、ほかの人々の権利をも無視します。このように、正しい人生の道から外れてしまうのです。
無知も、物事に対する正しい見方を妨げます。歴史の中で、人間が知識の方向に向かって進んでいても、その無知の領域は広く、自分の限られた知識だけに頼っていれば、導きの道を見出すことはできません。この不足により、人生の中で多くの過ちを犯すことになります。
疑いようがないのは、もし、人間がこの複雑な人生の道の中で、導きを得ず、現世で自分の思うままにしていれば、誰でも欲望や自分の好みで判断を下し、自分の望みや利益に沿ったものを選ぶことになる、ということです。この場合、すべての人は、ただ自身の利益が最もよい形で与えられる道を歩むのみとなります。その結果、個人的、社会的な関係が断絶し、社会には終わることのない腐敗行為が生じることになります。
このことから、慈愛なる神は人間の支援を急務とし、預言者を通じて人間に、あらゆる間違いから遠ざかる道を示しています。神は理性とともに、啓示を通じて、人間の必要性を満たしており、僕に対して英知を授けています。これらを使用することで、幸福や幸運がもたらされます。人間は、神と関係を築くことで健全な善の方向に導かれるために、預言者を必要としています。
人間全般を特定の目的地に向かっている船に乗っている人にたとえてみましょう。預言者はこの船の羅針盤やナビゲーターのような存在であり、進むべき方向を指し示します。人間の理性は、この船の船長のような存在であり、この2つは互いに支援し、決められた航路の中で動き、人間を目的地に運びます。
預言者が任命された重要性や必要性については、その結果により判断すべきでしょう。能力の開花、心の安寧、倫理的な病気の治癒、神に対する賞賛、これらすべては預言者の存在によるものです。
それでは最後に、イスラムの教えについてお伝えしましょう。人々に善行を施し、人々の為に尽くし、彼らに利益をもたらすこととは、枝が生い茂っている木のようなものです。両親に親切にすることは、こういった行動のひとつです。親戚や孤児、貧しい人々に恩恵を施す行動は、コーランの中でも指示されています。コーラン第16章、アンナフル章、蜜蜂、第90節には次のようにあります。
まことに神は、公平さや善い行い、身内や親類に対する寛容さを命じ、他人に対する侵害や醜い行いを禁じる。
また、シーア派8代目イマーム・レザーは次のように語っています。「神は地上に、人々の必要性を満たそうと努力する僕を持っている。彼らは最後の審判の日、安全の中にいる」
善行とは実際、賞賛されるべきよい行いをすることであり、報奨を期待して行われるものではありません。コーランも、善行を神の慈愛を引き寄せる方法のひとつとしています。なぜなら、その行いは神の恩恵を引き起こし、また、神は善行者を好まれるからです。善行は人生によい結果をもたらし、その人を多くの問題から救ってくれます。また、この行為は、人々の親密な友好関係を広げます。現世の幸福や安らぎを得たいとする社会には、善行の精神を強化することが必要なのです。