ペルシャ語ことわざ散歩(165)「あれほど塩辛いものでもなく、またこれほど無味乾燥でもない」
皆様こんにちは。このシリーズでは、イランで実際に使われているペルシャ語の生きたことわざや慣用句、言い回しなどを毎回1つずつご紹介していまいります。
今回ご紹介するのは、「あれほど塩辛いものでもなく、またこれほど無味乾燥でもない」です。
ペルシャ語での読み方は、Na be aan shuurii-ye shuur,na be iin biinamakiiとなります。
このことわざは、物の考え方や言動が非常に極端で、中庸でないことを意味し、またそのような人に対しもう少し中庸になるよう勧告するときなどに使われます。
調理の際の味付けに当たっても、多少の味覚の好みの違いはあったとしても、あまりに塩辛かったり、また逆に全く無味乾燥だったのでは食べづらいことはすぐご想像いただけるかと思います。
例えば、ごく短期間に非常にあることに熱中していたものの、その後はふっつりとそれをやめて何もしなくなってしまったり、一時期は多数の人々と交友関係にあった人が、あることをきっかけに人間嫌いに陥り、引きこもってしまったような場合などに、この表現が使われているのを聞いたことがあります。
ちなみに、シーア派初代イマーム・アリーもその著名な言行録・ナフジョルバラーガにおいて、言動や物の捉え方が過激で極端な人を「無明な人」だとし、「過激あるいは極端な人でなければ、無知な人を見ることはない」と述べています。
日本語でも「何事も中庸が肝心」とよく言われますが、まさに読んで字のごとく、何事においても、あまりに極端すぎると周りの人と折り合いがつかなくなったり、また必ずしも物事を白か黒に決め付けずにグレーゾーンにしておく方法もあるのではないでしょうか。
「ゼロか100か」もしくは、「オール・オア・ナッスィング」といった極端な考えではなく中庸に、または場合に応じて言動を変化調節できる柔軟性を持ちたいものですね。それではまた。