ペルシャ語ことわざ散歩(185)「ここでは取り残され、あそこでは追い出され」
皆様こんにちは。シリーズでお送りしております「ペルシャ語ことわざ散歩」、今回は「ここでは取り残され、あそこでは追い出され」という表現をご紹介してまいりましょう。
ペルシャ語での読み方は、Az iinjaa muunde, az aanjaa ruundeとなります。
ここで皆様もお気づきかと思われますが、この表現は文の中ほどと文末で韻を踏んでいます。
もう、文字通りの意味から何となく本来の意味をご想像いただけた方もいらっしゃるかと思います。この表現は、日本語で言う「八方塞がり」に近い状態を表しています。
すなわち、自分の目の前にある道はすべて塞がれ、または扉などがすべて閉じられ、道は一切なく絶望的な状態を意味します。
さらに、この表現にはほかにも「持っていたものをすべて失い、甚大な損害を被る」、また「今よりも良いものやより高いポストなどを得ようとして、今持っているものを手放したのに、期待していたものやポストは得られなかったばかりか、それまで持っていたものをも失う」という意味もあります。
このことわざの使用例として以前に聞いたことのあるものでは、もっと給与待遇や勤務条件のよい会社に就職しようとして、前の会社を辞めたものの、思惑とする会社の採用試験には合格できず、しかも前の勤務先も辞めてしまっていたために失業してしまった、という事例があります。
しかしその一方で、イスラム教国のイランでは「神は必ず1つの扉は開けておいてくれる」という表現もあります。つまり、一見すると八方ふさがりに見えるような場合でも、必ずどこかに逃げ道や突破口、解決の糸口があるというものです。
ちなみに、電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルは「1つの扉が閉まっているとき、別の扉は開いている」という名言を残しています。日本語でも、「窮すれば変じ、変ずれば通ず」ということわざがあります。表面的には八方ふさがりでどこにも逃げ道がないと思われても、実際には意外なところに解決の糸口が見つかったり、方向転換することで新たな道が開けるかもしれません。
今回は事実上、2つの相反することわざをご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。次回もどうぞ、お楽しみに。
この番組は、IRIBイランイスラム共和国国際日本語通信パールストゥデイがお送りしています。