9月 17, 2023 16:49 Asia/Tokyo

皆様こんにちは。シリーズでお届けしております「ペルシャ語ことわざ散歩」、今回は「魚のいない池では、蛙が最高司令官になる」ということわざをご紹介してまいりましょう。

この表現は、ペルシャ語では Dar houzii ke maahii niist, ghuurbaaghe sepahsaalaar ast となります。

この表現が意味しているのは、特にある組織集団や団体、あるいは社会などにおいて、しかるべき力のあるふさわしい人物が存在しない場合、その位置にふさわしくない人物がその立場につき、その集団の運命を左右する権力者となる、ということです。

また、特に人間社会において然るべき為政者や知識人、学者などが脇に押しやられ、全く顧みられないような場合、卑劣な人々がそのポストに就き、重要な問題や行政などを取り仕切るようになる、という意味にもなります。また、そのような社会では多くの人々の権利が侵害されることも珍しくないと思われます。

さらには、しかるべき有力者が不在の間に、卑しい身分の者がそのポストに就き、高い立場を悪用するという意味でも使われています。

ちなみに、この表現においては、魚が池に住むふさわしい存在にたとえられ、は現在のその位置づけにふさわしくない存在として扱われています。

もっとも、池の中の水に常に住む存在としては確かに魚がその代表ではあるものの、両生類である蛙が池の周辺の湿気の多い場所に住み、また時折水に潜り、魚と共存することは可能です。また、そういうケースは自然界に多く見られます。

魚と蛙のどちらがより偉い、位が高い、支配的地位にあるかということよりも、棲み分けやそれによる平和共存こそが望ましい状態ではないでしょうか。

それはさておき、ある役職やポストが欠員となっており、そこを狙ってその地位にふさわしくない人物が権力を掌握したとしても、それは長くは続かず、いずれ然るべき人物に取って代わられるのが世の常だと思われます。

古今東西を問わず、これまでの長い歴史において世界各地で独裁者や暴君が一時期は権力を握ったものの、しばらく後にはあっけなく権力の座を明け渡したというケースは、枚挙にいとまがありません。

これからの時代、世界のいずれの国や地域においても、しかるべき人物が適切な領域を統率し、暴力や戦争のない世界の実現を期待したいものですね。それではまた。

この番組は、IRIB イランイスラム共和国国際日本語通信パールストゥデイがお送りしています。

 


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